「忘れられた日本人」宮本常一著 書評
<概要>
日本全国の地方の「生きた生活」をフィールドワークした著者が、いくつかの領域(農民、漁民、馬喰など)における江戸時代から明治時代にかけて生きていた日本人たちの生きざまを克明に紹介するとともに、その背景についても若干考察した民俗学の古典。
<コメント>
人類史は、大きく分けると
①狩猟採集社会 (人類史の大半を占める原始社会)
②古代ー中世(近世)社会 (穀物国家&反穀物国家)
③近現代社会 (啓蒙主義の普及以後)
に分かれそうだな、と最近感じていますが、それでは「②古代―近世社会の日本人」の生きざまはどんな様子だったのか?
本書はその最後の生き残りともいうべき日本人=「忘れられた日本人」を著者が地方を廻って見つけ出し、その人たちへのインタビューによって見事に現代にその記録を残してくれた貴重な書。
天皇家(&公家)、北条家、足利家や徳川家など、支配者たちの社会に関してはおおよそ学校で習ったものの(40年前)、これらはごく少数の人たちの社会であり、日本人の大半を占める被支配者層=庶民の社会はどんな社会だったのでしょう。
本書は「列島に住む庶民はどんな価値観をもってどんな生活をしていたのか?」に関する生き証人たちの証言記録なわけで、後世に語り継ぐべき大切な書です。
■決め事は、寄り合いによる全員合意制
なんと、我々祖先たちのルール作りは、非常に先進的だったのです。全員が納得するまで議論し、長いものでは2・3日かかって決めていました。
対馬に伝わる村の記録では200年以上前からこの方式をとっており、たぶん農耕社会になってからは、おおよそ全員合意に基づくルール作りが行われていたのでしょう。
そして、おおよそ3日かければ難しい話も大体は合意できたそうで、決まったからには全員がちゃんと守ったそうです(そうでないと文字通りの「村八分」)。
この寄り合いでは上下関係はほとんどなく、取りまとめ役が上手に制御しつつ全員の合意を促したそう。ここでも社会心理学者ニスベットのいう東洋人ならではの関係性重視の姿勢がよく現れていると思います。
■もめ事をおさめるのは年長者たち
農村社会では、ほぼみんなが同じ作業しています。隣の田んぼもよく見えて、誰が何をしているのかは集落の全員はお互いによくわかっています。のでサボるようなことはできません。
一方でもめ事が起こると全員が知るところとなり、そのまま引っ越しするわけにもいかないので、集落内で上手におさめる知恵が必要。
その時に登場するのが世話焼き婆と爺。
ここで大切なのは、年長者間での集まりがあり、彼ら彼女らだけの間でそれぞれの家の中の問題が共有され、決して外部には漏らさないようになっている点。世話焼き爺や婆が、年長者内だけで情報を整理しつつ、内緒で当事者たちの間を取り持っていたのです。
■憂さ晴らしは「歌」と「祭り」と「夜這い」
農作業は労働時間が長く、今でいう超ブラックな仕事でしかも単調。これを集落の全員がやっているので農民たちはストレスがたまる一方。作業中は歌を歌うことで徐々にストレス発散しつつ、祭と夜這いでしっかり解消します。
祭りでは日ごろのうっ憤を晴らすようにバカ騒ぎ。これは想像がつきますが、興味深いのは「夜這い」という習慣。当時の男女関係は今では想像ができないほどルーズで「処女が貴重」なんていう価値観は、明治時代以降だと思われます。
夜になると、男たちは昼間のあいだに目配せした女のところに夜這いに行きます。当時は娘と親は別々の部屋で寝ていたので、容易に夜這いができたのです。
また京都では平安時代よろしく江戸末期から明治初期でも和歌の交換で、いとも簡単に男女の関係に。
また、古代の「歌垣」という習慣は、この時代にも続いており、男女が歌を歌いあって競い合い、女性が負けた場合は「男がその女性と関係をもってよい」というルールがあったそう。
つまり、紅白歌合戦のルーツは、古代から続く女性の身体を賭けた遊びだったのです。
このような延長線上に結婚はあったので「親が結婚相手を決める」というのはイエ制度が重要だった支配層だけの風習で、実際結婚の半分は夜這いの延長線上の恋愛結婚みたいな感じで、既に仲睦まじかった男女による結婚が多かったのです(これも意外)。忘れられた日本人の一人として紹介されている著者の祖父(1846年生まれ)も祖母との結婚は、(夜這いの延長線上ではない)ふつうの恋愛結婚でした。
しかし、明治時代以降は庶民にも名字が許されたからなのか、支配層の風習が庶民にも波及して今に至っているわけで「同姓の強制」「家を守る」なぞという「イエ制度」は、近代化に伴う新しい伝統の一つだったのです(=今は気にする必要ないということでしょう)。
■西日本は「地縁社会」、東日本は「血縁社会」
すでに「尊敬語の使い方でわかる、日本の社会制度」で紹介しましたが、
忘れられた日本人からのインタビューにおいても、西と東の違いは明確です。
【西日本=地縁社会】
正確には地縁に基づく「年齢階梯性社会」と呼ばれ、非血縁的な地縁集団の傾向が強いのが西日本。もちろん血縁関係はその中に内包されているものの、非血縁の家族と分散して入り混じっているのが西日本の集落。
地縁が強いので、地域ごとに同業者の集団「衆」を作ったり、宗教を基盤とした講、念仏講、地蔵講、般若講などを作ったりします。上で紹介した寄り合い制度も、特に西日本において発達。
「年齢階梯制」というのは、地縁の中で年齢別に集団を形成していたからこの名がついたわけで、それぞれ男女別に青年グループ、壮年のグループ、隠居のグループ等に分かれていました。
子供が結婚するとすぐに親が隠居することも多く、これまでの田んぼは子供家族に引き継ぎ、家も引っ越して別居します。これまでの仕事が無くなって何をするかというと、新しい田んぼを開墾したり、文芸などを継承したり、上述した世話焼きに専念したり、と隠居ならではの生活が確立していたのです。
そして隠居が自分で儲けたお金は、自分で自由に使えるのですが、たいていは嫁にいった娘にあたえるとのこと。現役時代の遺産は息子、隠居時代の遺産は娘、というのは昔の人は、結構合理的だったんだなと思います。
【東日本=血縁社会】
こちらの紹介は本書では、あまりありませんでしたが、西日本では当たり前の「若者組」が岩手県地方では存在しない方が多いらしい。
また東日本では、親は西日本のように年をとっても子供が大人になっても隠居しません。年長者が現役世代と家を同じにするので、いつまでも年長者が家の実権を握っており、彼ら彼女らが亡くなるまで、これはずっと続くのです。
大家族はに東日本に多く、小家族は西日本に多いという実態は、このような歴史的背景。
■物流革命が変えた「穢れ忌避の概念」
やはり「忘れられた日本人」でも、穢れ忌避の概念は強烈で、本書では女性の生理についてのエピソードが紹介されています。以下は愛知県北設楽郡設楽町での事例。
しかし、明治時代以降近代化が進むとこの風習は廃れ、具体的には「車の通る道」が出来たことがきっかけだったといいます。
近代化の象徴的なものは「物流革命」で、基本的に近代化以前は「水運」、近代化以降は鉄道敷設や道路建設などをともなって「陸運」になるというのが物流革命。
「水運→陸運」という物流革命が、大きく人々の生活や街作りのありように影響を与えたことが本書でもよくわかります。
以上、本書は「実録」忘れられた日本人として、日本史学の大家、網野善彦が解説書を書くほどの名著。さっそく網野氏の著作も読んでみようと思います。
*写真:和歌山県新宮市(2022年5月撮影)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?