写真集を見て思うこと〜マン・レイ 植田正治 石内都など〜
写真集を見返してみる
写真家の写真集を少々所持している。
写真集って大きくて高価で、なかなか購入するのに勇気がいる。
写真家の親戚がくれたアンリ・カルチェ・ブレッソンのもの、マン・レイのものはめちゃくちゃ分厚くて、よほどのことがないと開かない。
なぜだかわからないけど、これらの作家に感銘を受けた記憶はなくて、
子供のころから植え付けられた「スゴイ写真家」というイメージばかりが先行してしまっている感じが私の中である。
格好いいと思うけど、子供の頃から慣れ親しみ過ぎている感じ。
その一方で、自分で購入した写真集には思い入れが強い。
一番好きなのは、植田正治「写真とボク」
それから有元伸也「TOKYO CIRCULATION」
石内都「マザーズ 2000-2005 未来の刻印」も個人的な思い入れがある。
石内都「マザーズ 2000-2005 未来の刻印」
石内都のものはストーリーが感じられる。
印象的に撮影された古びたお母様のモノたち。
萎びたシミーズとか使い古した口紅なんかを
わざわざこうして綺麗に撮るのは、
お母さんを愛している表れのように思えて、
お母さんを思う祈りみたいなものが写真に出ている気がするのである。
私は、この写真に山口百恵の「秋桜」という
曲を思い浮かべてしまう。
この曲はさだまさしが書いた、
これから嫁ぐ娘の母を思う歌ではあるのだが。
石内都は女性カメラマンの代表的な人で、
この作品を世に出した当時からちょっと尖った格好いい女性であり、
嫁ぐ歌とはちょっと合わないかもしれない。
けれど、これを撮っていた時の彼女は、
撮りながら、「もう少しあなたの子供でいさせてください」って
思っていたんじゃないか。
などと、私は勝手に共感しているのである。
私は比較的早くに母を亡くした。
母は死んでも、母を思う時は私は母の娘だ。
その気持ちが時空を超えて共感できる気が勝手にしているのである。
植田正治「写真とボク」
植田正治の作品は、構成、コンポジションが素晴らしい。
白黒で絶妙に配された人物やモチーフ。
砂丘の滑らかなグラデーションと黒のパキッとした対比。
かっこいい。とうなってしまうタイプの作品。
人物もユーモラスだったり、奇抜だったり、とても目を引くものがある。
私の絵画の先生も植田正治の作品をいいと言っていて、
「古びないよさがある」というようなことを言っていた。
普遍的なもの。確かに。
モノトーンってある意味古びないし、いつの時代も格好良い。
リバイバルとかじゃない永続的な格好よさ。
同じ白黒写真でも、
鬼海弘雄の写真には「人間臭さ」を感じたが、
植田正治の作品にはデザインを感じる。
撮影時の悲劇は天啓?
これらを撮影の際、
カメラを移動させようとした瞬間、落としてしまった。
カメラはご存命のようだが、
単焦点レンズが真ん中からパカっと外れて、
レンズの内臓が見えた。
元に戻せそうにない。ご臨終か(泣)。
悲しいけど、新しいレンズやらを買う理由はできてしまった。
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