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川上未映子著『黄色い家』を読んで思うこと
川上未映子作品は『夏物語』でハマってから大好きです。
女性だからこその生きづらさ、悔しさ、悲しさ、おそらく著者が経験したであろうそれらの表現が胸に刺さります。
この作品は、出版されて間も無く買って読んでいました。去年の春ごろでしょうか。この度、本屋大賞にノミネートされたということで、過去に書いた感想を掘り起こしてみました。
ネタバレを含む記述もあるので、ご留意の程をお願い致します。
物語のはじめ 生活感
一人の少女が逃れられない貧困と不運に追い込まれながらも必死に生きていく。しかしその不遇は彼女に狂気を纏わせ、やがて彼女は犯罪を犯すようになる。
物語の中心は、黄美子さんという不思議な女性。ほとんどぺちゃんこになった花に温かいご飯と片付いた部屋、そんな人並みにも思える生活をスタートさせてくれる。いっときは青春とも言うべき日々を共に過ごす友人、桃子と蘭とも出会う。
読み始め、まず感じたのは、東京都下を舞台に描かれる花の暮らしの、ありありとした生活感。それはなんとも言えない寂しさ・虚しさ・やるせなさが薫ってくるようだった。赤貧洗うが如しというけれど、平成の頃の裕福とは言えない家の、垢じみてなんとなく匂う埃っぽい部屋がすぐに思い浮かんだ。そういう描写が私の貧乏コンプレックスを引っ張り出し、なおかつ同世代の女子高生だった思い出がそれに重なり、途中ガクガクと震えながら読むような貴重な読書体験だった。
あの頃、女子高生が「売り」をやるだのブルセラに行くだのが常にメディアに取り上げられ、スクールカーストのほとんど下位に位置していた私でさえポケベルとルーズソックスを持っていた。(極めて地味な高校で周りには墓と寺しかなかったが)
黄美子さんの特性
黄美子さんは、花に片付いた部屋と食事を与えてはくれたが、簡単に言えば「普通」とはかけ離れている。周りの人が言うには「トロい」。突然話が通じなくなることがある。なんらかの障害なのか定かではないが、黄美子さんは一人では生きていけないと花は感じる。生活費を計算したり、貯金したりするのは花の仕事だった。
金運が上がる、という話を耳にした花は、黄色い小物をたくさん買ったり、果ては家を黄色く染めてしまう。花は金との縁のなさに危機感を覚えるあまり、目的も曖昧なまま貯金額を増やすために犯罪を犯すようになる。しかし黄美子さんは金に執着を見せない。後半、黄美子さんは金を象徴する神の使いのように花に扱われる。確かに黄美子さんにはどこか無垢な部分がある。
黄美子さんのような人が遠くて近くにいたという感覚がなぜかある。ホワホワとした存在の妖精のような人。私はこういう人がいると知っていながら、軽蔑せずとも無視し続けていた気がする。
本当に足りないのはお金だったのか
金の亡者のようになった花は、終盤精神を病んでいく。最後に黄美子さんに会った時、全てを黄美子さんのせいにして逃げたことを詫びる。
一人で生きていけないのは黄美子さんではなく、花だった。
本当に足りていなかったのは、お金だったんだろうか。
生きていく上で圧倒的に足りないものが多すぎる花を思うと涙が出た。それは親の愛であり、まともな家、父親、友人、恋人、世間の温かい目…あげればキリがない。
今も世界のどこかで花のように、どちらを向いても不幸の中でうずくまっている少女がいるだろう。彼女たちを無視することへの罪悪感が、読後私の中で渦巻いた。
著者の経験を思う
こういった文学を生み出した著者が、主人公・花と似たような環境に置かれたことがきっとあるのだと思わざるを得ない。実際、著者の語る過去の家庭環境に花のような登場人物たちとの共通点を感じる。
キラキラした世界に身を置く美しいひと、というイメージの著者だが、このような苦しく暗い暮らしをこう現実味を持って描けるのは、経験が生々しい血肉となって著者の魂に宿っているのだと思う。
やはり逆境は文学を産むのだと改めて思うのだった。