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MP088_嫌いな人を、なぜ嫌うのか分析してみた

※【MP】=Make Progress:成長+書いてきた記事数

「この人のこと、受け入れがたいな(嫌いだな)・・・」

この感情を分析したい。

私は、ある人のことを、私が知っているその人について6割ぐらい受け入れがたいと感じている。(4割は受け入れることができるし、肯定できると感じている。)

その6割の感情を、持つことが疲れる。せめて2割くらいにしたい。

なぜそんな風に思ってしまうのだろう?


☑️元々人を嫌いになる人間ではないと自分自身について思っているため

人を「嫌だなー」と思うことがほとんどない。人生の中で、6割以上受け入れがたいなと感じた人は、3人くらい。(少ないと思っていたけど、一般的には多いのかな?)

「嫌いになる」という感情を持つことについて、ネガティブな感情を持っている。

世の中にはいろんな人がいるから、合う人もいれば、合わない人もいる。
そのことは知っているのだが、できればそう思う人を少なくしたいと感じている。

「気にしない」ということが自分にとって難しいから、自己防衛的に嫌いにならないようにしていたのかもしれない。

この自己防衛的に人との関わりを持つことは、「嫌いになる」より疲れない。

自分が疲れないために、人を嫌いにならない努力をしてきたのかもしれない。

☑️自分自身のコンプレックスを刺激する行動をしている人のため

3人の方の共通事項は「ぞんざいに扱われている気がする」という感覚をコミュニケーションを通して感じてしまう点。

自己肯定感が元々低いので、ぞんざいに扱うことの残酷さを身をもって自分が感じている。それを他者からされた日には自分を救えないことがあった。

その人たちの基準や価値観とただただ違うだけなのだと思うが、「私だったらそんな行動は、大切だと思っている人にはしない。」と思っている対応をされたことがあるため、その記憶が相手に対しての印象を悪い評価にしてしまい、6割を打破できない。

一方、4割の「いいな」と思う点もある。
4割もあれば十分だと書きながら感じている。

☑️嫌いでも好きでも、どちらの感情も大切にできるといい

嫌いになってもいいし、好きになってもいい。
現状の私は、嫌いになる方が疲れるから、好きになれる方がいいと感じているが、そもそもわざわざ「嫌いになりにいく」「好きになりにいく」というものでもない。

その感情は自然に湧くものなのだから。

その自然に湧く感情を受け入れられたらいいなと思う。

どちらの感情であっても、自然な心持ちでいれる自分になれたらなと思う。

嫌いな人に、特別何か私自身が行動を変える必要はない。

復讐心のようなものを芽生させる必要もない。

目の前の事象を絵のように見れるようになりたいと思った。


相手に対してどう感情を持っていようと、自分の無理のない行動を取ればいいだけだなーと感じている今。

どうしても嫌な部分が何割かあると、そちらの比重が大きくなってしまう。
好きだと思える何割が、その感情で消えてしまうのはもったいない。

そんなことを感じた分析でした。

本日もご一読ありがとうございました。

【本日の1パーセントの成長】

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