寛容をめぐる一人の清教徒の生き様
〔紹介書籍〕森本あんり(2020)『不寛容論 アメリカが生んだ「共存」の哲学』新潮選書.
本稿で紹介する書籍(以下、本書)は、アメリカにおける異文化との共存の実現にはいかなる背景が存在するのか、そして寛容はいかにして可能なのかという議題を、ロジャー・ウィリアムズという一人の清教徒の人生に焦点を当てて論じている。
そもそも、〈寛容〉がどのような概念なのか?一般的に日本語においては、他者の言動を広い心で受け入れる、欠点や過失を厳しく責めない、という意味で用いられる[1]。しかし、もともとその概念が誕生したヨーロッパでは、「唯一真正の宗教があるにもかかわらず、間違った宗教を大目に見て見逃すという、否定的なニュアンス」[2]が存在した。なお、本書では中世における寛容の対象は異教徒、高利貸し、そして売春といった当時のキリスト教にとっての〈悪〉であり、相手に対する否定的な評価を伴いつつ、その上で相手を容認する姿勢であると論じている(3)。
本書は、英国教会による迫害から逃れ、宗教的自由を希求してアメリカに移住したはずの清教徒たちが如何にして他宗教に対して不寛容となり、当時の政治状況も踏まえつつその克服にあたってどのような試行錯誤と紆余曲折を経たのかについて記している(4)。加えて、前述の中世ヨーロッパにおける〈寛容〉の定義といった前提も踏まえつつ(5)、ロジャー・ウィリアムズという「筋金入りの寛容」(6)を貫いた清教徒の人生と思想の考察に入る(7)。
ウィリアムズはアメリカに移住後も英国教会のみならず、植民地政府による日曜礼拝出席の強制といったルールにも異議を唱え、礼拝は各個人の良心に委ねられるべきであると主張した(8)。加えて、当時のアメリカの教会の腐敗を問題視し、総督の次に高い地位である教会の教師として招聘されることを拒否した事例(9)、他にも本書ではウィリアムズの厳格さを窺わせる多くのエピソードが紹介されている。他方、現地の先住民の権利、ユダヤ人やイスラーム信徒といった異なる信仰を持つ人々の自由の擁護も主張しており、そのような文脈でも入植者や英国の横暴を批判した(10)。
今日の信教、良心、言論の自由といった諸権利、そして政教分離にウィリアムズの言動が通じていることも、本書全体を通して論じられている。読み進めていくことで「不寛容なしに寛容はあり得ない」(11)という逆説に表れているとおり、〈寛容〉の実現が一筋縄ではいかないことも理解できる。〈寛容〉は今後の日本においても多様性社会を築いていく上でも重要な概念となるだろう(12)。ヨーロッパ、アメリカ、そして一人の清教徒の歴史が示す教訓は、日本にとっても決して他人事と切り捨てることはできないのである。(N.K.)
〈注〉
(追記)紹介書籍を参照した場合は()カッコ、別の書籍を参照した場合は[]カッコで区別した。
[1]福島清紀(2016)「解説 『寛容論』からの問いかけ -多様なるものの共存はいかにして可能か?」(pp.287-337)〔ヴォルテール『寛容論』斉藤悦則 訳、光文社古典新訳文庫【原 1763】所収〕、P.298 参照.
[2]伊達聖伸(2018)『ライシテから読む現代フランス 政治と宗教のいま』岩波新書、P.95 参照.
(3)P.67-70 参照.
(4)第一章 参照.
(5)第二章 参照.
(6)P.11 参照.
(7)第三~六章 参照.
(8)P.103 参照.
(9)P.102 参照.
(10)P.153-6 参照.
(11)P.288 参照.
(12)P.176、287 参照.