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『文化がヒトを進化させた』ジョセフ・ヘンドリック著   「その1」

<概要>

人間は遺伝と累積的文化の共進化によって進歩してきた」とし、その根拠についてさまざまな角度から解説した著作。

<コメント>

私は電子書籍で読みましたが、紙の書籍だと600頁以上に及ぶ大著。でも言ってることは<概要>の通りで至ってシンプル。

これまでの生物学では、人間含む生物一般は、有性生殖の結果などによる突然変異によって多様性のある遺伝子を保持しつつ、その時その地域の環境に合わせて、その環境に最もマッチした遺伝子を持つ個体が、自然選択によって選別され生存し、繁殖。

また環境が変われば同じように、新しい環境にマッチした個体が選別され繁殖し、というのようにその時々の自然環境の選択圧によって種が変化していく(種分化という)、というのが進化のプロセス。

そしてこれこそが、特定の種が生き残り、繁栄していく根拠だ、と言われていました。

ところが、著者ヘンドリックによれば「人間だけは違う」といいます。人間だけは種分化だけでなく、進化と文化進化の共進化によって繁栄している種だ、というのです。

確かに今に生きる「人間という単一種=ホモサピエンス」は、他の生物と違い「種分化」に頼ることなく砂漠だろうが、極地の厳寒の地であろうが、熱帯雨林の繁茂する湿気の多い熱帯であろうが、どこにでも適応して生きています。

著者はこの後天的に適応していく能力全般を「文化」と表現。

つまり、ここで著者がいう「文化」とは知的財産や個別の価値観・社会規範全般のこと。もしかしたら個別の環境に適応させて鍛え上げた筋力(=身体的能力)さえも文化といえる。ヘンドリック的には以下のように表現。

「文化」には、習慣、技術、経験則、道具、動機、価値観、信念など、成長過程で他者から学ぶなどして後天的に獲得されたあらゆるものが含まれる。

本書第1章

端的にいうと、先天的な能力が遺伝で、後天的な能力が文化

そして人間は、文化によって生み出された能力が、遺伝にも影響を与え、また新しくバージョンアップした遺伝子を保有する人間が、また新たな文化を生み出し、というように遺伝と文化が相互に影響しあって進化してきた唯一無比の動物。

具体的な文化進化の事例は下表の通りで「個別の案件についての詳細については各章で紹介しますよ」との建て付け。そして個別に読むとファクトに基づく説得力のある論が展開。

上下表とも本書第5章より

上表のうち、文化進化で個人的に興味深かった項目を以下紹介。

⒈文化として伝わる食物調理と共進化した人間の消化管

火の使用」という文化がなければ今の人間の体型はありえない体型。調理に火の使用ができなければ、小腸除く口や胃や大腸などの消化管は、今の形にはならなかったからです。なぜ小腸だけは、変わらないかというと、栄養分を吸収する仕事を担う小腸は、加熱調理は関係ないから。

加熱調理によって、人間の仕事が省けるのは、繊維質の多い根茎類などの植物を柔らかくしたり、無毒化したりすること。また、加熱によって肉のタンパク質も分解されるので、ライオンなどの肉食獣に比べてタンパク質を分解する労力は少なくて済む。そして殺菌ですね。これによって口は小さいし、胃も大腸も小さくて済むというわけです。

したがって火の使用がずっとできないままであれば、人間はモッっと胴長であったろうし、顔はチンパンジーやゴリラのように口が異常にデカくなければならない。

そして加熱調理によって効率的に肉から高カロリーであるタンパク質を吸収できる人間は、脳を大型化・高機能化。

ちなみに脳の消費カロリーは、身体全体の20%にも及ぶので、高カロリー食である肉が必須。そして肉は消化しやすいので食に要する時間を短縮できます(ゴリラは一生の半分以上が食べたり消化する時間)。

そして胃腸を小さくできるのでますます脳にエネルギーを費やすことが可能(肉食動物は一般に草食動物よりも胃腸が短い)。

さらに人間は、火の使用によってより効率的にカロリーを獲得することが可能になったのです。

上の本の著者、霊長類学者のリチャード・ランガムは、加熱調理は人類の進化に決定的な役割を果たしたと主張。ランガムは火を使わずに生きることを余儀なくされた歴史上の事例や現代のローフードムーブメントにおける研究など、火を使わずに生きる人間が生の食物だけで生きられるか否かに関する研究の文献調査を行ったところ、加熱調理なしには人間は数ヶ月以上も生き延びられなかったという結論に。

狩猟採集民は、子供の頃の一時期に火に興味を持つのですが、大人になれば、日頃使用していることから特別に火に興味を持つことは少ないのですが、現代人は、多くの子どもが子供の頃に火への好奇心を満たさずに大人になるので、ずっと火への興味を引きずらざるを得ないらしい。

確かに、自分含め私の周りでも「焚き火が目的でキャンプがしたい」という人が多いように感じます。

⒉自ら考え行動することの危うさ?

私の信条は「自由」なので「自ら考え行動することこそ今に生きる人間の最重要の行動姿勢」だと本書読後も思っていますが、一方で進化生物学的には、盲目的に伝統や年長者などの指導者に従うことこそ、人間が身につけた生きる知恵でもあるらしい。

確かに本書を読むと時と場合によっては、盲目的に伝統やリーダーの言いなりになるのも一理あると思われます。

⑴キャッサバは、毒抜き処理が必要

私たちには馴染みのない食物ですが、キャッサバというアフリカなどで今でも主要食物となっている根茎があります。キャッサバは、単位面積あたりの収穫量が極めて高く、その根茎には多くのデンプンが含まれているので「命の作物」としてジャガイモ同様、南北アメリカ大陸原産ですが、あっという間に他の大陸にも広がりました。

ところがキャッサバは実はやっかいな作物でもあるのです。キャッサバにはシアン配糖体という毒が含まれているので、私たちが安全に食べるためには解毒するための特別な処理が必要なのです。

ところがキャッサバの解毒処理には、特殊な方法が必要でしかも何日もかかる。これを怠ると何年・何十年も経てから特に子供たちに慢性シアン中毒の症状が出てしまう。

『文化がヒトを進化させた』第7章「信じて従う心の起源」

やっかいなキャッサバですが、問題なのは、そのまま食べてもすぐに中毒症状は出ないので、自律思考の強い自ら考えて行動するタイプの人は、なぜこんな面倒くさい処理をするのか長老に聞いても答えはもらえず(彼ら自身なぜかはわからない)「こんな無駄な作業は意味がない」として、やめてしまいがちです。

一方で、昔からの調理方法を何も考えずに盲目的に続けている人たちは、シアン中毒を避けることができる。

先祖代々受け継がれてきたやり方を信じてそのまま従おうとしないと、家族が病気になって早死にしたりする羽目になるのだ。この毒抜き処理に関しては、自分の頭で考えても良いことはない。直感的に判断すると誤った答えを出してしまう。その1番の理由は、因果関係のわかりにくさにある。

つまり、それぞれの手順にどんな意味があり、その手順を踏むと何がどう変化するのかということが、個人の頭では容易には推測できないのだ。キャッサバの毒抜き法のみならず、文化的適応の多くは因果関係がわかりにくいという事実は、ヒトの心理に大きな影響を及ぼした

(同上)

つまり著者が言いたいのは、伝統という文化進化は、私たちが自ら考えるよりもはるかに賢い文化的蓄積があり、伝統に盲目的に従いがちな私たちの性向は、あながち悪いわけではない、ということです。

進化生物学的には、継承された伝統を信頼する性向は、自然選択によって選ばれたから。つまり自分の直感や体験を重んじる個体は排除され、先祖伝来の習慣や信念など、蓄積されてきた知恵を信じてそれに従う個体だけが生き残ってきたということ。

他の事例も面白い

⑵トウモロコシに灰を混ぜて食べる

とうもろこししか食べないとナイアシンが不足するのでペラグラ(下痢、嘔吐を経て認知症に至る)という病気を誘発する。

→伝統的調理法:とうもろこしに灰(=アルカリ成分)を混ぜて、とうもろこしに含まれる結合型ナイアシンを分解して人間が吸収できるようにした。

⑶妊娠中の女性は、ウツボ・サメ・黒ハタは食べない

フィジーの風習の事例。上記の魚は体内にシガテラという毒があり、これらを妊娠中の女性が食べると母乳にシガテラが含有し、胎児に悪影響を及ぼすと言われています。

著者曰く

実は、何かをするのには、はっきりと説明できるもっともな理由がなければならない、というプレッシャーは、西洋の社会規範に過ぎない。

(同上)

という説を、著者自身西洋人として、文化進化の、”はっきりと説明できるもっともな理由”として主張(→面白い)。

それはともかく、ここのポイントは「模倣すべきモデルを選んで学ぶ」ことの重要性。

「何でもかんでも」というわけではありませんが、それなりに社会的に長い間評価されている知見であれば、知らんぷりするのではなく、自分の考えは一旦エポケー(思考停止)して、ちゃんと学んでみることも必要だということ。

何らかの価値ある知恵が含まれているかもしれませんから。


以上、本書に関しては、内容多過ぎてまだまだ紹介しきれないので、何回かに分けて整理したいと思います。


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