ナイジェル・マンセル:残されたカーNo.5のシール(1987)
このシールは何かというと。F1マシンを表すシールなのでした。
こういうスターティンググリッドになっているページがあってそこに予選タイム順にペタペタ貼っていくという物です。
見て解りますようにこれは1987年の鈴鹿で行われた日本グランプリの公式プログラムなのでした。
現地観戦にて買いました記念の品です。
表紙には日本人初のレギュラーF1ドライバーの中嶋悟。
出場したチームの一覧です。
残ったシールのマシンは青、黄、白のカラーリングなのでウイリアムズ ホンダですね。
そしてNo.5はナイジェル・マンセルです。
No.6は結果としてこの年、通算3回目のチャンピオンとなったネルソン・ピケ。
ちなみにキャメルカラーのロータス ホンダはNo.11が中嶋悟、No.12が、まだ無冠だったアイルトンセナ。
そしてマンセルの紹介ページ。
なぜマンセルのシールだけ貼られずに残っているかと申しますと。
予選初日(当時、予選は金曜と土曜の2日に分けて行われていた)にS字コーナーで大クラッシュをして棄権となったからでした。
この時のクラッシュは、タイヤバリアに激突して数メートルの高さまで舞い上がり、そして叩きつけられるという壮絶な物でした。
前年、最終戦アデレードで不運のタイヤバーストでタイトルを逃したマンセル。
この年も、この鈴鹿と最終戦のアデレードで連勝すればチャンピオンになれる可能性が残っていました。
そうでなくとも豪快なドライビングが持ち味だったマンセルでしたが、尚更プッシュせずにはいられない状況だったのです。
また、血の気の多いマンセルは、この年のスパ・フランコルシャンでレース中にセナと接触して共にリタイアになった後、ガレージにいたセナに殴り込みをして乱闘騒ぎも起こしています。
ポツンと残されたNo.5のシールを見る度にマンセルをはじめとして多士済々だったこの時期のF1ドライバー達を思い出します。