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ニューヨーク遠征
ローカルバンドが地元でのファンベースをある程度築き上げると、遠方の地域へ遠征ツアーをすることがある。
ツアーというほど大げさなものではなく、自分たちでバスをチャーターしてアウェイへ活動範囲を広げていくのだ。
私たちのバンドは、ボルチモアでのファンベースもまだできていなかったため遠征するには早い段階だったが、ニューヨークのブルックリンにあるL'Amourというベニューでブッキングの機会を得た。
L'Amourはブルックリンにあったロッククラブで、1978年にディスコクラブとしてオープンしたが、1981年頃からロックミュージックにシフトし、「ロックの首都」として知られるようになった。
このクラブは特に1980年代から1990年代にかけて、アメリカのヘヴィメタルシーンにおいて重要な役割を果たした。
L'Amourでは、Metallica、Anthrax、Overkill、Slayerなど、多くのバンドが初期の頃にパフォーマンスを行った。
クラブのオリジナルDJであるアレックス・ケインは、多くのバンドの知名度を高めるために重要な役割を果たした。
クラブは2004年に閉店し、その後スタテンアイランドなど他の場所で一時的に営業されたが、元のL'Amourの影響力や人気には及ばなかった。
アレックス・ケインは、ブルックリン出身のDJで、ニューヨーク市の最初のハードロック/ヘヴィメタルクラブDJとされている。
彼のクラブDJキャリアは1970年代半ばにモバイルDJとしてダンスミュージックを回していた頃から始まり、Night Gallery Discothèqueで開催された「DJバトル」コンテストで優勝したことで注目を浴びた。
その後、彼はL'Amourで働き始め、同クラブのオリジナルメタルDJおよび最長期間の常駐DJとなった。
ケインは、Metallica、Anthrax、Overkill、Slayerなど、後に大成功を収める多くのバンドの楽曲を初めてクラブで回し、その知名度を高めるために重要な役割を果たした。
彼のプレイリストは主にヨーロッパのバンドを中心としており、当時アメリカのバンドよりも進んでいると感じていた。
彼の影響力は非常に大きく、L'Amourで流された曲は観客によってすぐに購入されることが多かった。
L'Amourは、ケインの在籍期間中に、アメリカおよびヨーロッパのメタルバンドを支援し、知名度を高めるプラットフォームとなった。
ケインはまた、ホラー映画のシーンとヘヴィメタル音楽を組み合わせたビデオジョッキー(VJ)の先駆者でもあった。
この手法は他のクラブでも模倣されるようになり、L'Amourの名声をさらに高めた。
現在もDJとして活動を続けており、ニューヨークやニュージャージーのクラブシーンで活躍している。
彼は、L'Amourの歴史と自身の経験をまとめた本『L'Amour: Rock Capital of Brooklyn』を執筆しており、この本には彼の貴重な写真やインタビューが多数収められている。