
久々にスティービー・ワンダーをきいてみる
20年くらい前に買った、BALLAD COLLECTIONというCDをプレイヤー、ではなくパソコンのCDドライブ(これももう少数派)に入れて聞いてみる。
生まれてすぐほとんど視力を失ったとwikiには書いてある。どのバラードも美しく、音楽を楽しめる環境にあることに感謝の念を抱く。
高校時代にギターのすこぶる上手な友人がいた。週末にはギターを持ってウチに遊びに来て飲みながらセッションした。(飲んでいたのは高校時代ではありません、いちおう)
もっとも、彼の音楽センスとテクニックはプロ級でこっちはただただ、邪魔にならないよう、指定されたコード進行を鳴らすので精一杯だった。上手な人はこちらの技量を分かっていて、自分の拙い演奏を傷つけるどころか、さらに気持ちよくさせてくれる。こういうのを卓越した技と呼ぶのだろう。
それで思い出したが、やはり高校で柔道のすこぶる上手い人がいた。体育の時間、彼に投げられると、瞬時宙を舞い、知らぬうちに畳に打ち付けられる。だが受け身も習った通りに自然とできるし全く痛くない。むしろ心地よさが残る。これが組み手が変わって下手なヤツ(ほとんど全員)と技を掛け合うと、投げるほうも投げられるほうもすぐに擦り傷ができてしまう。
ギターの友人のハナシに戻る。
いつものように週末、音楽三昧で過ごしていると、何の拍子か彼が聞いてきた。
「もし、見えない、聞こえないを選ばなければならないとしたらどっちをとる?」
不謹慎なのはわかっている。
わかっているが若い時、そしてそうした立場の人が近くにいた経験がなく、慮れない時にはありがちな話だ。
「見えないのはいやだ」と、自分が答えると彼はすぐさま、「聞こえないのはいやだ」と。
音楽のプロは聞こえないという選択はないのだと思った。(その後彼は本当にプロのギタリストとなり活躍している)
そういえば、聴覚障害を持つ作曲家の作品が実はゴーストライターによるもので、聴覚障害も怪しいとされた人が一時話題となった。本当なら二十年近く「聞こえないふり」をしていたことになる。「見えない、聞こえない」よりも、事実と異なる「ふり」をするのが最もつらいかもしれない。
スティービー・ワンダーのこのCDは、You Are The Sunshine Of My Lifeに始まり、To Feel The Fineに終わる18曲入り。Latelyという曲がなかなか切ない。「彼女がパヒュームをつけて理由もなく出かけていく、帰りが遅くなるかはわからないといいながら」
7年前の引っ越しで、200枚に減ってしまったCDを、外出ままならないなか、聴きこんでいる。