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大学留学で開花した自己流の学び方
父親に「もうお前は日本では受け入れられないんだから、英語が得意だったらアメリカにでも行ってしまえ」と言われた言葉は、当時の自分にとって非常に衝撃的だった。このアドバイスがどれほど真剣だったのか、それとも単なる感情的な発言だったのかは分からない。しかし、その言葉が自分の人生を大きく動かす転機となったことは間違いない。日本の大学受験が迫る中でのその言葉は、深い挫折感とともに、一つの新しい道を示されたようでもあった。
時は2月、早稲田大学の受験を控えていたが、勉強に対する自信を持てず、心の中では失敗を予感していた。親の期待に応えられないというプレッシャーと、自分の力が及ばないことへの諦めが入り混じった複雑な感情を抱えていた。早稲田を目指して何年も努力してきたはずだったが、成績は思うように伸びず、特に国語や日本史のような主要科目で成果が出ないことが自分を追い詰めていた。そこに父親の「アメリカに行け」という一言が加わり、頭の中で何かが大きく動き始めた。
父親の言葉は、当時の自分にとって受け入れがたいものだった。「日本では受け入れられない」というフレーズには、自分が社会の中で失敗した存在であるかのようなニュアンスが込められているように感じられた。自分が何をやっても成果を出せない、どこにも居場所がないという現実を突きつけられたように思えた。その言葉が頭を巡るたびに、自分の努力が無意味だったのではないかという疑念が膨らんでいった。
しかし、同時に「英語が得意だったらアメリカに行け」という部分には、別の可能性が示されていたことも事実だった。英語は自分にとって唯一「得意」と言えるものだった。日本では評価されなくても、アメリカという新しい環境では自分の力を活かせるかもしれないという希望を感じる部分もあった。それは逃避のようでもあり、新たな挑戦のようでもあった。結果的に、父親の言葉が留学という大きな決断を後押しすることになった。
早稲田大学の受験は、父親の言葉を聞いた後も諦めることなく挑戦した。しかし、どこかで「これが最後だ」という思いがあった。結果は不合格で、努力が報われなかったという現実を突きつけられた瞬間でもあった。不合格通知を手にしたとき、悔しさや悲しさはもちろんあったが、それ以上に「次はどうするか」を考えなければならないという切迫感が自分を動かしていた。そして、その次の一歩がアメリカへの留学という選択肢だった。
留学を決断した背景には、父親の言葉だけでなく、これまでの受験経験を通じて感じた自分の特性や限界が影響している。日本の受験制度では、細かい計画性や注意力、そして暗記力が求められるが、これらは自分にとって苦手な分野だった。一方で、英語を学ぶ際のように、新しいことを知り、それを自分のペースで吸収するプロセスには強い興味と集中力を発揮できた。このギャップが、日本の教育システムでは自分の力が評価されにくい理由だと気づき始めていた。
父親の「アメリカに行け」というアドバイスは、皮肉なものだったかもしれないが、その後の人生において重要なターニングポイントとなった。アメリカに行く決断をしたことで、自分の得意分野にフォーカスし、自分に合った環境で成長する機会を得ることができた。日本での受験の失敗は、自分に向いていない方法で努力を重ねた結果であり、それを別の形で活かす道を見つける必要があったのだと思う。
振り返れば、父親の言葉には冷たい響きがあったものの、それが自分の視野を広げ、次の挑戦への一歩を踏み出させる原動力となった。留学という選択肢を通じて、失敗を学びの機会に変えることができたし、日本で得られなかった成功や自信を、アメリカで少しずつ築くことができた。父親の言葉は、厳しさの中に可能性を示していたのだと今では思える。
留学を決めるまでわずか2~3ヶ月という限られた期間で、何か準備をしなければならない状況だったが、実際には英語がほとんど話せなかったという現実が大きな壁だった。この短期間で英語を習得するのは到底無理だと分かっていたが、出発のチケットはすでに手元にあり、後戻りはできない。やるしかないという気持ちが自分を突き動かしていた。
英会話教室に通おうという選択肢も浮かんだが、この短期間で劇的に話せるようになるとは思えなかったし、実際にそうする時間も余裕もなかった。結局、「現地でどうにかなるだろう」という半ば開き直った気持ちと、やや楽観的な思考に頼るしかなかった。ただ、この状況で完全に何もしないわけにはいかず、とにかく準備できることを始めるしかなかった。
留学に向けた具体的な準備の中で、まず必要だったのは「当面の資金」を確保することだった。学費や生活費は家族に頼るとしても、渡航後すぐに使えるお小遣いが必要だと思い、日雇いのバイトをすることにした。選んだのは簡単な肉体労働の仕事や、単発の軽作業だった。朝早く起きて現場に行き、与えられた作業を黙々とこなす日々を送り、少しでも留学後の生活に備えようとした。
バイトをしている間も、「自分が本当にアメリカでやっていけるのか」という不安が常に頭をよぎっていた。英語を話せないまま渡航するというのは、まるで地図なしで異国の地を歩くようなもので、どうなるか想像がつかなかった。それでも、日雇いの仕事で少しずつ貯金が増えていくと、「少なくともお金だけは準備できた」というささやかな安心感があった。
一方で、英語ができないまま渡航することへの恐怖心も日に日に増していた。自分の中では「行けばなんとかなる」という楽観的な部分と、「絶対に大変な目に遭うだろう」という不安が入り混じり、複雑な感情を抱えていた。この2~3ヶ月間は、未来への期待と不安の両方に振り回される時間だった。
準備の一環として、少しでも英語に触れる機会を作ろうとしたが、何をどう学べば良いのか分からなかった。英語の参考書を開いてみても、文法や単語の暗記に時間を割く余裕はなく、効率的な学習方法を見つけることができなかった。結果として、ほとんど何の対策もできないまま、出発の日を迎えることになった。
このような短期間での準備は混乱の連続だったが、振り返ってみると、すでにチケットを手にしていたことが自分を行動させる原動力になったとも言える。迷いや不安があっても、「もう行くしかない」という状況に追い込まれていたため、逆に考えすぎずに動けた部分もあった。
日雇いのバイトで得た少しのお金は、留学後の生活をスタートするための小さな安心材料となった。この経験を通じて、完全に準備が整わないままでも、まず動き出すことの重要性を学んだ。短期間の間にすべてを完璧にこなすのは無理だったが、行動することで次のステップへの道が開けることを知った。この「準備不足でも進む」という姿勢が、結果的に留学生活での挑戦や困難を乗り越える基盤となったように思う。
大学生活の最初の難関は、寮の手続きを完了させることだった。英語が全く喋れない状態で、「寮の手続きをしたい」とすら伝える言葉が出てこない。そんな状況で、まさに右も左も分からない中、現地のレジデントアシスタントとのコミュニケーションを試みることになった。
最初に遭遇したのは、彼らが話しかけてくる英語がまるで異世界の言語のように聞こえるという現実だった。何を言っているのかさっぱり分からず、頭の中は真っ白。単語は耳に入ってきても、それがどのような意味を持ち、自分が何をすべきなのかを理解する余裕はなかった。ただ、その場で自分ができたのは、とにかく笑顔を浮かべること。笑顔と一緒に発するのは、「What?」「What did you say?」「Say it again, please!」といった短いフレーズばかり。これらの言葉は、自分にとって英語の応急処置のようなものだった。
しかし、問題はそれだけでは終わらない。たとえレジデントアシスタントが繰り返し説明してくれたとしても、その英語自体が理解できない。何度も「What?」を繰り返した後、説明の内容を聞き取れないまま、最終的には「Yes」という言葉に頼るしかなかった。どんな質問をされているのかも分からず、それでも「Yes」と答えることでその場をしのいだ。
この「笑顔」と「Yes」の連発が、自分にとって唯一のコミュニケーション手段だったのだが、レジデントアシスタントの方が空気を読んでくれたのは幸運だった。私が何も理解できていないことを察しつつも、最終的には鍵を手渡してくれた。その瞬間、ようやく寮の手続きが完了し、新しい生活の第一歩を踏み出すことができた。
この経験を振り返ると、自分の英語力のなさがいかに大きな壁だったかを痛感する。だが同時に、言語が通じなくても、相手が状況を察して助けてくれることがあるという事実も学んだ。笑顔や相手への感謝の気持ちは、言葉以上の力を持つことがある。このときのレジデントアシスタントの対応がなければ、寮生活のスタートすらままならなかったかもしれない。
また、このエピソードは、留学生活が始まる前の不安が現実になった瞬間でもあった。英語ができないまま飛び込んだ新しい環境では、こうしたコミュニケーションの問題が何度も起こることを予感させた。しかし、この初めての試練を乗り越えたことで、なんとかやり遂げられるという小さな自信を得たのも事実だった。笑顔と「Yes」だけでも、前に進むことができるという教訓を、この経験を通じて実感した。
留学をしてようやく英語が話せるようになったのは、自分の中で「あること」が開花したからだ。それは、英語を完璧に話そうとするプレッシャーを手放し、「間違えてもいいから伝えたい」という意欲が芽生えた瞬間だった。最初の頃は文法や発音を気にしすぎて言葉が出てこなかったが、この意識が変わったことで、コミュニケーションのハードルが一気に下がった。
初めてこの変化を感じたのは、日常生活の中で「英語が伝わることの楽しさ」を実感した時だった。例えば、友達との何気ない会話や、スーパーでの買い物で店員とやり取りをする中で、たとえ文法が間違っていても自分の意思が伝わった瞬間の喜び。それまで英語を話すことは「正しいかどうか」にばかり囚われていたが、伝えることそのものが楽しいと感じ始めたのだ。
また、英語を学ぶ中で、自分にとって一番効果的な方法を見つけたことも大きかった。それは、教科書を使った勉強よりも、日常会話やリアルな状況で英語を使うことだった。例えば、友達と一緒に映画を見ながらセリフを真似してみたり、カフェで隣の席の人と簡単な挨拶を交わすこと。教科書で学ぶ文法的なルールよりも、リアルな会話の中で耳にするフレーズや表現を使ってみることで、少しずつ自分のものにしていった。
さらに、相手の反応が自分の英語学習に大きな影響を与えた。間違えた英語でも笑顔で受け入れてくれる人々の姿に触れるたびに、「失敗しても大丈夫」という安心感を得ることができた。この経験が、自分の中で「完璧である必要はない」という考えを強くした。逆に、完璧を目指そうとするプレッシャーは英語を話す楽しさを奪い、結果として成長を妨げていたことにも気づいた。
ある時、学校のプレゼンテーションでクラスメイトの前で英語を話す機会があった。そのときも緊張で頭が真っ白になりそうだったが、深く考えすぎずに「自分の言葉で伝えよう」と決めた。話してみると、クラスメイトが頷いたり笑顔を見せてくれる反応を見て、自信がついた。この瞬間、「間違いを恐れずに話す」という心構えが、英語を話す力を引き出してくれることを実感した。
英語が話せるようになったきっかけは、技術的な面よりも心理的な変化が大きかった。「伝えることに集中する」「失敗を恐れない」「楽しむ」という意識が、自分の英語力を引き出し、新しい可能性を広げてくれた。これらの気づきが、留学生活全体を通じて自分を支える大きな柱となった。
アメリカでの生活が少しずつ進む中で、ある日、アメリカ人が話すネイティブの英語を耳にして、独り言で真似するようになったのが大きな転機となった。これが、自分の英語力を自然に伸ばす重要な習慣になっていった。
最初は、アメリカ人の話すスピードや発音が速すぎて、とてもついていけないと感じていた。ただ、その会話をじっと聞いているうちに、「こういうふうに話すんだ」と感覚的に捉えるようになり、気づいたら口の中でそのフレーズを繰り返して真似していた。たとえば、「What’s up?」や「Oh my god!」のような日常的な言い回しを、実際の会話のリズムやイントネーションをそのまま取り込むような形で練習していた。
この独り言の真似は、完全に無意識のうちに始まった。友達同士のカジュアルな会話や映画、テレビ番組のセリフを耳にすると、頭の中で繰り返しながら、自然と口元でつぶやいていた。最初はただモノマネのような感覚だったが、続けているうちに、自分がそのフレーズを実際の会話で使ってみたいと思うようになり、少しずつ勇気を持って口に出すようになった。
この方法が効果的だった理由は、ネイティブスピーカーが使う「生きた英語」に直接触れ、それをそっくりそのまま模倣することで、自然なリズムや表現が身についたからだと思う。教科書には載っていないスラングや、言葉の省略の仕方、感情の込め方など、ネイティブ独特の使い方をそのまま学べた。特に、イントネーションやアクセントの微妙なニュアンスを真似することで、聞き取りやすさや話し方の自然さが少しずつ向上していった。
この「独り言で真似する」という習慣は、英語を話すことに対するプレッシャーを軽減する効果もあった。誰かと話すわけではなく、自分一人で真似しているだけなので、間違えても恥ずかしくないし、失敗を恐れる必要がない。このリラックスした環境の中で、言葉を繰り返し練習することで、英語を話すことそのものに対する抵抗感が徐々に薄れていった。
ある時、この独り言が実際の会話で役立つ瞬間が訪れた。友達との会話で、以前に独り言で練習していたフレーズを自然と口に出したところ、相手が驚きながら「今の言い方、すごくネイティブっぽいね!」と言ってくれた。その瞬間、自分の努力が成果を上げていることを実感し、大きな自信を得ることができた。
この独り言の習慣を続ける中で、英語はただの「外国語」ではなく、「自分が使いこなせる言葉」に少しずつ変わっていった。真似をすることで、自分の中に英語のリズムや表現が蓄積され、それが自然と話せるようになるきっかけを作ってくれたのだと思う。この独り言の練習は、楽しく、気負わずにできる学習法として、自分にとって非常に効果的だったと感じている。