習作集:エッセイ「ある日、ロマンス書店で」

若いころ書店でナンパされることが多かった。そのことに別に意味はない。それだけ書店で時間を過ごすことが多かった、他に行くところがなかったというだけの話である。
わたしたちの若いころは小洒落たカフェなんてのはなくて、たいていがたばこの匂いと煙りが濛々と立ち込める喫茶店だったから、普通の女子学生は一人で入っていくこともできないでいた。あまり行くところがなかったのである。
高校生の頃、友人と入るのは、学校の近くの商店街のお好み焼き屋ぐらい。おしゃべりするのはもっぱら、高校が環状線の最寄りだったので、空いている時間帯には乗ったままで何周でもぐるぐる回って話し込んだものである。
そのころ、唯一、一人で入れたのは書店だった。大学生になっても、行動範囲はそう変わらない。大きな書店だといつまでもいることができた。高校生の頃は天王寺の喜久屋書店、大学生になると、大阪駅前の旭屋書店。どちらももうそこにはない。
 
喜久屋書店では、近隣の高校生がやってくるから、制服でどこの学校かお互いにわかる。女子高と男子高の生徒同士がひんぱんに声を掛け合っているのをうるさく感じながら、本を買う小遣いはないのでもっぱら立ち読みしていた。
立ち読みに没頭していて油断していると声をかけられた。
「そういう本を読むんやな~」
ふいを突かれてうろたえた。向こうは、すでに顔見知りのような馴れ馴れしさで話しかけてくる。うっかり受け答えをしていた。
「これはこういう本やねん」
結局はしばらく話し込んでいた。楽しい時間だった。「明日も来る?」と言われて、「わからへん」と返事してしまった。
そして、それから会えることはなかった夕陽のような君には「明日も来るから」と返事すればよかったのに。
 
大学生になって、大手書店で専門書を探してもらったことがあった。書店の店員さんが、図らずも先輩だったこともあり、丁寧に調べて取り寄せてもらったことがあった。そして、なんとレポートのアドバイスまでしてもらった。
その後、その書店に行くのが楽しみになり、「本屋で仕事をする」が私の中で育っていった。一緒に仕事ができることを夢見て、アルバイトの応募しようかと思ったほどだった。
その頃、身辺はいつも賑やかだった。学生と社会人の環境の違いがいつしか距離を作り、淡い思い出だけで終わってしまった。
 
相変わらず、書店で声を掛けられることは続いた。感じの悪い思い出はなく、どの人も本が好きで、品格はほどほどにあったように思う。
読書会にも誘われたが、タイミングが合わずに本屋から外に出るところまでは発展することはなかった。
 
最後にナンパされたのも、やはり書店だった。すでに六十歳に手の届く歳。駅前の書店で、話題になっていたネットから生まれた「明日妻が浮気します」をしばらく立ち読みをして、大体読み切って、店を出たところで、追いかけてきた落ち着いたサラリーマン風の男性に、「お急ぎでなかったら、お茶をご一緒してくださいませんか。本の話をしたいのですが・・・」と申し訳なさそうに声をかけられた。そういえば、さっきの立ち読みの間、ずっと気配がしていた。「あの手の本を読んでいたからといって、浮気がしたいわけではありません」と返してやろうか、それとも「やめときなさい。私は六十歳のばーさんですよ」と答えようか、ナンパをしてきている相手に気を遣うのはおかしな話なんだけれども。「ありがとうございます!せっかくなんですけれど、待ち合わせしてるんですよ~」と言って急いでいるふりをしておいた。
書店にいると、その世代、世代の自分がそこにいるような気がする。人生の一コマに背景のように登場するのが書店である。デートコースが書店だったこともある。プレゼントが必ず本だった人もいた。他にもエピソードはあるのだが、とうとう書店での出会いはロマンスには発展しなかった。小説のネタにするには大分盛らないとならない。
 
数年前に地元の老舗書店が倒産し、本好きの地元民は書店難民の危機に立たされた。同じ気持ちを抱いた人は多かったらしい。書店を取り巻く環境も文化も様変わりして、あの特別な空間が消えていくのは寂しい。地元の書店を閉じさせたくない。何かできることはないかという気持ちで始まった読書会があるらしい。今度、それに参加してみようと思う。

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