部屋から海を見ながら次の1年に向けて!
お久しぶりです。
前回の投稿から1年経ちました。
あれから、私&子供達との宮崎移住生活は快適に進んでおります。
さて、今日はね、年末年始の保育園の冬休みが終えてやっとチビ2人が保育園に行ったのです。
さあここから私の2024年は始まる。
改めて、新年2024年よろしくお願いいたします。
早速、今日は何をしているかというと、子供達のために「聴覚障害児童」用の教材(資料?)を作っています。
ここで言うのは初めてですね。
衝撃的なことを言いますが、
子供たちが2人とも「聴覚障害」でした・・・・・・
以前のブログで、神奈川県の療育センターで診断され息子は発達障害と書いていましたが、移住した宮崎県で療育センターを新規として受診したところ、引っ越してきた人は新規扱いでここでのカルテも新規として作るので色々な検査も改めてさせてね!とのことで、
信じられませんが、耳の聞こえがないと発覚しました。
その流れで、まさかと思い妹も検査したら、妹も聴覚障害が発覚しました。(すぐに妹も検査をお願いしてよかった。)
神奈川県の療育センターでも、もちろん聴力検査は行っていました。
大変美人な若い先生が行ってくれましたが、「20dBは確認が取れた」、「聞こえはある」、など検査結果としてまとめていただきました。
そして、その検査結果をみた療育センターの医師が最終診察で「聞こえがある上で呼んでも振り向きがないので自閉症傾向」という診断を出し、そこから1年は神奈川で自閉症の訓練をさせていました。
送迎して、調べて、必死でした。
でも、なんだかちょっと普通と違う、成長がやはり遅いのかな、と感じたため、子育てのためもあり宮崎へ移住した、ということでした。
え、これって、誤し(ん)・・・
と言っては問題になってしまうかもしれませんが、
うん・・・・・。はい。
モヤモヤする気持ちはまたゆっくりここでも整理して行きたいですが、聴覚障害が分かったその日から、過去の検査を恨んでいる(笑)時間なんてなく、「うわあああああ」と半狂乱になりながら(笑)
この1年間、育児をしてきました。
難聴とも呼びますが、
うちの子供達は中等度難聴。
障害者手帳(6級)を手続きしてもらいました。
サイレンやインターホンの音は聞こえるけど、人の声がけは聞こえないくらいの聴力です。
少しは聞こえるならよかったねと言われることもあるのですが、残念ですが、「脳が言葉を理解できる」レベルの聴力ではなかったため、言葉を話すことができなかったのです。
そんな、聴覚障害発覚と、それに伴う様々な手続きや、療育の手配・・・。支援学校への通級や手話の勉強・・・。
「宮崎移住海沿いキラキラ&東京の街キラキラの2拠点LIFE」(長い)を目論んで移住してきた1年目に、
まさかの恐ろしいほど膨大な新プロジェクト「発覚の遅れた難聴児2名を見ず知らずの街で育てよ!」がひろみ34歳シンママにぶち込まれた2023年であった。
やばいくない。
すごかったな・・・
夏頃にさすがに心身疲れて体調崩しましたが、そのくらいで済んで、良く自分耐えたなと思えるくらい激しい波に乗った年でした。
よく泣き、よく絶望する私ですが、こうして冷静に書くとね、
いや逆に私ってメンタルめっちゃ強いよね、って思うの。
じゃない?笑
宮崎のキラキラの海、あったかい日差し、美味しい野菜、歩いて海に行ける自由さ、車でちょっと遠出できる自由さ、道に生えているヤシの木ののびのびしたフォルム、空気中にいい栄養が漂っているような毎日美しい空。
だからここに呼ばれるように移住してきたのかな、とも思う。
耐えられる・・・w
ギリギリ、この環境が私の心を充電してくれるw
私の人生って、もし私が生まれるときに自分で脚本を書いたんだったら、いい線ついてくる!
大変だけど、やりがいがあって、
倒れそうだけど、倒れないw
それで目一杯、体も心もいっぱい成長して感動して。
端から端までを魂でなめ尽くして謳歌したいんじゃないかな。
たった1回分の人生だもの。
こうして書きながら感じると、全部大丈夫だとわかる。
子供達とこの旅を楽しんでいるのだと。
ずっと頭だけで考えると、頭はありもしないことを考えるから、不安に襲われることもあるんだけどね。
私にとっては、こうしてツラツラと書くことは、自分の心を開く時間になるみたい。時々、「ゾーン」に入れるような瞑想的な時間のようだわ。
またここで会おうね。
本日の最後に、
年明け胸を痛めるニュースが続きましたが、一刻も早く落ち着いた生活を取り戻せるよう心からお祈り申し上げます。
被災した場合、簡易トイレがあると便利とのことで、まずは私たちも自分たち用の災害用簡易トイレなどこの機会に準備しました。