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二十九歳のときに書いた文章が出てきた
ので、まあ若干青臭いんですが夏本番が来る前に供養させてください。
昔はよく音楽を聴いていた。
そのバンドを知ったのは友人の家で音源をもらったときだったと思う。
まだ他人のiTunesから簡単に曲を移せた時代。
良かれと思って勧めてもらって少し聴いたものの「いやどんだけ暗いんだよ」と笑った。
そのまま半年くらい経った。
気候の良いある晴れた日。十年ちかく前、平日午前十一時、
午後登校っぽい私学の小学生の後ろに並び
電車を待ちつつシャッフルで聴こえてきた歌詞に急に引き込まれた。
古びた団地の陰が伸びる
荒れ果てた花壇飲み込む
子供がペンで書いた墓標
吹き曝しの無常に花も咲かねぇ
風来のカラス水遊び
タクシー会社の駐車場
錆びたフェンスが路上に朽ちて
この街の裂傷跡みたい
平日午前中、目に入る平和な風景と、耳から入ってくる寂しい情景。
おそらく山頂で吸う煙草のような。
真っ白い紙に黒いインクをぶちまけるような。
高層マンション最上階の廊下の電球が点滅しているような。
気候良く晴れた今日に一石を投じるような、しかし不思議と肯定感を感じた。
夢こそが最大のメシアだと
それを流布する誇大妄想狂
願えば叶うよ叶うよ叶うよ
うるせぇ背後霊 才能不在
厭世的な歌詞でありながらも、うるせえと反発する。
誇大妄想狂だの背後霊だのメシアだののあからさまな皮肉と怒りが、
等身大の人間らしさを感じ、まあなんか、それでいいんだよなと思った。
曲のタイトルは「ポルノ映画の看板の下で」
これを作った人がキレながら書いた歌詞ノートはきっと
筆圧が強すぎて裏にまで完全に凹凸が出てるだろうなと思え、そこからずっと曲を聴いてライブに行っている。
amazarashiというバンドだ。
聴き始めた当初に比べ秋田ひろむさんの筆圧はずいぶん穏やかになった。
それでも握る鉛筆の芯の濃さは変わらない。
もう一つ、好きなバンドがある。
ノスタルジーに泣いた
二十代終焉の夜の歌
出だしの歌詞でここまで引き付けられることがあるだろうか。
この曲絶妙なライド感が心地良く、二十三時ごろから深夜一時までの間によく聴く。
イントロから遠くでバイクが走ってるような夜中っぽい音。
この音だけでこの曲は夜に聴くもんだと感じる。
歌詞じゃなく、音が聴き手に具体的な風景を見せる体験。
サビ「僕のドーナツto the 輪になってdo it」という詩は三回産まれ直しても思いつかないと思う。
突然ハイテンションになる歌詞に置いていかれる。
ノスタルジーに泣いていた我々は天津飯に置いていかれたチャオズか?と思うくらい置いていかれる。
僕の心の中は空虚なのに普段は人と平気なカオして輪になってるヘッヘーイ!!というような、
どうしようも無いからとりあえず家で一人、全裸で踊るみたいな。
なんかそういうのなんだろうなと思っている、違うかもしれない。
考えている間にどんどん先に行ってしまうので、
チャオズには天さんの気持ちがわからない。
天さんは見つめ合うと素直にチャオズとおしゃべりできないのかもしれない。チャオズはそう思った。
ちなみに冒頭の歌詞には
進んだ時間も泣いた
吐き出す三十代の夜の歌
と続く。
実際いつ書いたかわからないが、
この時詩を書いた桃野陽介さんは当時の年齢二十七歳以下のはずだ。
つまり二十代の終焉も吐き出す三十代も実体験ではない。
モノブライトが無期限活動休止したのはそれから五年後。
彼らが三十三歳の時。
確かYahoo!ニュースの見出しには「もう限界でした」と書かれていた。
「吐き出す三十代」が、そこに居ると思った。
全然興味のなかった曲の解像度が上がった二十代
あの日無期限活動休止のニュースで気落ちした二十代
終焉の夜がすぐそこまで迫っている。
好きな楽曲とともに歳を取る人生も悪くない。
二十代終焉の夜はノスタルジーに泣かない。
泣かないんかい。
画像はなんか「カーテンについてんの虫か?ゴミか?」と思ってスマホで撮った画像です。虫でした。目は霞んでも調子狂わず生きていきたいもんです。