アメリカ民主主義の特異性とは
引き続き「自由の命運」からの知見。
アメリカ合衆国の政治について、前から謎だったことが以下2点あって、
一つ目:民主主義を建国の礎としたアメリカなのに、1950年代以降の公民権運動に至るまで、「法的」な人種差別がなくならなかったのはなぜか?
二つ目:大統領選挙は、なぜ選挙人による間接選挙という、まどろっこしい制度なのか?
本書「自由の命運(下):第10章」では、アメリカならではの特異性(※)は、リヴァイアサン=国家権力の制御に効果を発揮した一方で、人種差別や階層の固定化などの問題も生み出したとしています。
※アメリカならではのこの特異性
⒈中央国家に対する制約
⒉官民パートナーシップモデル
⒈中央国家に対する制約
ご存じのように米国は、十三の州が自分達の財産権などを守るために協力しあって英国から独立してできた国家なので、そもそものルーツが州主導で建国されたモザイク国家。この辺りはスイス連邦とも似ています。州政府は自分達の権限をできるだけ保持したいので「いかに連邦政府の権限を制約するか?」が重大な関心事。
建国を主導した英国アングロ・サクソン系移民(WASP)の、奴隷の所有権含めた財産権などの既得権益を死守するという観点でいえば、中南米諸国における支配層=クレオール(スペイン系移民)と同じような経緯といってもよいかもしれません。
この結果、連邦政府が必要以上に力を持たないよう連邦主義者の国家建設プロジェクトでは連邦政府に強力な足枷をはめました。とくに米国憲法のうち、人権に関する条項を謳った「権利章典」(米国憲法修正第1 条から修正第10 条までを指す)は、1833年最高裁の判決
「権利章典は連邦政府の行為に対してのみ適用される」
とされ、
つまり、いくら権利章典で「人権尊重」を謳っても、それは連邦政府の行為にだけ適用され、州政府が人種差別的法律を立法化しても連邦政府は文句は言えない、と最高裁が判断したのです。しかも警察権は州がその権限を持っているので州政府はやりたい放題。なのでWASPに支配された州政府は人種差別を州法によって立法化(ジム・クロウ法)し、公的に黒人を隔離し差別できたのです。
さらに州政府の権限を守る条項として
「憲法に記載されていない事項はすべて州の管轄」
とされており、ある意味「国家権力は州政府に宿る」と言ってもおかしくありません。
このような状況だったので、黒人差別は法的には1964年の公民権法まで、特に南部州法において、(北部州容認のもと)明確に黒人を差別する州法が存在可能だったのです。
現在でもマリファナの使用が一部州(カリフォルニアやコロラドなど多数)で合法化されていますが(連邦法では禁止)、州法と連邦法に矛盾がある場合、州法が優先されるようです。
徴税権も実は連邦政府よりも州政府により強く、建国時は
とされ、徴税権のほとんどは州単位でのもの。おカネのない連邦政府は、致し方なく民間の資金を活用して各種政府活動を維持するほかなく、以下の「官民パートナーシップモデル」という手法がアメリカ行政においては大きな影響力を持つに至ったのです。
⒉官民パートナーシップモデルについて
「民間にできることはできるだけ民間に」という考えが、サッチャー・レーガン・小泉純一郎時代に流行りましたが、アメリカの場合は、そうせざるを得ない事情があったわけです。
例えば国家の基本的サービスである「戦争の遂行」「医療保険」「警察活動」の提供においてさえ、国家が官民パートナーシップモデルに依存せざるを得ない状況。
郵便サービス・大陸横断鉄道なども民間主導にせざるを得ず、1828年の時点では700を超える委託業者に配達を委託。
そして司法の分野でも、違法行為の調査と訴訟の提起の業務の一部が民間に委ねられています。ブルズやグッドワイフなど、アメリカドラマをみると、アメリカは陪審員制度が採用されていて裁判省は調停役。有罪無罪は、民間人たる陪審員が判断するわけですから、この辺りも官民パートナーシップモデルを重視。
⒊全体の印象
このように米国については、州の権限が連邦中央政府よりも強い国家。しかも連邦政府はお金もないので民間を活用せざるを得ない、ということでした。
州の権限が強い米国の連邦政治体制は、中央政府の暴走を食い止められるというメリットがある一方、伝統的に州単位で保持している既得権益層が固定化するというデメリットも生み、人種差別がしつこく続いてしまう、米国ならではの特殊性を実感できる内容でした。
*写真:ニューヨーク タイムズスクエア(2015年夏 撮影)
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