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調査の現場⑨:グローバルスタディーズ学科

みなさんは、年に何度神社にお参りにいくでしょうか?実家に帰ったときにはお墓参りに行くでしょうか?では、SNSの『今週の星座占い』を見たり、心霊スポットについての記事を読んだりすることは?ジブリ映画は見ますか?最近は宗教二世と政治との関係がどちらかというとネガティブな文脈で取りざたされていますが、組織として活動したり影響力をもったりしている宗教団体とは別に、もっと日常的なところで「宗教的なるもの」や「スピリチュアリティ文化」は、私たちの日々の生活のいたるところにあるものです。
私の研究テーマは、西アフリカのイスラームや教育、若者文化ですが、日本に帰国して3年、アフリカと日本やアジアに共通する宗教性について興味を持って勉強してきました。前回清水先生からもアフリカの宗教や食のお話がありましたね。今回は、宗教のテーマでつなげて、ここ数年間私が共同研究を通して調べてきている宗教性と現代社会とのつながりについて、最近の調査の様子を少し紹介したいと思います。

京都精華大学萌芽的助成プログラム『宗教性と現代社会空間(ReSM)』
https://resm2021.com/ja/resm-jp/

アフリカとアジアの共通点

まず初めに気づくのは、アフリカと日本を含むアジアの宗教性にはたくさんの共通点があるということです。特に京都に来て気づくこと。京都という都は、北の鬼門を比叡山や貴船神社など北の山々の聖なる水脈がしっかり守り、南には伏見稲荷(伏見稲荷大社)がその繁栄を支えています。都の内部にも吉田神社などいくつか鬼門を守る場があるなど、都(まち)全体が、風水を中心とした宗教性に基づく空間のエコシステムとエネルギーのバランスによって作られています。このバランスがほころびることで、災いや天災の原因になると考えられてきました。
日本やアジアの様々な地域では町や家などの空間を建設する際に方角や縁起、土地の霊など「見えざるもの」の存在が大切にされていますが、それはアフリカでも同じです。例えばセネガルにも、イスラームやキリスト教が入ってくる以前から海やバオバブの木に宿る精霊などによって土地やコミュニティーが守られているといった信仰があり、それにまつわる儀礼やお供え物の文化が今も続いています。私がセネガルで調査を始めたころ、有名な精霊の宿るバオバブの大木があったので、願掛けをしたいという現地の人とお供え物にあたるヨーグルト(日本だと「地の神様」におそなえするお酒やお米、お菓子などにあたるでしょうか) を木の根元にかけにいったのですが、よそ者がちゃんとした手順を踏まずに聖木に近寄りすぎたので、慌ててとびだしてきた神官にあたる年配の女性や聖地の管理人の人たちに大いに叱られる、という経験がありました。

セネガルの大地にそびえるバオバブの木。伝統宗教では霊的な力があると信じられている地域も。(この木は上のお供えものをしたバオバブの木ではありません。お供えものをしたバオバブは、ダカールの漁村民、レブー民族のすむ地域にあり、しだれ桜のような独特な形をした巨木でした。画像はあくまで参考まで) (筆者撮影)
バオバブの実。中には粉っぽい果実が詰まっていてジュースにしたり、食用になったりします。(筆者撮影)

なんと、京都精華大学は京の北の聖地である貴船や鞍馬の聖域に位置しているそうです(匿名・筆者らの聞き取り調査による, 2022年)。貴船神社は大学から叡山電車で10分、徒歩30分ほど。学生たちや研究仲間たちとアフリカやアジアの異なる地域と比較したり歴史を振り返ったりしつつ、貴船神社や鞍馬寺を訪れるフィールドワークも何度か行っています。

学生たちと貴船神社にフィールド散策 (2022年11月)
※ヘッダーの写真も同じフィールド散策で撮影されました。
(撮影のために一時マスクを外しています)

日本の神道や仏教と土地との関わりにはたくさんの研究があり奥が深いですが、例えば神道については、共同研究者の島薗先生が最近出版された「教養としての神道」の中で土地や伝統宗教、政治との関わりなども分かりやすくまとめられており、おすすめです。

日常の宗教空間から「政治」へ

次に、今話題になっている宗教と政治との関わりについて。「宗教」も「政治」も、日本語では、どちらもうさんくさい響きがあるので、この二つが絡むとなるとかなりネガティブなイメージしか湧かないかもしれませんが、少し視点を変えて考えてみましょう。
京都には無形文化遺産にも指定されている「地蔵盆」という習慣があります。夏休みに町内安全や子どもの健全育成を願う伝統行事で、京の風物詩にもなっています。今や、京都駅の伊勢丹モールでも開催されていて私の娘も去年初めて参加したのですが、本来は地域のお地蔵様に子供たちが集い、長い数珠を皆で円になって回す「数珠回し」をしたり、お地蔵さまにお化粧をしたりします。最後には子供たちがお菓子をもらって皆でわいわい過ごす行事なのですが、こうした「宗教的」な行事は、お寺を中心に地域のひとびとが顔を見せあって様子を確認したり、人間関係や社会関係を構築したりする貴重な機会になります。そして、時期や季節ごとに定期的に繰り返される、というのがコミュニティー存続にとってとても大事なのです。

知恩寺の化粧地蔵 
出展 「宮津の色鮮やかなお地蔵さま 〜地蔵盆と化粧地蔵〜 」2021年8月25日更新,Re:in Kyoto Miyazu (最終閲覧日 2023年3月28日) (https://www.city.miyazu.kyoto.jp/site/citypro/10852.html)

日本のお寺やイスラーム圏のモスクは地元の人が集ったり助け合ったりしてコミュニティーの生活の「やりくりをする」、「共同生活をするための話し合いをする」、「一緒にうまく生きる」ために人と人が定期的に交わる場所になってきました。こうした「いきるための寄り合い」が、大きな意味での「政治」の姿である、という考えで私は調べています。小学校のPTAも、大学のサークル団体もそういう大きな意味では「政治」をやっています。私は政治家がやる狭義の政治活動だけではなく、こっちの、生活レベルでの「政治」に特に興味があります。アフリカ、アジアの宗教性が面白いのは、こういう日常レベルでの「政治」の場を作っている、というところにあると思って比較してきています。この生活レベル、地域や文化に根差した「政治」の場は、政治家たちのやっている現代の政治にどうつながるのか…?それは今の研究プロジェクトで議論しているところです。

デジタルネイティブ世代の宗教性

最後に、デジタルネイティブ世代の「宗教性」に着目しています。ジブリ映画や、セラピー文化、ヨガ、スピリチュアルスポットなどは、近年になって日本の若い人たちの日常生活で違和感なく消費されてきました。
「宗教性」の新しい文化は、デジタルネイティブ世代ととても親和性が高いと私は考えています。それは、電子機器、特にスマホが身体の一部として記憶や、発話などの一部の機能を代行する形で私たちの現代生活に入り込み、浸透してきたことと深い関わりがあります。イスラーム圏では、私がインタビュー調査をさせていただいているセネガル人学生さんたちもそうですが、クルアーンを読むアプリや、礼拝の時間になるとアザーンといってお祈りの時間を知らせる呼びかけが鳴るアプリなどをスマホに入れている人が多くいます。これはもともと人が肉声でやっていたものをスマホが代行しているのです。日本ではチャット占いなどがまずまず消費されていますが、アフリカでもSNSを使って占いや相談にのる宗教家や占い師がたくさんいます。「宗教性」は、サービスとして消費される文化にもなってきているのです。

様々な言語でダウンロードされているアプリ「Muslim Pro」はお祈りの時間にアラームを鳴らしてくれたり、「今日のおすすめの章句」を見せてくれたりするほか、クルアーンの訳を探したり音声で聞くことなどもできます。(筆者撮影)

もっと特定の宗教を信仰している人やグループは、SNSを使って繋がったり、情報交換をしたりするだけでなく、困っている信者にお金を寄付したり、オンラインで集会を企画したりといったこともできるようになっています。こうした動きはアフリカ、アジア問わずいろいろなところで起きています。日本でもオンラインで法事ができたり、ヨガや瞑想のワークショップに参加したりといった新しい動きもあるようです。今や広義の「宗教性」とデジタル文化は、現代社会を理解するうえで欠かせない鍵である、といってもよいのではないでしょうか。

もうひとつの研究x芸術プログラム「ヤングムスリムの窓」では、日本のデジタルネイティブ世代のムスリムの若者たちと一緒にスマホなども活用しつつ映像制作しながら共同研究をしています。
(https://project-yme.net/) (撮影のために一時マスクを外しています)

参考文献:
島薗進「教養としての神道 生きのびる神々」東洋経済新報社 2022年
樫尾直樹「文化と霊性」慶応大学出版会 2012年

阿毛香絵(グローバルスタディーズ学科教員)


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