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人を傷つけることは自由じゃない

喜怒哀楽の感情がもたらす空気感は伝染することが認められており、この中でも「ネガティブな感情」が一番感染しやすいそう。皆さんにも身に覚えがないだろうか。恋人がいらいらしているからなんだかこっちもイライラする、友達が悲しんでいるから自分も辛くなってしまった。

でもそれが大切な人であれば受け入れることも大切だ。逆に自分が辛くても相手にすべて影響を与えないようにすることも愛情の一つだと思う。信頼や愛情の中でいろんな形で伝染すればいい

**「他人の不幸は蜜の味」 **

妬みは、他人が優れた物や特性を持っていることによる劣等感や敵対心を伴う心の痛みのことだという。その痛みに耐えきれず対象への愚痴や悪口などを言い続ける。

痛みを吐き出すことで心をケアしようとする防衛本能なのだろう。だが問題はそれを誰でも見ることができるSNSで行ってしまうことだ。

妬みを抱えた人間が他人の不幸に直面したとき、脳内ではドーパミンが分泌される。ドーパミンは意欲向上や疲労感の減少など快楽から意欲を生み出す「報酬系」のホルモンだ。もし他人の不幸でドーパミンが放出され、そこに快楽を感じたらどうなるか

他人の不幸を願うようになる。他人の悪口を過剰に言うようになる。これは対象がどう思うかは問題ない。悪口をいうことで脳内に快楽物質が放出される、ストレスが減った気になる、この繰り返しなのだ。

そしてこのネガティブな感情は感染し、通常であれば口にするのもはばかられる悪口を「言ってもいいんだ」と安心感さえ生み出してしまう。

その集団に取り込まれると誰かが言い出した悪口が空想だとしても「わたしもそう思ってた」「あの人ならやりそう」という現実に置き換えられ、自分たちの言ってることが正義だから許されるとでもいわんばかりのひどい言葉が飛び交う

もちろん発言は自由である。だがこの世の中に

「他人を傷つけていい自由」

はどこにも存在しない。匿名だから許される行為ではけしてないのだ。他の人がやったから、それだけの理由で他人を傷つけていいわけがない

わたしもネガティブな感情を抱きやすい。特にPMSや愛着障害により「消えたい」そんな感情に支配されることがある。だがそれが一過性のことも知っている。友人にすがり、とりとめのない話を聞いてもらい、同調し、たまには諫められ、そんな時間を過ごす。

実はそんなときこそ他人のネガティブな感情にひどくうずもれてしまう。他人のネガティブな感情が渦巻いてその真っ暗な中に飲み込まれてしまう。だからこそtwitterから離れ他人のネガティブな感情と距離を置くようにしている。

自己肯定感が落ちているときは人よりも喜怒哀楽の感情が伝染しやすいからだ。

妬みや悪口の多い人は他人よりストレスが多く、自己肯定感が低い。そんな人間が自分より優位だと感じる人間はどうするだろう。答えは簡単だ。

対象を自分のところに引きずりおろせばいい

そのためにバカにして悪口をいう、脳内で快楽物質がうまれる、この悪夢のような繰り返しなのだ

他人の不幸はどれだけ甘いものなのだろう。ひどく中毒性があり、それをSNSで発信することにより賛同を得られ、また脳内物質が放出される。刺激を求め、どんどん過激に人を傷つけてしまうのだ。それが永遠に残ることも忘れ・・・。

いまインスタで不倫相手への縦読みメッセージをのせたという画像が話題になった。結論からいうとこれは完全な

「コラ」画像

である。ただわたしはこれが本物じゃないといいきることもできない。これは作った本人が「本物じゃない」と証明しない限り「悪の証明」でしかない。

だがこれを信じた人たちや面白がった人たちがリツイートし、今はデジタルタトゥーとして消えることのないものになってしまった。 

許す許さないら不倫をしていた当事者たちのもんだいだ。しかし関係のない誰かのいたずら心によって魔女狩りのような空気すら感じる。

もちろん今回の当事者を擁護するつもりもない。当事者は当事者で罪を償うべきだ。だが第三者が永遠に残る嘘の画像を作ってまでその当事者に辱めを受けさせる権利などどこにもあるはずがない。

インターネットで「嘘を嘘と見抜けないひとは使うべきではない」というのは事実なのかもしれない。だがそのインターネットでの嘘を証明することは100%できない以上「騙されるほうが悪い」ことなどない。

これは自分でそう思うことであって、騙された人間に言う言葉ではない。誰かを騙し、また誰かを傷つけることをしてはいけないのだ。

**「騙す人間が悪い」 **

おそらくこの画像を作った人間は面白半分で人を馬鹿にし、快楽物質を得ようとしたのだろう。だってみんなが笑ってくれるから。そして周りにも彼を否定することもなく、褒める人間しかいなかったのかもしれない。

その人をフォローしている人間たちでさえ、騙し、ほとぼりが冷めたころ「やらかしちゃった」と戻るつもりなのかもしれない。

**みんなにすごいと思われたかった、だってみんなその方が喜ぶだろ、自分が過激なことをいえばいうほど面白がっただろ **

そんな彼の言い訳が聞こえてきそうだ。そして周りの人間が笑って「あなたらしい」「それでこそ君だ」「たいしたことない」きっとそういって擁護するだろう。気持ちの悪い馴れ合いが始まる。もう一度いう、1人の女の子の人生に消えない汚点を付け加えたことを「仕方ない」で片付けようとするのだ。だが

**彼のしたことはけして許されない。 **

許されるべきではない。おそらく今後もこの画像が残り続けていくことで訴訟の可能性も否定できない。

たかがSNS、だけどされどSNS。自由には責任がついてまわる。誰か個人を非難したりバカにするときはそれ相応のペナルティがあることさえ忘れがちになるほど、夢中になってはいけない。「いいね」にもフォロワーにも執着してはいけないのだから。

Twitterは友達を作るツールではないしフォロワー数は自分に向けられた銃口の数でもない。そして全部が味方でもない。

だけどそんな中で「そういうツイートはどうかと思うよ」と否定してくれる人がいるとすれば、Twitterは「信頼できる人間に出会わせてくれる場所」なのではないだろうか。

わたしはそんな人たちに出会わせてくれたTwitterが好きだからこそ、その人たちのためならいつでも手放せる。そう思えない、そう言ってくれる人間を受け入れられない人間にSNSには向いてないんだろう。

他人を傷つけて得る「いいね」にはなんの価値もないんだよ。どうか刺激と過激を履き違えないで。どうかその心の痛みを不特定多数にぶつけないで。あなたの幸せのために下じゃなく上にあがろう


最後まで読んでいただきありがとうございます。まだまだ不慣れですがサポートいただけるように頑張っていきます❤︎