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東京って「03」じゃないの?!(代ゼミForever)

子供が「郊外」の大学に通っている。
コロナの影響で授業もリモート、対面を行ったり来たり。結局定期券は買わないままだ。
自分も38年前、学校は異なるがやはり「郊外」の学舎へ片道1時間半以上かけて通った。
その少し前の浪人時代を思い出す。

通ったのは代々木ゼミナール、通称「代ゼミ」。「日々是決戦」「親身の指導」の貼り紙が懐かしい。浪人だったので本科生として朝から授業を受ける。その他にも夏季、冬季、直前講習など山ほど対策講座があり、もちろん全て参加したわけではないが、親には散財させてしまった。予備校生は、「日々是集金」などと軽口をたたいていた。

東横線沿線に住む祖父母の家に居候させてもらい、代々木まで通った。神奈川の実家から通えたが往復の時間がもったいないと思った。最初は実家近くの大船にも分校ができたとあって、近くてよかったのだが、生意気にも、「本校でないと受けられない授業がある」などと言って「東京住まい」となった。

予備校での授業を終え、夕方の祖母の買い物に付き合い、夕食を共にする。祖父は受験生に気を遣ってか、聞こえにくいだろうにテレビの音を小さくし、「バナキュー」(バナナときゅうりのマヨネーズあえ)をよく作ってくれた。栄養も考えてくれたのだろう。静かに流れる、ありがたく豊かな時間だった。

昼食は弁当だ。南新宿の踏切近くに六大学弁当屋があり、東京、早稲田、慶應、明治、立教、法政の名前の付いた弁当を売っており、あからさまな内容差と価格差がついていたのはご愛嬌。今ならとやかく言われそうだ。
https://www.monosus.co.jp/posts/2017/05/222500.html
弁当屋と思っていたら定食屋だった。今でもある模様。(ラインナップはずいぶん増えた)

1年間の予備校生活の結果は散々だった。私立を五校受験。自分で勝手に松竹梅をつけていたが、下から二番目と思っていた大学一校だけ合格通知が来た。安全校だと思っていたところに落ちた時のショックは尋常ではなかった。なめたらいかん、と後悔。

大学受験は一生の中でも根を詰めてしっかり学ぶ時期であることは間違いない。自分で能動的に取り組んだことだけが、確実に身についていくということを思い知る時期だ。あれから38年。今の自分に何が残っているだろう。そしてその後、身についたものは何だろう。

ところで1校しか合格しなかったのは相当ショックで、東京の郊外、西の方まで大学へ通ったが、目黒区の祖母の家に電話を掛けるときに、「03」が必要だと知った時も大きなショックだった。

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