衝撃的な「ヤバい宗教」仏教
知らない、あるいは思い込みというのは恐ろしい。
自分の中で身近だと思っていた仏教。寺社仏閣何でもかんでもとりあえず「南無阿弥陀仏」と拝んでいれば心の平静は保たれ、「何かor誰か」が困った状況にある自分を救ってくれるあるいは救われるものだと思っていた。
一切皆苦、この世はすべて苦であり、自分を自分で変えられると思うのは勘違いであると、「禅僧が教える心がラクになる生き方」(南直哉著、アスコム)では、仏教を「ヤバい宗教」だとしている。なかなか衝撃的だ。
祖父母が「ナンマンダブ、ナンマンダブ」と、仏壇や近所の寺で祈っていた姿を思い出すが、仏教をそんなふうに「救いようのない」ものと分かっていたのだろうか。
実体がない自分なのに生きていかなければならないのが自分であり、悩みという諸問題に対しては対峙する以外解決の道はない、と断じている。(アドラー心理学的?)
押し寄せる憂いに対して敢然と立ち向かう力があればあまり困らないのだが。
そう、少なくとも今はその力が足りないから困っている。
この本を読むと、巷に言う「本当の自分」とか、いわゆる「自分探し」が馬鹿げて見える。自分を決めるのは他人。そうかもしれない。特に会社員の場合、自分の評価や給料を決めるのは他人だからな。
一方、何に苦しんでいるのかを、書き出して説明してみろと言われると「うっ」と詰まることがある。モヤモヤは続くのだ。
太古の時代も人間の苦しみの総量は現代に生きる我々と同じだと聞いたことがあるが、人間(の心)はかくも面倒なものなのか。
で、この本を読んで仏教が厳しいものだと分かったのだが、今から毎週教会に行くわけでもなく、さりとて熱心に読経してみるわけでもなく。よってなかなか救われないのだ。
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