見出し画像

今を生きる子供たちへ、そしてかつて子供だった大人たちへ-ポケモン盾シナリオ考察

突然ですが、ポケモン盾、めっちゃ楽しかったですよね!

産業革命の始まった国、イギリスをモチーフとしたガラル地方の雰囲気や、ガラル地方独自のシステム・ジムチャレンジ、そして広大なワイルドエリアにワクワクが止まらなかった人も多いのではないでしょうか!

そんな中で、私は、今作のシナリオの面白さは、シリーズでも頭一つ抜けて面白いと思いました。
それは、ポケモンという作品の原点にして、最新の物語を見せてくれたからだと考えています。

何が原点で、何が最新なのか。それをこの記事ではまとめていきます。

この記事は私がポケモン盾をクリア当時(2020年8月頃)、シナリオがあまりにも面白すぎて、考察しつつシナリオを絶賛した一連のツイートを元に、再構成したものです。
※※ネタバレ注意※※
クリア後シナリオやDLCについて触れています。
剣は未プレイです。盾のストーリーについてのみ触れています。
DLCもまだクリアしてません。冠の雪原も楽しみ。
本記事はゲームのスクリーンショットを多数掲載します。掲載に際し、任天堂の「ネットワークサービスにおける任天堂の著作物の利用に関するガイドライン」に準拠します。

まずざっくりと概要をご説明しますと、
本記事では、ポケモン盾のシナリオを、

1.「少年少女の等身大の青春物語とシームレスで繋がるヒロイズム」
2.「スポーツ化したポケモンリーグ(ジムチャレンジ)」
3.「現役と次世代の世代交代」

の3つの方向から解釈します。

この3つの要素が複雑に絡みあって、原点と最新を構成しているさまを追っていきましょう。


ダンデ=ヒーロー その背中を超えていけ

画像3

まず、今作ではダンデの存在がとにかく新鮮でした。

ダンデは、幼馴染の兄にして、不敗の現役チャンピオン、カロス地方のアイドル的存在として登場します。
ダンデは先達として、そして守り手として、ことあるごとに主人公たちの前前に姿を現しました。

思い返してみると、ここまで主人公に絡んでくるチャンピオンはそう多くありませんでした。
加えて、「俺が行くからお前たちはジムチャレンジを続けろ(意訳)」と繰り返し主人公たちを諭し、危険から遠ざけようとするのはシリーズ初です。過保護か!

そんなダンデに、「こちとら何回世界救ってると思ってるんだ!混ぜろよ!」と思った人もいたとかいなかったとか(私はちょっと思いました)。

しかし、そんな欲求不満が溜まった頃に放たれたのが、クライマックスのローズの発言です。

画像1


何言ってんだ、このオッサン。
(なんて図々しいオッサンなんだ……)

一見、ローズ姫(ピーチ姫のイントネーションで)のとんでも発言に見えるこのセリフですが、実は、これこそがダンデの本質を見事についた言葉なのです。

Q. 何故、ダンデが過保護なまでに主人公たちを守り、一人でガラル地方を守るためにムゲンダイナに挑んでいったのか。
A. ダンデが騎士物語の騎士、つまり物語の「ヒーロー」だったから

物語のヒーローであるということは、トラブルを唯一解決できる存在であることを意味します。
そして同時に、弱い者を守り、正義を成すという使命も帯びています。

その例に漏れず、ダンデは自身を、トラブルを解決できる唯一の存在だと捉えている節がありました。ともすれば、一番危険な役目を引き受けるべきだと考えているのかもしれません。
それが物語終盤のダンデの独走によく表れています。

画像4

なんだか、寂しいですね。

しかし、一歩引いて考えてみれば、ダンデだけがこの事件を解決できたとは思えません
ムゲンダイナに対峙出来る最有力候補がダンデだとしても、次点のトレーナーが必ずいるはずです。今作の舞台ガラル地方はジムの歴史が深く、マスタードやポプラなど、かつて一線級の実力を持ったトレーナーがゴロゴロいます。決してトレーナーの層が薄いわけではありません。
たとえ、各々の実力はダンデに敵わないとしても、徒党を組めばダンデと同じか、それ以上の役割を果たせるでしょう。

それは、根本的にポケモンバトルと同じ性質の話です。
6匹のポケモンで組むパーティー戦が基本であるバトルを知り尽くしたチャンピオンが、交代要員が必要である理由を理解できないはずがありません。
ましてや、相手は伝説に語られるブラックナイトを引き起こしたムゲンダイナ。
どう考えても本丸の相手に、戦力逐次投入は下策です。

ダンデがどこまで理性的に状況を見て、判断していたかは不明ですが、一人突っ込んでいったクライマックスの流れは、正直、あの後、メロンさんあたりからお説教食らってもおかしくない問題行動ではないでしょうか。

それでもなお、ダンデが一人で立ち向かったことは、ダンデがヒーローとして生きていること、言い換えれば、ヒロイズムの世界観の中で生きている証左のように思えます。


野暮なツッコミでしょうか?
私はそうは思いません。というのも、本作の主人公の物語が、間接的にダンデの在り方を批判しているように思えて仕方ないからです(詳しくは後述)。

注:ダンデに近いチャンピオンとしては、HGSSのワタルが挙がりますが、彼は保護者というよりは、自分の気になることを確認しに来たら、主人公がいたので、良識ある大人として同行した、という方がしっくりきます。


画像7

一方で、そこまでの主人公の物語は、リアルな、等身大の青春群像劇です。
主人公の物語のおけるダンデの役割は、憧れの存在で、かつ、頼れる身近な大人の一人でしかなく、世界を一人で背負わなければいけない理由はありません。

そんな主人公の視点からすれば、ダンデのクライマックスの行動はかなり突飛です。
親しくしている人が、急にたった一人でガラル地方全体の危機に立ち向かおうと去ってしまったら、追わずにはいられないでしょう。

ダンデの説明不足で、大変なときですら頼ってくれない様に腹を立て、ダンデにばかりいいカッコさせるのは悔しくて、ダンデを独りぼっちにするのは嫌で、そして何よりダンデが心配で。
そうした自発的な動機からがむしゃらにダンデを追い、結果的に、少年少女は次世代のヒーローになりました

画像5

こんなに丁寧に、少年少女のリアルな成長譚の世界からヒロイズムの世界を、シームレスに繋げていった作品が、今までのシリーズにあったでしょうか。
しかもこれ、「主人公の旅→悪との遭遇→伝説のポケモンとの対峙→ポケモンリーグ制覇」っていう20年続くシリーズの型を一切壊してないんですよ。
壊してないのに、こんな新しい描き方をしてきたんですよ。天才の所業か。


加えて、プレイ体験と上記の物語のシンクロ度も非常にレベルが高いことも書き添えておきましょう。

物語の構成上、プレイヤーがダンデに抱く信頼感や憧れ、不満や不安、一抹の寂しさ、じれったさや苛立ちは、シナリオが進むにつれ徐々に蓄積され、最後のチャンピオン戦前まで解消の機会はありません。

そして、主人公(プレイヤー)は、ダンデに対する複雑な感情を抱えた状態で挑みます。
そこで、スタジアム一杯の観客の目の前で勝利を収めることで、フラストレーションが昇華される、という構成になっています。

この心理状態の流れは、反抗期と保護する存在からの巣立ちの現象を模したものではないでしょうか。

深読みのしすぎかもしれませんが、狙って構成されたのだとしたら、少年少女の等身大の成長譚として、これほどぴったりな題材はないですね。

画像2

シリーズ恒例クライマックスチャンピオン戦をここまで生かしきるとは。
天才の所業ですね(二回目)。


ダンデ=主人公? ヒーロー観の更新

画像17

このようにダンデを読み解いてみると、何となく既視感がありませんか?
そう、かつてのシリーズの主人公たちを思い起こさせますね。

歴代のシリーズの主人公たちは、いずれも片田舎出身で旅を始めたばかりの少年少女。
それが旅を進めるうちに、いつの間にか、守ってくれるはずの大人に逆に頼られるようになり、世界を救うという壮大な動機を託されて巨悪や世界の危機に、ひとりでヒーローとして立ち向かっていきました。

注:このあたりの動機の組み立て方が微妙にプレイヤー任せな気がするのは、制作側とプレイヤー側の一種の共犯関係=RPGのお約束に頼っている面が大きいからではないかと感じるのですが、そもそも当時のロムの容量制限という突破できない壁が存在していることもあり、検証できていないのでそれはまた別に。


しかし、思い返してみれば、主人公たちが最初からひとりだったかというと、そうではありません。
物語の始めには必ず、同時に旅に出る同年代のライバルたちがいました。

彼らはポケモントレーナーとして旅に出た主人公たちにとって、時にバトルの実力を高め合う競争相手であり、時に新しい情報をもたらしてくれる良き友人でした。

しかしながら、多くのライバルは旅の途中からあまり登場しなくなります。
何故なら、主人公の方が、リアルな子供の世界を捨てて、ヒロイズムの世界に立ち入ってしまうからです。

一旦、ヒロイズムの世界に立ち入ってしまうと、主人公の旅のモチベーションそのものが変質してしまいます。
はじめはポケモンとの出会いと育成、そして友人と競いながら先へ進むことを楽しんでいた主人公は、何か事件があれば、それが危険でも首を突っ込まずにいられないヒーローになってしまいます。
悪の組織と戦う主人公にとって、どうしても友人との競い合いは物語の本筋ではなくなってしまうのです。

もちろん全員がそうではありませんが、多くのライバルたちが、主人公の物語のメインキャラクターから外れていきました。
ORASのハルカ/ユウキはその際たる例です。

しかし、本作では「ダンデを助けたい」というリアルで地続きな動機が、主人公がヒーローに変質していくきっかけとして設定されています。
そしてそれは、本作のライバル・ホップと共有できる動機でした。
だからこそ、今作ではホップがムゲンダイナ戦でも隣にいてくれたのです。

画像8

これがどんなに嬉しかったことか。

ホップがムゲンダイナという伝説の存在に一緒に立ち向かってくれたという強烈な経験があるので、主人公はきっと、今後ヒーローとして活躍する機会があっても、ホップを頼ることができるでしょう。
ダンデのように、先走ってしまうことがあっても、きっとホップが止めてくれるはずです。

特殊な能力(この場合は圧倒的なポケモンバトルの才覚)という強さを持つ孤独なヒーロー像(ダンデ)ではなく、対等な友人とお互いに協力できるという強さを持つヒーロー像(今作主人公)を、本作の物語に採用したのは、時代の変化に対応した結果ではないかと思います。
20年も経てば子供(主人公)の在り方は変わる。それに合わせて、”ヒーロー像”を時代に合わせて更新する。その姿勢こそが、ポケモンを今なお子供に楽しまれるコンテンツたらしめているように思えてなりません。


……ちょっと強引でしょうか?
(個人的には、協力できる強さを謳うのは、色んな意味で分断が顕在化した今だからこそ、とても強いメッセージだと感じます。)

画像9

もちろん、システム的に言えばホップがずっとついてきてくれたのは今作の新システム、レイドバトルがあってこそ。
このシステムは、ポケモンGOがあったからこそ導入されたシステムであることは言うまでもありません。

そうやって、過去を積み重ねた結果、過去を更新していくという心意気の元、今作の主人公のような新たなヒーロー像を提示したと考えると、感慨深いものがありますね。

注:過去作の中でもSMは特殊で、戦えない友人として、リリーエがずっと旅についてきます。そのせいか、他のシリーズに比べて主人公が危機に立ち向かう動機がより身近に感じました。SMで大森ディレクターは根本的な見直しを図ったそうですが、主人公の物語の構想もその中に含まれていたんでしょうかね。

参考記事→【新連載:新世代に訊く】 『ポケモン』新作は“攻略”を検索される前提? ゲームフリークの伝説を受け継ぐ若きディレクター達 【大森 滋氏・尾上 将之氏インタビュー】
注:ライバルにやたらと思い入れがあるのは、ORASのハルカ/ユウキとの別れが本当に寂しかったからです。ORASライバル論についての考察は、以前↓の記事にまとめました。長いのでお時間ある方のみどうぞ。


リアルな青春群像劇=「スポーツもの」

画像12

とまあ、ここまで主人公のヒロイズム的な側面を見た後で、今度は主人公の旅そのものに目をやりましょう。
すると、主人公周りは呆れるほど、リアルな出来事で固められていることに気付きます。

憧れの先輩、ダンデはめちゃくちゃかっこいい。ソニアは優しくて頼れる先輩。幼馴染のホップは熱いけどめっちゃいいやつで、ピートはちょっと高飛車で嫌なやつ。そして、マリィのハードめなルックス×方言のギャップの可愛さにちょっとどきっとしたり。
学生時代を思い返すと、そういえばそんな子いたかも?と思わせてくれる設定が盛沢山でした。

人間関係もリアルなら、描かれる事件もリアル。
期待に応えようとしすぎて判断を誤ってしまうピートや、ホップの迷走や自信喪失の下りは生々しすぎて泣きそうでした。

画像11

画像12

しかし、少年少女は苦難を乗り越えてポケモンバトルの腕を磨き続け、最後にはチャンピオンカップという大舞台に立ちます。

これらの描写は、今作を精細な青春群像劇として成立させていますが、こういう物語どこかで見たなと思いませんか?

それもそのはず、「スポーツもの」でよく見かける型なのです。

そういえば、今作のポケモンリーグがスポーツとしての色を強くしているのは、スタジアムの雰囲気やユニフォームからも明らかです。
しかしなぜ、今更スポーツなのでしょうか。

画像18

今作でポケモンリーグをスポーツに結び付けた理由を考える前に、ちょっと今までのシリーズの話をしましょう。

歴代のシリーズをプレイしてきた方には周知の事実ですが、ポケモンというゲームにおいて、「各地のジムを巡ってチャンピオンを目指す」ことの物語的な意義は、実はずっと曖昧でした。

というのも、キャラクターから「バトルの腕試しをするならジムに挑戦してみろ」とは勧められるものの、それ以外に主人公に動機付けをする描写がほとんどなかったからです。
つまり、一見、自由意思でジムに挑めばいいように見えていたんですね。

ところが、ジムリーダーを倒さなければ次の町には進めません。
プレイヤーが何かの理由で先に進みたいと思ったら、ジムに挑まざるを得ないのです。
(アローラ地方はその動機付けに社会的習慣という、それなりに強制力がある設定を採用していました。上手いですね。)

こうして、物語上、主人公が強さを求める動機の多くがプレイヤーに委ねられていたため、動機のあるなしに関わらず、「次のステージに進むのを阻む邪魔者」を倒すといったネガティブな印象が強かったように思います。
(もちろん、登場する個性的なジムリーダーたちは大変魅力的でしたし、BWあたりから積極的にジムの外に出てきてくれたのは楽しかったです。)

注:このあたりの動機付けの曖昧さも、制作側とプレイヤー側の一種の共犯関係=RPGのお約束に頼っている面が大きいからなのでしょうか…?

しかし、今作ではハッキリと、「段階的に強さが設定されているジムを一つずつクリアし、チャンピオンに挑む催し」であることが最初に明示されています。
この催しの参加者であるからには、ジムに挑戦することはマストですし、ジムをクリアし、その先でチャンピオンに挑むための強さを求めることもマストになってきます。

大舞台に向けて実力を磨き、腕試しステージにチャレンジしていく、そんな催しを改めて分かりやすく例えるなら、そう、「スポーツ」です。

スポーツなら、ポケモンのメイン要素であるバトルで勝利を求めるのも不自然ではありません。
スポーツなら、真剣にやればやるほど、強さを追います。
スポーツなら、大会のために、別の町に遠征するのはよくあることです。
そして、スポーツなら、主人公たち少年少女が物語の主役であることにも違和感はありません。

つまり、ポケモンというゲームを構成する要素を丁寧に再定義し、動機付けを見直した結果、「スポーツ」に辿り着いたのではないでしょうか。

その再定義に合わせて、ガラル地方は「ポケモンリーグのスポーツ化」を選択し、メインストリームとして成功させている、という独自の文化を持つ地方(社会的習慣)として設定され、主人公たちの物語は「スポーツもの」として青春群像劇の色が強くなりました。

画像13


スポーツものと言えば、少年少女の物語では王道の中の王道。
しかし、歴代シリーズの中には、実は組み込まれていなかった文脈でした。
ですが、その相性の良さは、初期の文脈から既に見てとることが出来ます。

元祖赤緑の冒頭に、スタンドバイミーの描写がのは有名な話かと思いますが、同映画に触発された「ひと夏の冒険」というテーマはシリーズ当初からブレていません。

今作でメインに据えられたスポーツも、1シーズンが一つの単位。
少年少女が1シーズンのチャレンジを経て、成長していく様は、正に「ひと夏の冒険」です。

そういった意味でも、剣盾は原点を見つめ直した結果、原典に立ち返った作品になったと言えそうです。

画像14

催しだからこそ、こういったエンターテイメント性の高い演出も無理なく成立します。しかし、このシーン最高ですね。


成長の結末=世代交代

画像15

そして、最後にもう一つ、今作を彩る大事なシーンがございます。
それが、繰り返し描かれる世代交代です。
ソニアは博士へ、ピート、マリィはジムリーダーへ、ホップは次世代の研究者へ、そして主人公はチャンピオン、次世代のヒーローへ。

世代交代もまた、今までのシリーズではあまり大きく取り上げられてこなかった物語です。

過去作を見渡してみると、赤緑(FRLG)→金銀(HGSS)のキョウとアンズ、RS→Eのダイゴとミクリとアダン、BW→BW2のアデクとアイリスなど、いかにもドラマがありそうな世代交代の例がいくつもあります。
しかし、どれもバックボーンを想像させるフレーバーテキスト程度に触れられるだけで、物語として描写されることはほとんどありませんでした。

これ、どうしてなのかなとしばらく頭を捻っておりましたが、結局のところ、ポケモンは子供の物語であることが大きいからなのではないかと思います。

本来、人間社会における世代交代とは、活躍の中心となる世代が移り変わることを言います。
活躍の中心となる世代はジャンルによって異なりますが、多くの場合、大人の世界での出来事を指すように思います。

大人とは、幼年期(子供時代)を終了し、社会へ参加している成人のことです。
幼年期を経て一人前として先達に認められ、地に足が着いた己のアイデンティティを確立していき、社会へ参加すること=成人になることが、子供から大人になるという意味です(もちろん法律的な意味ではなく)。

しかし、世界を救っても、最終的にチャンピオンになっても、ポケモンの主人公たちは一人前とは認められず、結局は「すごい子供」のままでした。
それは、チャンピオンになっても、チャンピオンの責務を果たすことを求められなかったことからも明らかです。

つまり、主人公は終わらない子供の物語の中にあり、大人にはならなかったので、大人の世界の物語である「世代交代」は描かれてこなかった。
そういうことなのではないかと思います。

注:確かに、チャンピオンになるのはめちゃめちゃすごいことなんですが、それを以て成人のセレモニーとすると、些か狭き門すぎます。
注:ポケモンの主人公たちが大人になっていないからと言って、批判するつもりはありません。そもそも、「ひと夏の少年少女の物語」というテーマの作品なので、子供の物語で終わることは不自然ではないですし。

画像16

しかしながら、今作では繰り返し、主人公や主人公と同世代のキャラクターたちへ活躍の場を譲るシーンが描かれています。

これは、本作が子供の物語のまま物語を終わらせるのではなく、子供の物語のその先を意識的に描こうとした現れではないでしょうか。

先ほど述べた通り、子供時代のその先とは、成人=大人になることです。
大人になれば、大人の庇護を必要としなくなり、いずれは一人前と認められます。
その中からはいずれ、現役世代から指名されて主役の座を譲られる人も出てくるでしょう。

つまり、世代交代とは大人の成功の物語の一つなのです。

今作を等身大の少年少女の成長物語で、その先まで描いた物語として捉えたとき、「世代交代」という成功の結末はこれ以上になくふさわしいと思うのですが、いかがでしょうか。

画像17

中でも特に、ピートの物語が印象的ですね。
彼はローズを妄信した結果、過ちを犯します。しかし、ポプラによって救済されました。
失敗したとしても腐らず頑張れば、本人が望んだ形ではなかったとしても、認めてくれる人はいる、という物語は強烈にポジティブなメッセージでした。 

加えて、本作で描いた「子供の物語のその先」は世代交代だけではありません。
人が生きていく中では、様々な強さがあり、人の数だけ物語があります。その答えは世代交代だけではありません。
それを示すように、今作ではキャラクターの数だけ「その先」の在り方を描きました。それがリーグカードの裏の物語です。

既に大人であるジムリーダーたちも、かつては違う姿があり、色んな思いを持って今ここに立っている。
子供の時代が終わっても、チャンピオンに至るという栄光を経験していなくても、今をカッコよく生きている大人たちをきちんと描くのは、子供への希望であり、今を一生懸命生きている大人への賛歌でもある、と言うのは言い過ぎでしょうか。

今作で「少年少女のリアルな成長物語」、そして「その先(一人前になること、世代交代すること、カッコよく生きていくこと)」を改めて示したのは、過去作への自己批判以上に、ポケモンという作品が、今、子供に、そしてかつて子供だった大人たちに届けたいことがあるという言外のメッセージなのではないかと、ポケモンで育った大人はふと、思いを馳せてしまうのです。

個人的には努力の人が好きなので、カブさんがめちゃめちゃ好きです。調子乗ってる時代があるのもまた、人間臭くていいですね。
そんな彼が、目標を失って自信を喪失しているホップに対して「覚えてるも何も、見送ったじゃないか」と当たり前のように声をかけてくれたのが、本当に嬉しかったです。


おわりに

今回の考察を進めながら、本作はどこを切り取っても、子供へ、そしてかつて子供だった大人へのメッセージ性が全面に打ち出されている作品だと改めて感じました。

赤緑の時代からポケモンは子供に勧められるゲームの一つとして名が挙がっていましたが、本作は物語の面でも、おすすめできると思います。

私のようにわざわざ物語を分解して考えずとも、きっと、今作のプレイ体験がいつか、彼らにそっとエールを送るのではないでしょうか。

そうなることを願ってやみません。


まだまだ語れることはあるのですが、総論として、switchでのシリーズ正統完全新作第一弾にふさわしい、新しいポケモンの物語を我々は体験したのではないでしょうか。

剣の方ではキャラクターが異なるそうですし、DLCもまだ控えておりますので、そちらも改めて遊んでいきたいと思います。

今作はコンセプト構想に1年かかったと風の噂に聞きましたが、それも納得の濃厚でドラマティックな物語でした。

本当にいい作品でした。ありがとうございました。


2020.11.2 「おわりに」加筆



以下余談。

おまけ1 悪のボス・ローズ

今回触れなかった興味深いトピックとしては、ローズがいます。
主人公たちの物語(青春群像劇)を真っ向から否定してくる存在=子供にとっての敵でありながら、大人としてセリフを見ると、その考えを真っ向から否定すべき要素が見つけにくいキャラクターです(手段は明らかに間違っていますが)。
何かと思想的に極端な偏りを持った人が多い歴代ボスの中では、サカキ並みにバランスが取れた人のように見えます(サカキはマフィアのボスであること以外はまともな人なので)。

そのローズだけが、ダンデの生き様を理解し答えていたと思うと面白いな~、と思うわけですが、ローズもまた歴代ボスのように部下(オリーブ)がついていけなくなったところを見ると、周りを省みずに独走してしまった存在として、ダンデを理解していたのかもしれません。

また、歴代ボスは基本的にその作品のテーマのアンチテーゼの役割を担って登場しますが、ローズのテーマはおそらく「大人の都合」。
主人公たちがわけも分からずローズを撃破するのは、大人の都合なんて理解する必要がなかったからなのかもしれませんね。

あと、エンディング後に出てきたシーソーコンビについても触れておきましょう。
あのユーモラスな髪型と絶妙に腹立つモーションで誤魔化されてしまいそうですが、「ポケモンの伝説を人の歴史で塗り替えようとする」=「神殺し」の思想を持っているとんでもないキャラでした。
一歩間違えば、この二人が悪のボスでもおかしくなかったと思います。
ボスとして真面目にやれば、Nとはまた違う切り口で「ヒトとポケモンの付き合い方」を問いかける名キャラクターになっていたかもしれません。


おまけ2 システムの表現もすごい

今回はシナリオを考察し、批評するのが目的だったので触れませんでしたが、今作はシステム面の表現もすごかったですね!
特に、シンボルエンカウントの導入によるポケモンのつよさの表現の多様化に興奮しました。同じエリアに強いポケモン、弱いポケモンが同居しているのは、今までランダムエンカウントだと表現できない要素でした(ピカブイをやってないのですが、そちらでも表現できていたのでしょうか)。
進化系のいかついポケモン見かけたら、そりゃ怖すぎて逃げ出しちゃうよ!って体験ができたのが100点満点です。

加えて、ワイルドエリアがとにかく天才でしたね!
見渡す限りの野生のポケモンの楽園、シームレスなフィールドを走り回るのは本当に楽しい体験でした。エリアごとに住処としている種族が違うっていうのもグッドでしたし、天候で変わるというのも訪れる度に見かけないシルエットに出会えてワクワクしました(天候が細かく違うのはイギリスモチーフ由来なんでしょうね)。

switchになったからこそ、こういった新たな表現が出来たのかと思うと次のソフトに期待してしまいますね。


おまけ3 デザインもすごいぞ

あと、個人的に今回のトレーナーはデザイン好きなの多いんですけど、中でもとりわけ、ダンデにキャップ被せたの天才の所業すぎるんですよね……負けたときのそのキャップで顔隠して口元だけで表現するやつ、好き。
ずっとHGSSレッドの敗北時のセリフ「……………………」を↑の動作だと解釈していたファンとしてはご褒美以外の何物でもありませんでした。ありがとう。

モンスターの方のデザインに賛否あるのはいつものことですが、個人的には今回も一見でタイプが分からないポケモンが沢山いてワクワクさせられました。
ベストオブタイプが分からなかったのはベロバアとオトスパスです。オトスパスはズルいだろ……遭遇も海上だったから絶対水入ってるって思うじゃん……。
あと、タイプは分かったけどウッウとの出会いも衝撃的でしたね。

ギモーもオトスパスもウッウもちゃんと旅パ入りしました。

あと地味に今作のカセキポケモンがめちゃめちゃ好きです。
名前からして、イギリス人が発見したイグアノドンをはじめとする、実際の考古学における化石復元の迷走エピソードをモチーフにしているのは間違いないと思いますが、復元後の子供の落書きのような、「なんじゃそりゃー!」と言いたくなるようなデザインに脱帽です。
しかもデザインがトンチキなだけでなく、設定もトンチキなせいか、考察が面白いことになってるので興味がある方は是非読んでみてください。

古生物学の歴史も生物学も勉強出来て、なんてためになるゲームなんだ。


ポケモンの話はいくらでもできてしまうので、ひとまずここまでで締めたいと思います。
剣やDLCで新たな所感が出ましたら追記しに参ります。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?