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『再考 ファスト風土化する日本』三浦展著 読了

<概要>

戦後のアメリカ的な近代化(モダン化)の一環として地方で消費環境が均一化したことを「ファスト風土化」と称した一方、コミュニタリアニズムをベースにしたポストモダン的な多様性が都市を中心に芽生えていることを紹介しつつ、ファスト風土の次の消費環境の可能性を紹介した著作。

<コメント>

過去に大阪都構想は、

都構想を推進する「啓蒙主義者」と、都構想を阻止しようとする「コミュニタリアン」の戦い

と紹介しましたが、

啓蒙主義(=近代化)の地方における類型が、著者の問題視する「ファスト風土」です。一方で著者が志向するのは、コミュニタリアンとしての都市におけるさまざまな類型。

この類型は、江弘毅著『街場の大阪論』における「街場」の概念に近いように感じます。街場は「ファスト」という概念の対極としてのスローフードの「スロー」という概念がぴったりです。

【啓蒙主義者が象徴する空間】 ⇒ファスト風土
郊外・ニュータウン・チェーンストア・コンビニ・ファミレス・ショッピングセンター(モール)など

【コミュニタリアンが象徴する空間】⇒スロー風土
個人経営のレストラン・居酒屋、商店、麻雀店、歴史の古い市場(豊洲市場よりも築地市場)など

著者三浦展の主張は、無味乾燥な均一化された「ファスト風土」から脱却して「街場」的な「スロー風土」を復活させよう、ということ。

そして今は、アバターが活躍するサイバースペースが生まれ「仮想風土」ともいうべきデジタルな風土が醸成されつつあるように感じますが、既にこっちのほうにいっちゃってる人も多いのでは、と思います。

⒈ファスト風土で均一化した地方

わたし自身、リアルとしての日本国内外をフィールドワーク中。国内に関してはこの4年間で、奈良県⇒大阪府⇒和歌山県⇒三重県を順に自転車を活用して実感してきました。

そして現段階で感じつつあることは、地方は旧街道の宿場町や城下町・神社仏閣を中心にした門前町など、過去の遺産には「風土」的な地方の特色が感じられるということ(以下はその一例)。

一方で視点を「現代」に切り替えると、大げさに「風土」といっても、地方はどこに行っても「似たような風景と、似たような生活環境だな」という印象。

個別にその風土を紹介するようなものは多くはありません。地方の現状を、わかりやすく乱暴に表現すると

「自宅と仕事場とイオンモールを車で移動するだけの社会」

そんな私の印象を、著者は「ファスト風土化」と称し(2004年)

大型店の出店規制が事実上解除された近年、日本中の地方のロードサイドに大型商業施設が出店ラッシュとなり、その結果、本来固有の歴史と自然を持っていた地方の風土が、まるでファストフードのように、全国一律なものになってしまっているのではないか

本書「はじめに」

と問題提議。

社会学者の轡田竜蔵が、2017年の広島県の20-30代を対象にした調査では

大型ショッピングモールやロードサイドショップの求心力の強さ、すなわち「利便性」によって一般的な地域満足度の大半の部分が説明できてしまうということが明らかになった。

本書 第2章

これを轡田は「大きなコンビニ」と称し、

若者、そして団塊ジュニア以降の子育て世代にとって、ファスト風土は好きとか嫌いとかいう問題以前に、国土全体に広がったインフラだと考えられているという出発点を確認する必要がある。

同上

とし、すでに地方においてはファスト風土は当たり前の世界といってもいいかもしれません。

一方で都市で見られるような多種多様なスロー風土は、地方では旧市街地がその役目を担っていました。

が、アメリカ的な近代化に伴うモータリゼーションとアメリカの外圧に伴う大型店の規制緩和などによって衰退。

わたしもこれまで旧市街で当たり前のようにシャッター街が広がる景色を、さんざんみてきました。

⒉ファスト風土=近代化の効用

著者のネガティブなイメージの「ファスト風土論」ですが、わたし的にはファスト風土はポジティブなイメージです。

著者の主張するファスト風土の問題点は以下の通りで、「著者自身エビデンスはない」とエクスキューズしているものの、これらデメリットを上回るメリット=利便性があるからこそ、ファスト風土化したともいえます。

⑴世界の均質化による地域固有の文化の喪失
⑵環境・エネルギーへの負荷
⑶繰り返される破壊による街の使い捨て
⑷流動化と匿名化による犯罪の増加  ⇒ 著者自身が撤回
⑸大量浪費空間の突如出現による現実感覚の変容
⑹手軽な大量消費による意欲の低下
⑺生活空間の閉鎖化による子供の発達の阻害
⑻地域文化の空洞化によるアイデンティティ危機から生まれる安易なナショナリズムの拡大

本書 序章

ファスト風土は、ある意味、利便性を追求した結果の市民の望むべき姿が集積された風土で、近代化がもたらした私たちの幸せの一つ。

具体的には、工場において進展したベルトコンベア革命を、流通業に適用。チェーンストア理論によって品質をともないつつの劇的な低価格を実現し、モータリゼーションに即した立地と店舗設計で消費者に、利便性の高い環境で、お値段以上の商品を提供。

これまで買えなかった欲しいモノが、ありえないような低価格で、しかも自宅の近所で買えるようになったのです。

その反面、スローな商品や店舗は、あっという間に衰退・消滅。

⒊近代化の先にあるもの⇒「スロー風土」

一方で、近代化というプラットフォームの上に、なんらかの文化的な魅力が醸成されないと私たちの更なる幸せはやってきません。

近代化以前の生活は、地域をまたがった幅広い情報の交換が少なく、濃密で閉じたコミュニティだったので、地方ごとに特色あるローカルな文化(言語、宗教、慣習、衣食住)が育まれていました。

ところが近代化は、非効率で迷信的なローカル文化を破壊し、効率的で科学的な世界をもたらしたのです。

反面、近代化以前の社会が持っていた古き良き風土は解体され、狭い人間関係がもたらした濃密なコミュニティとしての生産空間(農作業等)や消費空間(商店街)は衰退してしまって、コミュニケーションの希薄な匿名社会が出現。

このような失われた「スロー風土」を、例えばイタリアのスローフード運動(1986年)や「テリトーリオ(※)」という考え方のように、新しい形で復活させようというのが著者の主張です。

※テリトーリオ
都市とそのまわりに広がる田園/農村は本来、経済社会的に密接なつながりをもち、互いに支え合って、共通する文化的アイデンティティをはぐくんできた。そこには当然、山や丘、川や海などの自然・地形が基礎にある。こうした広がりを持つ全体をテリトーリオと呼ぶ。

本書 第10章(陣内秀信)

⒋スロー風土をはぐくむ都市

一方で都市においては先述した「街場※」的なスローな風土が育まれ、ファスト風土だけではない、新たな空間の創造に成功しています。

※街場とは
「知らない人なのに知っている人が多くいる場所」
のことで、例えば声はかけあったり、居酒屋で談笑する仲だけど、実はお互いどんな人か知らない、みたいな「緩い空気感みたいな場」のこと。したがって自然に街ができて商店街ができて、緩い交流があって、という空間。なので地方の町みたいに「誰でも知合いです」みたいな濃厚な人間関係とも異なる空間。

都市圏は、地方と同様のファスト風土という近代化の恩恵を基盤としたうえで、エリアごとに多様な風土を醸成しています。「自宅と仕事場とイオンモールを車で移動するだけの社会」ではありません。

山の手・下町・ビジネス街・歓楽街・都市公園・湾岸などのエリア的な特徴に加え、イオンだけではない多種多様な大型商業施設・テーマパーク・劇場やミュージアム・昔ながらの商店街・本の町・電気の町・オタクの町・外国人の町など、大量生産・マニュアル等では実現できないニッチでスローな風土が醸成され、様々なコミュニティをはぐくんでいます。

交通手段にしても、車はもちろん、徒歩・自転車・鉄道・バス・モノレールなど、多種多様な交通手段があって使い分けも可能。

しかしこのようなスローな風土は、巨大な人口を抱え、富裕層も多い都市だからこそ成立する風土です。

ニッチでマニュアル化されていないものは、マーケットが狭くコストも高いので、人口集積の低い地方では成立しません。

⒌地方のスロー風土の可能性

本書では地方における「スロー風土」の可能性として先述のイタリア「テリトーリオ」の考え方や、「センシュアス・シティ」の考え方が紹介されています。

センシュアス・シティ(官能都市)とは、その都市の住民が「その街への帰属意識」「街中の外食への共感」「街中でのデートや散策の頻度」「緑豊かな自然」「芸術文化へのアクセス頻度や感動度合い」などの指標が高い数値を表す都市のこと。

特にセンシュアス・シティランキング1位の金沢市は、自然環境や豊かな食文化や芸術文化、豊富な文化遺産などの魅力がいっぱいの都市です。私も何度か訪れてそれは実感しました(詳細は以下参照)。

このような島原万丈のいう「センシュアス・シティ」は、人口数十万人を抱える地方都市を対象にした提案なので、ファスト風土が蔓延する地方とは若干立ち位置が違うかもしれませんが、特に「食」から考える地方創生は、一つのヒントになるのでは、と思われます。

個人的には、地方は「観光」をキーワードにしたスロー風土的展開が有効のように感じます。

観光は、近代以前の社会で培われたローカルな有形無形の文化(方言・祭り・旧市街・食・城跡・神社仏閣など)を活用することができます。そして観光業は女性の職場を多く提供してくれるので、女性が住み続けてくれれば、その子供たちも増える可能性もあるなど、街のコミュニティも活性化され維持もしやすい。

観光業は、どこに行っても同じようなモノコトでは成立しません。地域ごとに「ここしかない」を提供する必要があるので、結果的にオリジナルな風土を醸成するしかないからです。

観光業は、雇用を創出し副次的に住む人たちの生活環境を豊かにし、スロー風土的な魅力も復活させる一挙両得の産業といえるのではないでしょうか。

⒍「ファスト&スロー」の魅力ある風土への転換

本書第2章「ファスト風土暮らしの若者論」で紹介されている轡田竜蔵の主張では

ファスト風土暮らしが若者にとって幸福かどうかが一義的に重要なのではない。大切なのは、そこに暮らす者が自律的に「ファスト」と「スロー」のギアチェンジをできるのかどうかである。

本書第2章

とのように、わたしたちは、むしろファスト風土がもたらした利便性を捨てるのではなく、その利便性を担保したうえで、それぞれの風土を加味すればよい。

地方であれば豊かな自然環境を生かしたイタリアの「テリトーリオ」のような農村と一体化したまちづくり、ローカルならではの文化を生かした観光産業の育成。

都市であれば、さまざまな嗜好の集積と街場の情勢やテクノロジーを生かした未来都市の創造、という方向性です。

地方 → ファスト風土 + ローカル文化と自然
都市 → ファスト風土 + 多種多様な街場


*写真:天狗倉山から望む三重県尾鷲市(2023年4月撮影)

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