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中学生時代のユニークなエピソード:自陣ゴールへのシュート
中学時代のバスケ部でのユニークなエピソードは、ADHDの特性がどのように日常の出来事に表れるのかを象徴する一幕だった。弱小チームとして毎回勝てない試合を繰り返していた中、リバウンドだけでも取ろうと必死になっていたその日の練習試合。リバウンドはバスケットボールにおいて極めて重要な要素であり、しばしば「リバウンドを制する者は試合を制する」と言われるほどだ。しかし、リバウンドは同時に非常に難しいスキルでもある。敵と味方が激しく競り合う中、ボールを手にするにはタイミング、位置取り、ジャンプ力などが要求される。しかし、その瞬間はなぜか簡単にリバウンドを制することができた。
普段ならばリバウンドを巡って複数の敵が周囲を囲むはずが、その時ばかりは奇妙なほどに一人きりだった。誰にも邪魔されずにボールを手にした瞬間、何の躊躇もなくジャンプシュートを試みた。この動きは、バスケットボールをする人ならばごく自然な反応だろう。リバウンドを取ったら即座に攻撃に移る――この一連の動作は、試合をひっくり返すための基本的な戦略の一部だからだ。しかし、そのシュートは無情にもリングに弾かれ、ボールは再び自分の方に跳ね返ってきた。
ここからの展開はさらに特異だった。再びリバウンドに成功するのだが、周囲に敵の気配がまったくない。緊張感がなく、むしろ余裕さえ感じる状況だった。この瞬間、自分のジャンプ力が突然格段に向上したのだと確信した。試合中にリバウンドを独占できるというのは滅多にないことであり、それが自分の成長の証であるかのように錯覚してしまったのだ。そして再びジャンプシュートを試みたところ、今度は見事にシュートが決まった。だが、歓喜の瞬間は一瞬で消え去る。周囲の異様な空気感とチームメイトの驚きに満ちた表情に気づいた時、事態を理解した。シュートが決まったのは自陣ゴールだったのである。
この自殺点を確実に決めるまでの一連の行動には、ADHD特有の衝動性と注意の欠如が如実に表れている。まず、リバウンドが取れた理由に対する状況把握が欠けていた。本来、敵がリバウンドに加わらなかったのは速攻を恐れて自陣に戻っていたからであり、それを一人でジャンプ力の向上による成果だと錯覚した。このような自己評価のズレは、ADHDの特性による情報処理の違いに由来する可能性が高い。
さらに、自陣ゴールにシュートしてしまったことに気づかなかったのも、周囲の状況に対する注意が散漫になりやすいADHDの特徴といえる。通常であれば、敵が近くにいない状況を不自然と感じたり、自陣ゴールであることを即座に認識したりするだろう。しかし、この一連の行動中、頭の中では「リバウンドを取る」「シュートを決める」といった短絡的なタスクが優先され、周囲の情報が頭に入ってこなかった。
また、この失敗に気づくのが遅れるという点も、ADHDの特徴を示している。ADHDの人は、行動の結果を振り返る力が他の人よりも弱い場合が多い。これにより、間違いをしてもすぐに気づかず、その行動を繰り返してしまうことがある。このエピソードでは、最初のシュートが外れた時点で間違いに気づくチャンスがあったにもかかわらず、再びリバウンドしてシュートを試みてしまった。
結果的に、この一連の行動は相手チームに戦わずして得点を与える形になったが、これをただの失敗談として片付けるのはもったいない。実際、この出来事はADHDの持つユニークな一面を示している。まず、普通なら恥ずかしく感じたり後悔したりする場面で、本人は至って自然体であり、その後も特に気にすることなく行動を続ける。この自己肯定感の高さや天真爛漫さは、ADHDの強みでもある。また、このエピソードを笑い話として共有することで、周囲の人々に笑顔をもたらすエンターテイナー的な側面も持ち合わせている。
中学時代のこのエピソードは、ADHDがもたらす一見ネガティブな側面が、ユニークで面白い経験として捉え直すことができる好例である。バスケットボールという競技の中での失敗が、ただの挫折ではなく、自分の特性を知るきっかけになり、周囲との関係を和やかにする一場面として機能したのだ。このような経験を通じて、自分の特性を前向きに受け入れることが、ADHDを抱える人々にとって重要な学びとなる。