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36%の減給

帰国してすぐに就職したのは、法人化されたばかりの外資系企業だった。

入社した企業は英国系のたばこ会社で、私は日本の法人で11番目に入社した社員だった。

社内文化は完全に海外スタイルで、スピード感があり、四半期ごとにビジネス方針が変わるのが当たり前だった。

グローバル視点での迅速なビジネスサイクルが求められ、私もそれに応じて仕事を進めていた。

しかし、国内で取引する相手は日本企業であり、ビジネスサイクルははるかに遅かった。

このギャップが、私のキャリアにおける大きな試練となった。

この企業はイギリス企業だった。

私はアメリカの企業文化を知っていたため、最初は同じようなものだと考えていたが、イギリス企業は意外にも日本企業に近い部分が多いことに驚かされた。

例えば、上司や幹部が来社する際には、様々な準備やお膳立てが求められ、政治的な配慮も大きく影響するのだ。

歴史の長い国特有の文化が根深く残っており、日本企業と同様に、見えないところでの調整が重要視される。

特に、私の上司であったアジア担当の副社長は非常に政治的な人物で、彼が直接仕事をこなすよりも、周囲に圧力をかけて成果を出させるタイプだった。

彼の指示する施策にはしばしば市場の現状やニーズとの乖離が見られたが、そうした状況にもかかわらず、フィードバックをすることは許されなかった。

副社長の指示に「イエス」と答えることが唯一の選択肢だったのである。

このような状況下で、私の同僚であったマーケティングマネージャーもレイオフに遭うことになった。

彼は元々日本の大手たばこ会社でトップブランドを手掛けており、その後、海外本部でのアサイメントも成功させて帰国した非常に優秀な人物だった。

彼のような人格者がレイオフされる理由は、ビジネス的な問題ではなく、完全に政治的なものであった。

副社長の施策は、効果がすぐには現れないとフィードバックされることが多かったが、それを受け入れることなく、次々と新しい施策を打ち出していた。

こうした方針に反発することは許されず、マーケティングマネージャーがレイオフされた理由も、「副社長の施策に疑問を呈し、忠実に従わなかったから」という理不尽なものだった。

企業の中では、確かに上司の指示に従うことが求められるが、マーケティングのリソースが限られたスタートアップにおいては、市場のニーズを無視して無駄に予算を使う「イエスマン」こそ排除されるべき存在だったと感じる。 

日本企業を相手にする場合、通常一つの施策には4ヶ月ほどの期間を要するが、私の所属していた企業では四半期ごとに予算の見直しが行われていた。

そのため、プロジェクトが途中でも「打ち切れ」という指示が平然と飛んでくることがあった。

顧客からの信頼を損ねると主張しても、それに耳を貸す文化はなく、結果としてレイオフに繋がるのが常だった。

マーケティングチームも例外ではなく、私を含めた6人のチームメンバーのうち、2年以内にほとんどがレイオフされるか、自主退職を余儀なくされた。

マーケティング部門が弱体化する一方で、グローバルの役員は日本の業績を理由に、営業部門にリソースを集中させることを決定した。その結果、マーケティングの業務は台湾から遠隔で行われることになり、私は営業部門への異動を命じられた。

職務の内容そのものに異論はなかったが、営業とマーケティングでは給与体系が異なり、私は大幅な減給を迫られた。

具体的には36%の減給だった。

これはかなりの痛手であり、人事部からは「受け入れるか、退職するか」という二択が提示された。

もし減給を拒否すれば、レイオフとなり、退職パッケージも提供されないという強硬な姿勢だった。

この状況をリクルーターに相談したところ、10%の減給はよくある話だが、36%は乱暴すぎると指摘され、転職を考えるべきだと言われた。

私はやむを得ず減給を受け入れる書類にサインし、同時に転職活動を始めることにした。

営業部門への異動は1月から始まる予定であり、それまでに日本の運転免許を取得する必要があった。

アメリカでは10年以上運転していたが、日本の免許取得の技能試験で5回も不合格になり、困難に直面していた。そこで、私は合宿に参加して免許を取得することにしたが、費用は20万円以上かかり、これも痛い出費だった。

免許取得と並行して転職活動を進めたが、なかなか結果が出なかった。

しかし、12月末にようやく免許を取得し、同時に新しい転職先も決まった。

新しい職場での初出社日は1月5日で、なんとか減給前に退職することができた。

しかし、次に転職した企業は、日本企業そのものであり、また別の試練が待ち受けていた。

新しい職場に入社してすぐ、私は外資系企業で培ったスピード感や効率性が全く通じないことに気づいた。

日本企業特有の細かい手続きや承認プロセスに戸惑いながらも、再び自分のスキルを発揮できる場を見つけるべく奮闘する日々が始まった。

この経験を通じて、私はアメリカ、イギリス、日本という異なる文化での働き方を学び、それぞれの良い点と課題を見つけることができた。

しかし、最終的には、自分にとって何が最も重要かを見極め、それに応じたキャリア選択をしていく必要があると痛感した。

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