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「反穀物の人類史」穀物によって人間を家畜化した国家
⒈穀物の人類史
今回は「人間の家畜化」のもう一つのパターン
原初国家における、人間(支配者)による人間(被支配者)の家畜化
について。
本書タイトル「反穀物の人類史」とは、我々が普段慣れ親しんでいる国家を主体にした歴史を「穀物の人類史」とし、その裏には「反穀物の人類史」があった、という意味。本書タイトルの「反穀物の人類史」に関しては、また別途展開するとして、今回は「穀物の人類史」の方を紹介。
国家誕生には穀物がキーになったといいます。穀物によって人間(支配者)が人間(被支配者)を家畜化できたからです。
で、紹介した通り、以下の二つの国家誕生の仮説のうち
従来の説:農耕 →余剰農産物→タテの人間関係
本書の説:乾燥化→食料の逼迫→タテの人間関係→余剰農産物=税
⒉奴隷という人間の家畜化
本書の説は、生物学的な生き残り戦略として解釈すれば、農作業をせず、農作業を管理する立場の人間が、被支配者(臣民)を家畜化して強制的に農作業させる。
そうすれば、生産性を向上させ余剰生産物を税として徴収した共同体だけが、乾燥化という過酷な環境の中で絶滅せずに生き残る、ということ。
国家は「飼い馴らした」臣民の数と生産性に常に焦点を当てていて、それは羊飼いが群れに世話をし、小農が作物の手入れをするのと変わらなかった
そしてこの人間の家畜化戦略は、16世紀以降の西洋列強による植民地主義も同じ原理だといいます。
人を集め、権力の中核近くに住まわせ、その場所を離れさせることなく、必要を超えた余剰物を生産させるという原則・・・世界やフィリピンなどでスペインの植民地主義を導いた原則でもあった。16世紀以降のラテン・アメリカでイエズス会が設置した原住民教化集落は、スペインの勢力が放射上に広がる中心地に先住民を(たいていは強制的に)集住させるもので、文明化プロジェクトの一環としてみられたが、それは同時に、コンキスタドール(征服者)に奉仕して彼らを食べさせていくという、決して小さくはない目的を果たすものでもあった
確かに、人間にとって最も優秀な役畜(労働力として利用する家畜のこと)は、ウシでもウマでもなく「人間」。
人間なら、家事洗濯から農作業・運搬、そして農地管理などの知的労働まで、なんでもできます。アリストテレスもプラトンも役畜としての奴隷あってのアテナイ市民であって、彼ら自身これを当たり前のこととしているし、奴隷なくして哲学を語る余裕はありませんでした(アテナイ人口の60%以上は奴隷でギリシア語圏外の戦争捕虜)。
アリストテレス流にいえば、奴隷の最高善は役畜としての能力(アレテー)を最大限発揮すること、か。
そしてAD1800年になるまで、世界人口のざっと4分の3は束縛されて暮らしていたらしい(アメリカのジャーナリスト、アダム・ホックシールド)。
(なお、奴隷制度自体は中南米インディオの事例など国家に関係なく存在していた)
⒊穀物なくして国家なし
そして人間を家畜化するにあたって、なくてはならなかったのが税としての穀物。というか穀物なくして国家は成立しなかったと著者は主張します。
古代の最初の主要穀物国家ーメソポタミア、エジプト、インダス川流域、黄河ーの生業基盤はどれも驚くほどに通っている。すべて穀物国家で、コムギやオオムギ、黄河の場合は稗や粟などの雑穀を栽培していた。
それではなぜ穀物が原初国家(というか現代先進国以外の国家は皆同じ)成立にとって必須アイテムだったのでしょうか? 理由は以下。
(1)収穫時期が同じタイミングだから
穀物が「地上で育ち、ほぼ同時に熟す」ということは、それだけ徴税官は仕事がしやすいということだ。軍隊や徴税役役人は、正しい時期に到着さえすれば、1回の遠征で実りのすべてを刈り取り、脱穀し押収することができる
(2)ほぼ無制限に分割可能だから
砂糖や砂の粒と同じで穀物はほぼ無制限に分割可能だから、経理上の目的でどんどん小さく分けていけば、重量・体積で正確に測ることができる。穀物の単位が交易や献納のときの計量と価値の基準になり、それを基にして、ほかの商品の価値も計算された。これには労働力も含まれていて、メソポタミアのウンマでは、最下層の労働者への日々の食糧配給は、ほぼ正確にオオムギ2リットルだった。計量に使った傾斜付きのわん型土器は、考古学遺跡のどこででも出土するものの一つだ
(3)大量輸送が可能だから
荷車で運んで利益の出る距離はほかのどの食品よりも大きかった。水上輸送が利用できる場合には、大量の穀物を相当遠くまで運ぶことができたので、初期国家が支配して税を抽出したいと思う農業の中心地が大きく広がった
このほか「カロリーが高くて保存しても腐りにくい」というのは重要な要素かもしれません。ただしキャッサバやタロイモなどのイモ類、レンズマメやヒヨコマメなどの豆類も同じくカロリー高くて保存しやすいのですが、穀物との決定的な違いは、これらはいつでも収穫できてしまう、そして芋類は地中に埋まっているので隠せちゃう、つまり「徴税しにくい」という決定的な問題があり、キャッサバ国家もヒヨコマメ国家も誕生しなかったといいます。
⒋「戦争」と「文字」と「壁」が国家を補完する
(1)戦争は奴隷狩りが目的
もともと戦争は「奴隷狩り」が目的で、不足する人的資源を補充するために戦争に出かけたといいます。
沖積層での戦争の大多数は。強大で有名な都市政体同士のどうしのものではなく、そうした有力政体が自国の後背地にある小規模な独立コミュニティを征服して労働力を増強しようとした小規模戦争
古代ローマ帝国のカエサル主導のガリア戦争では100万人近い奴隷を確保できたといいます。
塩野七生の数多ある歴史エッセイを読んでも、ローマはもちろん、ベネチアやジェノバなどの中世海洋国家に至るまで、ほぼ全て最も重要な戦利品は「奴隷」。奴隷ほどの有用な役畜は、ないからです。
産業革命以降、機械化が世の中に浸透するまで、基本全ての産業(農業・漁業・牧畜業・鉱業など)が超労働集約産業なわけだから、人間(支配者側の)にとって最も重要な役畜は「奴隷」というのはうなづけます。
(2)効率的な徴税のために「文字」が発明された
徴税するためには徴税する穀物の原資となる土地が「見える化」されていなければなりません。満遍なく余すことなく農地を記録して、穀物収穫時には記録に基づいて徴税官が各地を回り、もれなく穀物を徴収するわけです。なので
多くの農民反乱で最初に行われるのは、そんな書類が置いてある地元の記録事務所を焼き討ちすることだった。
となります。文字は中国の亀甲文字のように祭祀のためだと私は思っていたのですが、それはもっと後で、効率的な徴税のツールの一環として発明されたというわけです。
国家行政と文字とのつながりの強力な論拠となるのは、メソポタミアではほぼ簿記目的だけで文字が使われていたらしいということで、それから5000年以上も経ってから、ようやく文学、神話、賛歌、王の名の一覧と血統、年代記、宗教上の文章など、文字と聞いて思い浮かぶような文明の栄光が反映されるようになる。
中国の書き言葉「漢字」も、秦の始皇帝が、バラバラだった漢字を「篆書」に一本化したことで、中国は今に至るまで基本的に書き言葉は同じ文字です(繁体字・簡体字・日本の漢字などに若干枝分かれしてますが)。
(3)脱走者防止のための「壁」
国家が国境線に造る壁は、一般的には侵略者からの強奪や征服を防止するため、と考えられていますが、同じくらい重要なのが脱走者の防止。中国学者オーウェン・ラティモアは、
中国の万里の長城をつぶさに観察したうえで、長城は野蛮人(遊牧民)を入れないためと同じくらい、国内の納税者、耕作者を外に出さないために築かれたのだとした。つまり都市の壁は、国家の維持に不可欠なものを外へ出さないことを意図していたのだ。
以上、国家は穀物を媒介にして成立するというのは、日本でも江戸時代の米をベースにした制度に鑑みても、世界普遍的なセオリーとしか言わざるを得ません。
*写真:山形県酒田市 庄内米歴史資料館(2020年撮影)
日本の江戸時代も典型的な穀物国家ですね