オナ禁四年目のメモ
オナキンを始めてから4年が経過しました。最後に自慰行為で写生したのが4年前ということになります。「オナ禁しているから人生最高」なんてことは全くありませんでした。この4年間いい思いもしましたし、地獄も見ました。
なぜ僕はこんなにオナ禁に執着しているのだろう、と考えることがあります。世間では、僕と同世代の男は自己処理している方が普通であり「健全」と認識されています。
結局のところ、僕は女性に執着しているのだと思います。僕は酒はやりません、地位やお金にも執着はありません。だけど女性だけは、女性のない人生は想像ができません。
確かにオナ禁をして、仕事に邁進した時期もありました。しかしそれも仕事を頑張ることで、男性としての魅力を上げて、いい女と交われるのではないかと目論んでいただけでした。性の快楽という報酬を先延ばしにしているだけでした。
僕は「女なんてどうでも良い」と思いたかっただけかも知れません。実際は女なんてどうでも良いどころか、一番執着しているものなんですけどね。
オナ禁という制約があるので、欲望を晴らすためにマッチングアプリをやったり、街へ出て写生を手伝ってくれる女性を探す必要がありました。さらに女性に魅力的に映るように、ジムに行って筋トレしたり、髪型の研究をしたり、こういう話題をした方が良いなどの研究をしました。僕のこういった努力のことを、僕が普段抱いている女性は知らないと思います。
こういった努力を僕はオナ禁を開始してから始めました。女性が何を求めているかを観察し、理想に近い男になるように努力しました。結果、僕にとても強い執着を示す女性が現れ始めました。
しかし思えば、オナ禁を始める前もモテていなかったわけではないと思います。女性からアプローチされることもありました。当時は自己処理で足りていたので、そういった女性たちと交わりたいと思わなかっただけでした。
女性に選ばれるような男を目指して、それなりの数の女を抱いてきて、僕は「幸せですか?」と問われれば、自信をもって「はい」とは言えないのです。4年前はポルノを使用して自己処理をしていた男が、今は生身の女性を使って自己処理をしているのに変わったようにしか思えないのです。
エマニュエル・カントは「恣意の他律」を説きました。すなわちそれは、僕は性欲を持つことを望んでいるわけではない。それなのに僕の肉体は日々強烈なホルモンを分泌して、僕に写生することを要求している。
僕は写生をして自由だ、と感じるが、それは「写生をしたいという欲求」は僕の自由意志が作り出したものではありません。だから、結局そういう類の欲求を満たすことは自由から程遠いということです。
オナ猿時代はその欲求に素直に従い、自己処理していた。オナ禁を始めてからは生身の女性を追いかけ始めた。対象がポルノから生身の女性に遷移したことを僕は「成長」と呼んだが、制欲に支配されているという点において僕は「自由」とは言えない。
いまだに僕は江口禁も成功できていない状況である。4年目のオナ禁は江口禁に関していえばボロボロでした。
そろそろ、性に翻弄される生活はやめにしたいと考えています。
江口禁での成功と、制欲の自律。これがオナ禁5年目の目標とします。
これからもマイペースに投稿していこうと考えています。