なんでも因果関係で考えてしまうのは? 脳科学的仮説
哲学を勉強すると「世界に普遍的な原理」はない(原理的にわからないといった方が正確か)という結論に行き着くのですが、では
「そもそもなぜ人間はひたすら因果関係を求めてしまうのか?」
とついつい問いたくなってしまいます。
その答えは、心理学的には上記のカーネマンの「システム1の働き」だという知見。
そして脳科学的には脳神経学者のデイビッド・J・リンデンが「宗教」を題材に以下のように説明しています(「脳はいい加減にできている:8章宗教と脳」より)。
(上記2冊は全く同じ書物でした。知らずに両方買ってしまった!)
自分で意識しているかしていないかに関わらず、人間が宗教的観念を抱きやすいのは左脳の物語作成機能が常にオンになっているからだというのです。
「左脳は全く関係のない、わずかな知覚、記憶の断片、考えや事象をつなぎ合わせて物語を作ろうとする」というのだから、カーネマンのいう「システム1(反射的思考)」の特質と全く同じ。
例えば宗教は、元来お互いに無関係の知覚や思考をつなぎ合わせて物語を作るので、自然の法則とは異なるようになるし、個人個人、あるいは同じ宗教を持つ集団間で違ってくるのは当然だともいってます。
これは左脳の持つ物語作成機能の働きで宗教的観念が作られ、社会に広まっていく際にも同様の機能が働き、この機能は無意識に働くというのです。
そもそも人間の脳は眼球から送られたギクシャクした細切れの画像(30分の1秒単位「進化しすぎた脳:池谷裕二著より」)を編集し、信号が無視された部分は後から時間を遡って情報の埋め合わせをします。つまり、私たちは常に途切れ途切れの画像を常に途切れない「一貫した動画=ストーリー」として捉えられるよう脳が作る作業をしているのです。
「ストーリー(因果関係)」を脳が編集することにより、我々は「この世界」を認知しているということ。これはノーベル生理学賞受賞者のロジャー・スペリーによって始められ、マイケル・ガザニガによって引き継がれた分離脳の患者の研究(重症のてんかん患者への右脳と左脳を切断する手術をした人)や前向性健忘の患者への実証実験によりわかったことだそう。
私のテーマとなっている価値観=虚構は、脳科学的にも心理学的にも人間の宿命たる左脳の物語作成機能の発動によるシステム1の働きによって、そうせざるをえないという人間の性によるもの。
これは、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の「ホモ・サピエンス全史」における認知革命の原因を、脳の機能に還元して心理学的に解説したことにもなりますね。
*写真:北海道ニセコアンヌプリ