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「一を聞いて十を知る」を求め過ぎない

「一を聞いて十を知る」ということわざを聞いたことはありますか?

一つのことを聞くだけで全てを理解できる、という意味合いで、ビジネスシーンでも登場することが多いと思います。
いちおう、コトバンクで調べた結果も載せておきます。意味間違えてたら恥ずかしいですもんね!

物事一部を聞いただけで全部を理解できる。賢明で察しのいいことのたとえ。

コトバンク / デジタル大辞泉

これができたら最強だし、世の中の優秀な方は、ほぼこれができるんじゃないでしょうか。でもぼくは思うんですよ。

これが成立するには一定の条件があるんじゃないかと。


※5月14日更新:目次を付けました。

似顔絵を書いてください。

例えばの話。
今コレを読んでくださっているあなたは駆け出しの絵描きさんです。

あなたの元へ一人の男性(僕)がやってきて、仕事を依頼します。

僕の父と母の似顔絵を書いてください。両親にプレゼントしたいんです。
両親の情報を伝えます。父の年齢は69歳。白髪が多くて、二重、まつげがしっかりしてます。母は67歳。髪は短めで、目は細くて、そばかすがあるんですよ。こんなとこです。え?写真?それは今手元にないんですが、まぁそこはあなたのセンスにおまかせってことで!プロっすもんね!いい感じにお願いします。また後日連絡しますんで!」

あなたは途方に暮れますが、頑張って、想像できる範囲の70手前の夫婦の絵を書いてみました。出来上がって、メールでそれを僕に送ったところ、返事が帰ってきました。

「思ってたのと全然違うんだよなぁ」

似顔絵書ける人を僕は尊敬します。すごいよね…

一を聞いて十を知る難しさ

仕事をしていると、ざっくりしたタスクやお題を渡され、状況や詳細も見えないままに作業しなければいけない状況というのはよくあるのではないでしょうか。

このシチュエーションへの対処方法そのものについては、様々なビジネス本に譲りますが、おおよそ「理解できるまで聞く・タスクをもっと細かく分解する」などの方法に収束するイメージがあります。
それは間違っていません。
極めて真っ当だし、当然受け取り側はそれができるようになった方が良い。情報が圧倒的に足りてない状況でいかに相手から引き出すか、自分の中で仮説を立てて実行できるかが、腕の見せ所でもあります。これができて一人前、みたいなところもあるでしょう。

でも、これって「情報の受け取り側の努力」の話じゃないですか。
今回僕が主張したいのは「発信側も努力しよう」という、自戒を込めたお話です。

「発信側」と「受信側」の立ち位置の違い

よく「視座や視点」という話を聞くと思います。
視点を変えろ、視座を上げろ、みたいなかんじです。言われたことがあるし、言ったことがある、という方も多いのではないでしょうか。

例えばの話。
東京タワーのような高所から周囲を見渡せる場所に行ったことがありますか?高い位置に行くと、普段は見えない街の全体像が見えたり、知らない道や場所を見つけたり出来ます。
逆に、行ったことがない、そもそも東京自体初めてだっていう場合、東京タワーの行き方を調べ、触れられる限りの情報で初めて見る景色の中を移動する必要があります。

僕が思うに、発信者側は高い位置(東京タワー)にいます。自分が望んでいること・やらなきゃいけないことの前後関係や全貌などが全て見えている状態です(更に天上からお題が降ってきているケースもあるので、見えているとは限らないんですが)。
逆に受信者は、下から見上げている状態(初めて東京タワーに来る)です。受信者は、自分の周囲のことは理解できるけど「家の裏に●●がある」なんて情報は知りようも有りません。

仮に、東京タワーの展望室にいる友人から「お前のいる通りの2つ向こうの家がすげー面白い形してるから写真撮ってきてよ」なんて言われても「通り2つ向こう?面白い家?何の話してるんだ」と、なるのではないでしょうか?

僕の狭い観測範囲内ですが、世の中には、そんな立場にいる受信者に向けてのノウハウばかりがあるように思います。

視座を上げる難しさ

よく言われるのが、視座を上げろ、という話です。これ、実は非常に高度なことを求めています。

似顔絵の例だと、絵描きのあなたに与えられた情報は、僅かな両親のプロフィールと、二人から生まれた依頼者である僕だけです。
東京タワーの例だと、自分の周囲の景色と、ここまで歩いてきた道ぐらいしか情報がない。初めて会った人・土地で、ただでさえ迷いながら着いたのに、さらに見てもいない場所や人について説明を求められる。こんなにも難易度の高いことはありません。今いる地点から、展望台の高さでものを見る、絵を描く、できるわけない。

極論ですが、おおよそ人は自分の知っている・理解している範囲でしか物事を判断できません今自分が手にしているものだけで、知りもしないことは推察するしかない
精度を保ったまま視座を上げるというのは、かくも難しいことなのです。

「一を聞いて十を知る」ための条件

逆に東京タワーには登ったことがなくても、近くにある高層ビルには登ったことがある場合はどうでしょうか?もしくは、東京タワー近隣でピザの配達をしていたから土地勘はめちゃある、みたいな状態はどうでしょうか?

東京タワーからの景色は知らないけど、近くの高層ビルからの景色は知っている。ということは、東京タワーからの景色はこうなるのではないか、そんな想像も容易にできるのではないでしょうか?

絵描きの例ならば、両親には会ったことないけど、ぼくの兄弟には会ったことがある・もしくは僕自身とは顔なじみで、よく知っている、ならどうでしょう。両親の顔は知らないが、兄弟の顔をしっていったり、家庭環境なんかを具体的に知っていれば、そのなかにヒントがあるかもしれません。(それでもムズいですけど)

全くの異業種の同士でも、ある程度会話が成り立つのはこういうことです。

当事者と全く同じ場所にはいないけど、別のことに関しては高い場所にいるので、見えているものが似ていたり、過去の経験や知識から想像ができる。
経験や知識があるから、全くの別ジャンルであっても、近しい領域に当てはめて考えることができる。(当人の学習努力なんかも関係はあります)
だから、会話が成り立つのです。

「一を聞いて十を知る」を求め過ぎない

もし、自分がタスクを誰か(同僚・後輩・部下、なんでも良いです)に、お願いする立場ならば、ぜひ、自分の立ち位置が今どこなのかを把握しておきたいと思います。

タスクをお願いするということは、少なくとも自分は今、東京タワーの展望室にいる状態(発信者)です。お願いされる側は、初めて東京タワーの近くまで来た人(受信者)だと思いましょう。

下にいるメンバーに何かを求めるなら、ぜひ自分も下に降りて、自分の見たものをできる限り共有しましょう。もしくは、下に降りられなくても、できる限り見えているものを共有しましょう。

「視座を上げなさい」というだけでなく、歩み寄り。自分が見えているものが、相手にも見えている、とは思わず、まずは自分も当事者の立場まですこし視座を下げる。

瞬間移動のできる孫悟空じゃあるまいし、今自分のいる位置まで、相手は瞬時に来ることは出来ません。歩くか、走るか、もしくは何か別の方法か、少なくとも時間はかかるのです。

少なくとも仕事において社内の仲間に対しては、この気持ちを忘れないほうが良いのではないかと、僕は思います。説明に説明を尽くす、理解できているまで話をする、それぐらいやって損はないはずです。

「一を聞いて十を知る」をできるようになるために

具体的なノウハウを持っていないので、それについては世の中のビジネス本に譲るのですが、僕自身は、正直なところ経験を積むしかないと思っています。
たくさんトライして、たくさん失敗して、仲間内であれば、迷惑もかけちゃっていいでしょう。
相手と同じ場所を目指して頑張って歩く、もしくは同じ東京タワーに行けなくても、近くまで行く・似たような景色を見る。そうなれればこっちのものです。

前述したとおりです。

当事者と全く同じ場所にはいないけど、別のことに関しては高い場所にいるので、見えているものが似ていたり、過去の経験や知識から想像ができる。もちろん、当人の学習努力なんかも関係はあるでしょうが、経験や知識があるから、全くの別ジャンルであっても、近しい領域に当てはめて考えることができる

この状態を目指すことを第一の目標に、あとは、ビジネス本に書かれているように「理解できるまで聞く・タスクをもっと細かく分解する」を愚直に繰り返すのみです。

理解する努力をする責務は自分にありますが、理解できるよう説明する努力をするのは、発信側の責務でもあるので、遠慮なく聞きまくりましょう。

もし思ってもない方向から指摘を受けたら、それは知らなかったですねぇ、と思っていればよいんです。だって、知りもしないことは想像もできないですから。一喜一憂せず(しちゃうんですが)、あ、これでまた視座の階段を1つ登ったぜ、ラッキーぐらいに捉えておきましょう。

終わりに

「一を聞いて十を知る」
スーパーマンじゃねぇかと思うんですが、クライアントの皆さんと会話していると、やっぱりできてる方が多い。そして、僕自身も経験を積んで初めて、違う領域と自分の経験領域を紐づけたりできるようになりました。こうなると話が早い。「つまり、おっしゃっていることをこれに置き換えると、こういうことですか?」みたいなことができるんです。

最初はできません。まじでちんぷんかんぷんでした。でも、経験を積めば自ずとできるようになるので、まずは、自分の領域を中心に、頑張っていきましょう。

あと、ヒトにお願いする立場になったときは、その初心を忘れ内容にしたいと思います。
なんで伝わらねぇんだ、こんなにシンプルなことなのに、と感じることもありますが、そんなときこそ昔の自分を思い出すようにします。何者でもない頃の自分に、先輩・同僚・クライアントの方たちが何をしてくれたか。あのときはたしかにこれに苦戦した、こういうことを教えてもらったなと、振り返ると、もっと優しくできる気がします。

そんなことを思った、日曜日です。
(最後まとめが雑になりがち)

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