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日本とは何か?

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日本列島における人間の営みについて思想を軸にした書評中心のライティング。
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#廃仏毀釈

「京都の風土」なぜ金閣は燃えたのか?『金閣炎上』

<概要>金閣寺を放火した犯人の修行僧、林養賢が、犯罪を犯すに至るその背景を出生から親子関係から、師弟関係まで精密な取材をもとに描いた小説的なスタイルをとったノンフィクション。 <コメント>梅原猛著『京都発見』で、金閣寺の放火に関しては、三島由紀夫の『金閣寺』よりも水上勉の『金閣炎上』を読むべし、と書いてあったので、遅ればせながらエジプトからの帰国後に読了。 本書は、金閣炎上に至るその要因もとても興味深いのですが、むしろ、昭和初期から戦後にかけての京都の寺院や丹波地方の社

なぜ神と仏は合体したのか?「神仏習合」書評

<概要> 古代以降、元来、基層信仰(神)を保有する日本が、社会環境の変化の枠組みの中で、どのように普遍宗教(仏)を受容し、活用し、変容させていったのか?戦国時代までの流れを簡潔に解明した著作。 <コメント> 奈良のお寺を回っていると「廃仏毀釈」の名の下に仏像が破壊されたり、寺そのものが消失してしまったりと、明治政府は、タリバンがガンダーラのバーミヤン遺跡を破壊したり、中国共産党が文革時代に仏像の首狩をしたり、と同じような酷いことをしてきたんだな、と思います。 我々現代に生

なぜ神と仏は分離されたのか「廃仏毀釈」について

「なぜ神と仏は分離されたのか?」 その答えは 「明治政府が神(と天皇)を利用して日本という近代国家を創造したかったから」 となります。 神と仏が分離されたことに伴う悲劇「廃仏毀釈」について、今回は最後に紹介した新書2冊を中心に読んでみました(2冊読むとさまざまな地域の廃仏毀釈の実態がわかり、興味のある方はセットでの通読をオススメ)。 日本列島では神仏習合といって「神と仏が合体している姿が、古代から江戸時代にかけて1,200年間続いた日本の宗教の姿」でした。そして基本

熱心な仏教徒だった天皇家の神仏分離

天皇家=ヤマト政権は、もともと仏教を列島に取り入れた張本人であり、以来明治政府が神道国教化するまで、6世紀以来1,300年間、ずっと熱心な仏教徒でした。 これも日本史を紐解けば、当たり前と言えば当たり前のことですね。ところが明治時代以降、神仏分離によって天皇家自身が神格化され、現人神に変身してのち敗戦→「神から人へ」という流れ。 ■菩提寺は、泉涌寺それでは仏教徒時代の天皇はどうだったかというと、非常に熱心な仏教徒だったのです。菩提寺は、今でも御寺(みてら)と呼ばれている「

「廃仏毀釈」という松本藩主の忖度(改訂版)

本書によれば、松本市は、鹿児島や高知、水戸などと並んで、激烈な廃仏毀釈運動が展開された地域。 その要因は、もともと徳川家一族だった松本藩最後の藩主、松平(のちに戸田)光則の、お家存続をかけた必死の維新政府への忖度がもたらしたもの。そのおかげかどうかはわかりませんが、戸田光則は、維新政府から初代松本藩の知藩事に任命されます。 松本の廃仏毀釈の激烈さは過去に紹介した、破却率100%の鹿児島にはさすがに及びません。 しかしながら、松平戸田家の菩提寺だった全久院はじめ、164あ