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「徳島の風土」日本一低い自殺率の町『生き心地の良い町』岡檀著

<概要>
ある意味日本一自殺率の低い町「徳島県旧海部町」と他の地域を調査・比較しつつ、自殺予防に効果のある因子を抽出して、自殺予防対策への一つの回答を生み出した著作。

<コメント>
以前、統計学YouTuberのサトマイの以下動画で彼女が紹介して面白そうだったので、早速購入・読了したのですが、これは自殺防止にも当然役に立ちますし、人間の本質的な特性を垣間見ることのできる必読の著作です。


⒈徳島県旧海部町とは?

実は今は海部町はありません。旧海部町(以降「海部町」)は、県南端の太平洋側に臨む、人口三千人規模の町だったのですが、2006年に平成の大合併で海陽町の一部になったからです。

海部町は、周辺の市町村とその環境は同じで、温暖な太平洋側の海に面した町で、昭和の高度成長期に徐々に衰退し、少子高齢化の過疎化した他地方の多くの市町村と何ら変わらない町。

にもかかわらず、自殺率が突出して低い町なのです。

そんな海部町は、なぜ自殺率が低いのか。この町ならではの社会の特徴を著者が数年に及ぶ海部町のフィールドワークと、同じ県内にありながら自殺率の高い山間部のA町とを比較しつつ、統計学的分析によってその特徴を炙り出していきます。

京都府宮津市(2023年10月撮影)

⒉ある意味、日本で最も自殺の少ない町

具体的に日本一自殺が少ない町とは、どんなエビデンスに基づくのでしょう。

著者は全国三千余りの自治体を対象に、年齢構成によって大きく異なる自殺率の影響を除去した「標準化自殺死亡比」を算出してランキングを作成。

この結果、ベストテンのうち、唯一一般的な町の地勢だったのは「海部町」だけだったのです。

他の9市町村は、すべて離島という特殊な地勢(これはこれで「なぜなのか」は知りたいところですが本書に言及なし)だったので、ある意味、海部町が日本一自殺が少ない町、と認定したのです。

本書22頁

⒊実は危険因子は海部町も他の市町村も同じ

一般に自殺を誘発する因子、つまり自殺危険因子は研究論文も多く、ある程度明確になっています。自殺危険因子は、内閣府の白書によれば日本の場合、

病苦・健康問題と、②生活苦・経済問題

70%以上を占めます。

ところが、標準化自殺死亡比が全国平均値だった海部町両隣の市町村と比較しても、上記2点を比較した結果、ほとんど変わらないという結果に。

その他、地形や気候、産業構造、住民の年齢分布などは両隣の市町村とほとんど変わらず。つまり外的環境も、ほとんど両隣の市町村と変わらない。

なのになぜ、海部町だけが自殺率が突出して低いのでしょう。

京都府丹後市(2023年10月撮影)

⒋海部町に特徴的な五つの自殺予防因子

⑴いろんな人がいてもよい、いろんな人がいた方がよい

結論的にいうと同調圧力がない、同調圧力を気にしない、そもそも同調圧力を嫌がるコミュニティが、海部町。他人と足並みを揃えることにまったく重きを置いていないのです。

例えば、一般的な日本の市町村であれば、赤い羽の募金箱を自治会などで回すと、それなりの募金が集まります。なぜならなんとなく「みんなが募金しているから」という感覚が強くて「なぜ誰に何のために」よりも「人間関係重視」で募金する人が多いのが一般的な市町村だから。

ところが海部町民の場合、

「わしはこないだの、だんじりの修繕には大枚はたいたけどな。ほないなわけのわからんもん(赤い羽根の募金)には、百円でも出しとうないんや」

本書40頁

となる。

他人の行動よりも「自分がどうしたいか」に力点があるので、他者に安易に同調することはしないのです。そしてこれをよしとする風潮が強い。つまり町のコミュニティは多様性重視・個人主義重視なのです。

かといって、都会のように地域コミュニティがないわけではないので町民が孤独を感じることもない、というのもポイント。

そして選挙の時に、甲州などの地方にみられる集落の代表者が票を集めて組織票を取りまとめる、というような活動がありません。海部町の場合はこのような他地方の事例について尋ねると

「誰に投票するかは、個人の自由や。人に強制やしたら、いまの言葉でいうたらなんじぇ、ダサイ、ちゅうんか。野暮なことやと言われる」

本書45頁

となってしまう。つまり海部町民にとって「同調圧力は、ダサいこと」なんです。

⑵人物本位主義をつらぬく

人物本位主義とは、職業上の地位や学歴、家柄や財力、年齢などに捉われることなく、その人の問題解決能力や人柄を見て評価することを指しています。

したがって例えば町の教育長を選ぶ際も、教育の経験がない若手を選んだりします。過去の経験や学歴・職歴ではなく、その人の能力そのものに注力してその職に相応しい人材を選ぶ、という手法を取るのです。

この辺りも関係性重視よりも、個人重視的な傾向が窺われます。

⑶「どうせ自分なんて」と考えない

これも、上の同調圧力が嫌いという特徴や、人物本位主義、などにつながると思うのですが、海部町民は「自己効力感」が強い人が多い。

自己効力感とは世の中で起きる出来事に対して自分がどれだけの影響力や行動力を持っていると感じるか、という感覚のこと。

選挙にしても「自分の意志をはっきり示すべきだ」という意識が強く「お上に任せておけばいいや」という投げやりな態度が薄いのです。

「自分の頭で考え、自分の意志を発言と行動でしめす」ことがクールなことだという価値観が町民に共有されている、というイメージか。

ここまでをみると、まるで西洋近代哲学者ヘーゲルのいう「近代精神」そのものです。近代精神をきちんと身につけた個人とそのコミュニティは「自殺が少ない」と言うことなのでしょうか。

⑷「病は、市に出せ」

「病は、市に出せ」とは海部町独自のことわざ、というか戒めの決まり文句。

著者宿泊の宿のご主人によれば「病」とは、たんなる病気のみならず、家庭内のトラブルや事業の不振、生きていくうえでのあらゆる問題のこと。

そして「市」と言うのはマーケット、公開の場を指し、例えば自分の体調がおかしいと思ったらとにかく早めにみんなに伝えて、周囲からのアドバイスを聞く、ということで「相手に迷惑になるから遠慮する」という感覚があまりない。むしろ、

「でけんことはでけんと、早う言いなさい。はたに迷惑が掛かるから」

本書74頁

として、「言わないことこそ他人に迷惑」という感覚なのです。著者によれば、この教えは、威勢を張る事への戒めが込められている、といいます。

悩みやトラブルを隠して耐えるよりも、思い切ってさらけ出せば、妙案を授けてくれるものがいるかもしれない。だから取り返しのつかない事態に至るに周囲に相談せよ、と言うこと。

したがって鬱受診率が隣接する市町村と比較して高い。鬱症状になると、すぐに周りの人に伝えて、本人に病院に行くいよう促すと言うのです。ふつう鬱になるような人は自分の症状を他人はおろか、家族にも言い出しにくい、と思うのですが、この辺りの感覚はちょっと理解不能。

海部町民にとっては「病は、市に出せ」と言う感覚が完全に内面化されているのでしょう。

一方で、自殺率の高い同じ徳島県内の某A町の場合は「でけんことをいうと逆に周りに迷惑になるから自分で解決すべき」という意識が強く、自分のせいで他人に負担を掛けるのは、避けるべき、と言う意識が強い。同じ県内でも真逆の感覚です。

ここまでくると単純な「個人主義」でもないようです。個人主義をベースにしつつも、見栄を張らずになんでも言い合えるコミュニティが成立しています。

⑸ゆるやかにつながる

これも面白いし納得。一般的に地方のコミュニティは、先祖代々同じ地に同じ集落で暮らしているので、「生まれた時からみんな知り合い」で、人間関係が濃密である意味膠着したコミュニティが普通です。

ところが海部町は、もちろん典型的な地方の町で「生まれた時からみんな知り合い」的なコミュニティにもかかわらず、人間関係が濃密ではないのです。

海部町で、どのような付き合い方をしているか聞くと「立ち話程度」「挨拶程度」の付き合いが多い。かといって「知らない」わけではなく、ゆるやかにつながっている感じなのです。

さらに町内においてもコミュニティが固定されていないのも特徴。地元の古くからの自治会的組織「朋輩組」も、他の地方だったら強制加入が一般的ですが、海部町では入退会自由。しかも入会していないからといって、コミュニティ内で排除されることもありません。

と言うのも一つの理由には、海部町には「朋輩組」とは別の枠割を担う組織「当屋」と言うのもあって、輪番制で登板になった年には、当屋が地域全体の世話役となります。

つまり、海部町の場合は、組織が複数あって出入り自由で、そして個人が尊重されていて、自分の属性が一箇所に固定されていないのです。

「ゆるやかにつながっていて、コミュニティが固定されていない」そんな町が海部町なのです。

京都府京丹後市網野(2023年10月撮影)

⒌なぜ海部町は自殺率の一番低い町になったのか

このように、海部町は、他の一般的な地方の市町村とは異なる、特徴的なコミュニティを持つ地域になったのでしょう。著者によれば、その町の成り立ちによるのではないか、と想定。以下私のこれまでの知見も含めると、以下のような感じ。

一般的に地方は、農村(または漁労を伴う農村)がほとんどで、固定化されたコミュニティ。農業、特に稲作は同じ時期に田植えし同じ時期に育て、同じ時期に収穫する、と言う性格が強いので、完全な共同作業。

全員が同じ意識で同じように働かないと効率が悪くなり、当然不作になると命に関わることになります。少しでも別の意見や別の行動を許してしまうと収穫が思うようにいかなくなってしまうのです。つまりみんなが同じレベルで同じことを同じタイミングで完徹することこそ、豊作への道なのです。

ところが、海部町にはこんな歴史がありません。田畑で生活できるほどの土地もなく、どちらかというと木材の積み出し貿易で栄えた港町。

一説によれば江戸時代初期、大坂は徳川家による大阪冬の陣、夏の陣で荒廃し木材の需要が高まります。大坂周辺では不足する木材を四国まで求めたと言います。

豊かな森林を海部川上流に持つ海部町は、良好な港も保有していたこともあり、重要な木材積み出し港となったのです。木材ラッシュで湧いた海部町には一攫千金を狙って多くの労働者が全国各地から集まり、彼ら彼女らがやがて海部町に住み着く。そして彼ら彼女らの子孫が今の海部町民。

したがって海部町は移住者によって成立した地縁血縁の薄いコミュニティ。

それでは「都会のコミュニティと何ら変わらないではないか」ということになるのですが、興味深いのは、このようなゆるいコミュニティが数百年続くと、そこそこの関係性のある柔軟なコミュニティを醸成した、というのが海部町ならではないかと思われます。

タカシマヤタイムズスクエアからの風景(2024年1月撮影)

したがって都会と違って「みんな知り合い」でちゃんと繋がってはいるのです。かといって農村のように「強力な同調性」が必要な町でもない。

この微妙なコミュニティのスタイルが、自殺予防因子を生んだのではないか、と思われます(ここは私の個人的見解)。

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