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記憶力と注意力の限界が生む、面白い失敗談

大学で留学をした際に、FBIのプロファイラーになりたいと思い、心理学を専攻した経験は、目標に向かって動き出す行動力と同時に、ADHDの特性がもたらす困難を如実に感じた出来事だった。その当時、自分の夢は明確だった。犯罪心理学を学び、犯罪者の心理を読み解き、社会の安全に貢献する仕事をしたいという強い思いを抱いていた。だからこそ、心理学を専攻に選び、副専攻で社会学を取り、さらに犯罪学の授業を積極的に履修する形で学びを進めていった。

しかし、この熱意あふれる学びの中には、ADHD特有の「注意散漫さ」や「衝動性」が潜んでいたことに気づいたのは、実に3年目に入った頃だった。学びを進める中で、心理学の基礎や犯罪学の知識を吸収しながら、徐々に夢に近づいているような感覚を持っていたが、その夢の土台が根本的に崩れるような瞬間が訪れた。それは、FBIのプロファイラー職の応募条件を初めて確認した時だった。

その応募条件の一行目に「アメリカ市民であること」と明確に記載されていたことは、まるで冷水を浴びせられるような衝撃だった。2年以上も学びに時間とお金を費やし、さらには夢に向かって努力してきたにもかかわらず、その夢が叶う前提すら満たしていなかったという事実に直面した。自分の目標に向けての情熱や努力は全て空回りしていたように思え、失望と挫折感は計り知れないものだった。

この出来事を振り返ると、ADHDの特性が深く影響していたことを感じる。ADHDを持つ人は、アイデアや目標を思いついた瞬間に行動に移す衝動性が強く、計画や下調べを十分に行わないまま進んでしまうことが多い。自分の場合も、FBIのプロファイラーになるという夢を持った瞬間から、それに関連する学びを始めることに全力を注ぎ、最も重要な前提条件を確認するというステップを飛ばしてしまった。結果として、この注意散漫な行動が大きな挫折につながった。

とはいえ、この経験そのものが無駄だったとは思わない。心理学や犯罪学を学ぶ中で得た知識や視点は、その後の人生においても大いに役立つものとなったし、この挫折を通じて「計画性」の重要性を痛感することができたからだ。ADHDの特性を持つ人にとって、目標に向かう道筋を明確に描くことは難しい場合が多い。しかし、この特性を理解し、自分の行動を見直す機会を得たことで、次の目標に向かう際にはより現実的で慎重なアプローチが可能になった。

最終的に、FBIの夢は諦めざるを得なかったが、心理学の学びを続け、他の分野で自分の知識を活かす道を見つけることができた。挫折感は当時は大きかったが、それを糧にして「自分にとって何が重要なのか」を改めて考える時間を持つことができた。この経験を通じて学んだことは、計画や下調べの重要性だけでなく、挫折した時にどう立ち直るか、次の道をどう切り開くかという人生全般における教訓でもあった。

ADHDの特性は、時に大きな障害となることがあるが、それを受け入れ、自分なりの対策を講じることで、次の挑戦への糧とすることができる。この出来事は、自分にとって単なる失敗ではなく、成長のきっかけとなる重要な経験だったと今では思える。

自分の大学受験やその過程での経験は、FBIを目指した時の失敗と同じく、ADHDの特性が浮き彫りになる場面が多かった。大学受験を意識し始めた時期自体は非常に早く、周囲の生徒よりもはるかに早く目標を定め、行動に移していた。その熱意は本物で、早稲田大学を志望校に掲げ、過去問を扱う予備校のクラスに通い詰めるほどだった。しかし、この早いスタートと目標への強い意欲が、最終的には空回りしがちだったこともまた事実だ。

早稲田に加え、慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパス(SFC)も目指すようになり、高校三年生になるとSFC特有の英語問題対策に没頭した。SFCの英語試験は通常の大学受験の英語問題と異なり、英語で出題される英語問題という形式を採用しており、当時の自分にとって新しい挑戦だった。その特異な試験形式に合わせた学習が必要だと感じ、慶應出身の予備校講師の授業を取るなど、志望校に向けた勉強は一見すると周到だった。

その中で、予備校の先生からTOEFLについて話を聞く機会があった。TOEFLは海外留学を目指す学生が英語能力を測るために受験する試験であり、英語を英語で聞き、解答する形式が採用されている。その話を聞いた瞬間、私はこの試験に大きな興味を抱いた。「英語を英語で解く」という形式がSFCの試験形式と似ていると感じたからだ。結果的に、自分の中での優先順位が急激に切り替わり、大学受験の勉強と並行してTOEFLの勉強に時間を割くようになった。

しかし、ここで問題となったのは、当初の目標と新たな興味の間でのバランスを取ることができなかった点だ。早稲田や慶應を目指して準備していたはずが、TOEFLという新しい興味に気を取られ、受験に直接関係のない勉強に多くの時間を費やすことになった。結果的に、大学受験に必要な範囲の勉強が中途半端になり、志望校合格という目標に向けた計画が大きく崩れてしまった。

このような経験は、FBIを目指してアメリカに留学した際の失敗と共通点が多い。どちらのケースでも、目標への情熱は本物であり、行動力もあった。しかし、下調べや計画性が不足していたため、途中で新たな情報や興味が生まれるとそちらに意識が移り、本来の目的から逸れてしまった。この行動パターンは、ADHDの「衝動性」や「注意の移ろいやすさ」によるものだと感じる。

TOEFLへの興味は、その後の留学生活において役立つ知識や経験を得るきっかけになったものの、当時の自分には「目標達成のために必要なこと」と「興味を追求すること」を区別するのが難しかった。受験という明確な目標がありながら、それに直結しない課題や興味に時間を費やしてしまうことで、本来の計画が大きく狂うことを繰り返していた。

この経験を振り返ると、自分が目標を立てる能力と、それを達成するための具体的なプロセスを維持する能力には大きなギャップがあることに気づく。ADHDの特性によって、一つの目標を定めても、それに向けた計画を順守することが苦手であり、結果的に目標達成から遠ざかる行動を取ってしまう。その一方で、目標以外の新たな興味や挑戦への行動力は、ポジティブな要素としても捉えることができる。

早稲田や慶應に向けた勉強とTOEFLの勉強を同時に進めた結果、どちらにも中途半端になり、志望校合格という目標は達成できなかったものの、この過程で得た知識や経験は後に活きることになった。失敗と挫折を経験することで、計画の重要性を学び、自分自身の特性を理解することができた。ADHDの特性がもたらす困難は大きいが、その中で得た学びや教訓を糧に、次の挑戦に向けて成長するきっかけを掴むことができたと感じている。

英語のスキルは順調に伸びていった一方で、日本語や国語の成績はなかなか伸びず、そこに大きなギャップを感じていた。この現象は、ADHDの特性と関係があるのではないかと振り返って考えることができる。英語においては、新しい単語や文法を学ぶことに強い興味を感じ、スムーズに吸収できた。それに比べて、日本語や国語では、特に長文読解や細かな文法規則の理解、そして論理的に文章をまとめる作業に苦労した。これは、ADHD特有の注意力の偏りや興味の対象が限定される傾向によるものかもしれない。

英語は「新しいことを知る」という刺激が常に伴うため、興味を引きやすかった。例えば、新しい単語を覚えるたびに「これでまた一つ自分が世界と繋がれる」という感覚があり、それが学習のモチベーションとなっていた。さらに、英語を学ぶ過程では、リズムや音に敏感である特性が活かされ、リスニングや発音のスキルが特に速いペースで向上していった。また、英語の勉強においては短いスパンでの達成感を得やすい。新しいフレーズを覚えたり、短い文章を理解できたりするたびに、すぐに成果が実感できる点が、自分に合っていた。

一方で、日本語や国語の学習では、そうした短期的な達成感を得る機会が少なく、モチベーションが続かないことが多かった。特に、長文読解では一つの文章に集中する必要があり、注意力を持続させるのが難しかった。また、国語の問題では「筆者の意図を読み解く」ことが求められるが、その答えが一つに決まらない曖昧さにストレスを感じていた。自分にとっては、「これが正解だ」と思った答えが実際には不正解だったり、模範解答とのズレを指摘されたりするたびに、自信を失うことも多かった。

日本語や国語は、既に日常的に使っている言語であるため、新鮮味を感じにくかった。英語を学ぶ際には、「新しい言語」という未知への挑戦としての面白さがあったが、日本語の勉強にはそれがなかった。興味を引かれない対象に対して集中力を保つのが難しいADHDの特性が、ここでも大きく影響していたのだと思う。

国語では文章を要約したり、論理的に構成を組み立てたりする力が求められるが、これにも苦労した。要約では、文章全体を把握し、重要な部分を抽出する能力が必要になるが、注意力が分散しやすいため、どこが重要なのかを判断するのが難しかった。また、自分の思考を整理して論理的に書く際には、頭の中で考えていることがどんどん広がってしまい、結論がまとまらないという問題もあった。このため、文章を書く作業に非常に時間がかかり、その結果、苦手意識がますます強まってしまった。

英語が順調に伸びる一方で、日本語や国語が伸びなかった背景には、学習内容やスタイルが自分の特性に合っているかどうかが大きく関係していた。英語は短期的な達成感を得られる要素が多く、また新しい知識への興味が引き出されやすい科目だった。一方、日本語や国語は、一つの文章に集中する力や長期的に注意を維持する力が求められ、それが自分にとって負担となっていた。さらに、曖昧な答えを求める学習スタイルや、達成感を得るまでの時間が長いこともモチベーションの維持を難しくしていた。

このギャップを通じて学んだのは、どのような学習方法が自分に合っているのかを見極める重要性だった。たとえば、日本語や国語を勉強する際には、長い文章を一気に読もうとせず、短い段落ごとに区切って要点を整理する方法を試した。また、文章を書く際には、まず箇条書きでアイデアを出し、それを順番に組み立てるという手法を取り入れた。これにより、少しずつ国語に対する苦手意識を克服するきっかけをつかむことができた。

英語と日本語で成績の伸びに大きな差が生まれた経験は、ADHD特有の注意力の偏りや興味の対象が学習成果に大きく影響を与えることを教えてくれた。自分に合った学習スタイルを見つけ、特性を理解しながら工夫を重ねることで、苦手分野にも少しずつアプローチできるようになる。この経験は、単なる学業の一環としてだけでなく、自己理解と自己成長の大きなステップだったと思う。

英語のスキルは順調に伸びていった一方で、日本語や国語の成績はなかなか伸びず、そこに大きなギャップを感じていた。この現象は、ADHDの特性と関係があるのではないかと振り返って考えることができる。英語においては、新しい単語や文法を学ぶことに強い興味を感じ、スムーズに吸収できた。それに比べて、日本語や国語では、特に長文読解や細かな文法規則の理解、そして論理的に文章をまとめる作業に苦労した。これは、ADHD特有の注意力の偏りや興味の対象が限定される傾向によるものかもしれない。

英語は「新しいことを知る」という刺激が常に伴うため、興味を引きやすかった。例えば、新しい単語を覚えるたびに「これでまた一つ自分が世界と繋がれる」という感覚があり、それが学習のモチベーションとなっていた。さらに、英語を学ぶ過程では、リズムや音に敏感である特性が活かされ、リスニングや発音のスキルが特に速いペースで向上していった。また、英語の勉強においては短いスパンでの達成感を得やすい。新しいフレーズを覚えたり、短い文章を理解できたりするたびに、すぐに成果が実感できる点が、自分に合っていた。

一方で、日本語や国語の学習では、そうした短期的な達成感を得る機会が少なく、モチベーションが続かないことが多かった。特に、長文読解では一つの文章に集中する必要があり、注意力を持続させるのが難しかった。また、国語の問題では「筆者の意図を読み解く」ことが求められるが、その答えが一つに決まらない曖昧さにストレスを感じていた。自分にとっては、「これが正解だ」と思った答えが実際には不正解だったり、模範解答とのズレを指摘されたりするたびに、自信を失うことも多かった。

さらに、日本語や国語は、既に日常的に使っている言語であるため、新鮮味を感じにくかった。英語を学ぶ際には、「新しい言語」という未知への挑戦としての面白さがあったが、日本語の勉強にはそれがなかった。興味を引かれない対象に対して集中力を保つのが難しいADHDの特性が、ここでも大きく影響していたのだと思う。

また、国語では文章を要約したり、論理的に構成を組み立てたりする力が求められるが、これにも苦労した。要約では、文章全体を把握し、重要な部分を抽出する能力が必要になるが、注意力が分散しやすいため、どこが重要なのかを判断するのが難しかった。また、自分の思考を整理して論理的に書く際には、頭の中で考えていることがどんどん広がってしまい、結論がまとまらないという問題もあった。このため、文章を書く作業に非常に時間がかかり、その結果、苦手意識がますます強まってしまった。

英語が順調に伸びる一方で、日本語や国語が伸びなかった背景には、学習内容やスタイルが自分の特性に合っているかどうかが大きく関係していた。英語は短期的な達成感を得られる要素が多く、また新しい知識への興味が引き出されやすい科目だった。一方、日本語や国語は、一つの文章に集中する力や長期的に注意を維持する力が求められ、それが自分にとって負担となっていた。さらに、曖昧な答えを求める学習スタイルや、達成感を得るまでの時間が長いこともモチベーションの維持を難しくしていた。

このギャップを通じて学んだのは、どのような学習方法が自分に合っているのかを見極める重要性だった。たとえば、日本語や国語を勉強する際には、長い文章を一気に読もうとせず、短い段落ごとに区切って要点を整理する方法を試した。また、文章を書く際には、まず箇条書きでアイデアを出し、それを順番に組み立てるという手法を取り入れた。これにより、少しずつ国語に対する苦手意識を克服するきっかけをつかむことができた。

英語と日本語で成績の伸びに大きな差が生まれた経験は、ADHD特有の注意力の偏りや興味の対象が学習成果に大きく影響を与えることを教えてくれた。自分に合った学習スタイルを見つけ、特性を理解しながら工夫を重ねることで、苦手分野にも少しずつアプローチできるようになる。この経験は、単なる学業の一環としてだけでなく、自己理解と自己成長の大きなステップだったと思う。

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