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それは誰が為なのか

昔、ある人に「これって●●さんのやりたいことですよね?」というフィードバックを受けてから、ことあるごとにこの言葉が頭の中で繰り返される。※某氏の言葉にすごい似てるけど、あの言葉が有名になる前の話です。

ある人にとっては正しく、ある人にとっては違っている。
ある局面では間違っていて、別の局面では正解だったり。
法を犯す、人の道を踏み外すようなこと以外は、おおよそ世の中白黒つけられないことばかり。

人の数だけ考えがあり、答えがあり、正解がある。

右の人左の人 ふとした場所できっと繋がってるから
片一方を裁けないような 僕らは連鎖する生き物だよ

Mr.Children / タガタメ

それなりにキャリアを積んだので、恐れ多くも、何かを教えたり何か相談にのることも増えた。
そんなとき、だいたいは自分の経験や定石みたいなものを照らし合わせて話すんだけど、いつもアタマの中によぎる。

「これは僕のやり方・認識であって、本当に正しいんだろうか」

もちろん「一般的に見てこうするべきだ」というものに関しては、言い切ってしまうこともある。
もしくは、経験と一般知を照らし合わせて、こういうアクションが取れるんじゃないかというときも、それを伝える。
ときには、考えられる複数のケースも交えて、相談者が実践しやすい形にブレイクダウンして会話する。
相談者が聞きたいのはきっとそういう話なので。

しかし、単純に白黒つけられないもの・様々なケースが考えられるものに対しては、いつも「これは僕の経験に則ったものなので、そっくりそのまま当てはめれるわけではないよ」と、保険のようなものをかけてしまう。「君には君の、この件にはこの件なりの答えがあるはずだから、参考程度にしてほしい。僕だったらこうするよというレベルの話だ」と。

とうぜん、真剣に考えて答えるし、実際当事者の立場であればこうするだろうというものを具体的に答えるんだけど、当事者にしかわからないこと・当事者の性格があるから、それを強制する権利は自分にはない。
自分の答えは「自分だからこそできること」「自分にとっての正解だけど、この人にとっての正解ではない」可能性だって大いにあるはずなのだ。

難しいのは、自分の正義と相手の正義がぶつかり合う時。どうしても承服できないものも当然ある。戦わなければいけないときもある。

ONE PIECEの頂上決戦でドフラミンゴが言った「平和を知らねえ子供と、戦争を知らねぇ子供の価値観は違う!....…勝ったほうが正義だ!」という言葉に真理を感じつつも、そんなときでも、いつも浮かぶのはあの言葉。

「これって●●さんのやりたいことですよね?」

常に頭の中にいるこの言葉は、自分への戒めの言葉。誰が為という大義名分に囚われて、実は己の為になってないか振り返らせてくれる言葉。キャリアや経験に任せて傲慢になりそうな自分への戒めの言葉。

自分が100%正しいなんてことはこの世にはほとんどないし、まして人を自分の思い通りにコントロールしようなどできるはずもない。

君は君で 僕は僕 そんな当たり前のこと
なんでこんなにも簡単に 僕ら見失ってしまえるんだろう

Mr.Children / 掌

僕が経験して得たものを誰もが手に入れるわけではないし、それは僕だけのもの。それでも自分の経験が誰かの参考になれば嬉しいし、役立ててほしいと思う。
己の正義を貫くときも、そうでないときも、いつも他者へのリスペクトを忘れず、柔軟性を失わず、謙虚さを保っていきたいなぁと思う、今日このごろです。

分かったろう 僕らは許し合う力も持って生まれてるよ
ひとまずそういうことにしておこう
それが人間のいいとこ

Mr.Children / 口がすべって

余談ですが、記事中で引用した「掌」も「タガタメ」もLIVEバージョンが神がかっているのでおすすめです。(公式が公開してるという太っ腹さ。感謝ぁ...…)


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