価値のある物を置くより、価値を作ることを
ただいま、「衣紋掛け(コートハンガー)」を修理に出していて、コート類をかけるところがありません。
まだ上着が手放せない季節。ご迷惑おかけしておりますが、何卒ご了承ください。
ところで、あの「衣紋掛け」。あまり気に留めない方も多いかと思うが、いちおう英国のアンティーク物で、うちでは数少ない「価値のある物」と言えるかもしれない。青山の「ロイズ・アンティーク」でジョギング中に見つけて、衝動買いしてしまった。
気に入って買った「価値のある物」にも関わらず、ちょっと手入れを怠ったばかりに、気付くとあっという間に赤い錆が目立つようになっていた。
薄情な自分への戒めも込めて、今回メッキ塗装をやり直すことにした。
買ったときの価格の3倍はかかるという話だ。
随分高い代償になった。
帰ってきたら、今度こそ大切にしてあげたいと思う。
ところで、
よく、お洒落で、いかにも高級そうなお店に行くと、とても高価そうな、見るからに価値のある家具などを、さりげなく置かれているところがある。
残念ながら僕が店を始める時には、そんな予算も、そしてセンス自体もなく、ほとんどの家具は大工さんに現場で作ってもらったり、僕が東急ハンズで切り出してきたものをペンキで塗装したりした、いわゆる「作り付け」の家具ばかりだ。
これって、いわゆる「そこにあるから価値がある」ものばかりで、よそに持っていけば全くと言っていいほど「無価値」になる。
そもそも、僕には、そういった誰が見ても「価値のある物」というものを、持って来て置くということが苦手だ。目が利かないということもある。
実際、お店に限らず、プライベートでも僕は「価値のある物」に縁遠い人生な気がする。
高価な貴金属類には興味がないし、着る物もブランド品などはほとんど持ち合わせていない。
多分、たとえ買ったとしても、現時点の僕に釣り合わないと思ってしまうのからなのかもしれない。
というより、もしかすると、「価値のある物」を、ただ持って来て置く、ということを良しとしない性分があるのかもしれない。
できることならば、「価値」は自ら作り出したい。
実際、これはお酒のラインナップにしてもそうで、高価なモルトや、レアなお酒を取り揃えて置くというのは、確かに目利きを問われるし、それはそれで凄い事だと思う。
が、僕としては、「自家製夏みかんウォッカ」のような、どこにでもあるものを、ちょっとした工夫で、そこでしか味わえないものに仕立て上げる方が、性に合っているような気がする。
それに、モルトのラインナップを褒められるよりは、夏みかんソニックを「美味しい」と言ってもらえる方が、嬉しいと思う自分がいることは否めない気がする。
以前、
開店当時に親戚の画家さんが、お店を訪ねて来てくれたことが一度だけあった。
「何か飾る絵をプレゼントしようと思ったんだけど、やめとくわ。ここには何もいらない。」
と言って帰って行かれた。
もちろん僕も、何か一点、価値のありそうな絵などを置こうと考えたこともあるのだが、やはりうちの最大の「価値のある絵」は、あの大きなガラス扉越しに見える街の景色なんだと思い直して、やめることにした。(実は、あのガラス扉の鉄の枠は、うちの店では一番お金の掛かった物なのだが・・・。)
枠を与えて、中身を作る。
お店自体も、そんな風になればいいなと思います。
器を与えて、価値はお客さんが作る。
神保町へお越しの際は、是非お立ち寄りください。
「衣紋掛け」、3週間ほどかかるそうです。楽しみにしていてください。
お待ちしております。
The Red Truth / Helios
p*dis(original : Type)
2019(original : 2008)
(本文の最後に、お店でよくかける音楽を紹介しています。お家でお酒を飲まれる際に是非どうぞ。今度お店に聴きに来てくださいね。)