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僕のオナ禁ストーリー

はじめに

こんにちは!オナ禁について発信しているテスラです。

僕はこのノートにある記事を

1.オナ禁についての記録を自分のために残すため
2.「ポルノ依存症から抜け出す手段としてのオナ禁」を多くの人に知ってもらうため

という2つの理由のために書いています。

 しかしながら、もうこのノートも半年以上書いていますが、いまだに2の方の目的はなかなか果たせていないなと思っています。

 最近久しぶりにノートのマイページを読み返してみて、とにかく「色々散らかっている」と思いました。自分が初めて僕のノートのページを訪れても、この人は一体何者で、どの記事から読み始めたら良いのかわからないだろうな、と。

そこで今回は

1. 今日は僕の約7年間のオナ禁の歴史
2. 僕のオナ禁に対する考え方


を紹介したいなと思います。

この記事によって誰かにインスピレーションを与えれたら幸いです。

僕のオナ禁史


1.依存への道


 オナ禁と出会った時、僕は高校生だった。競争の激しい進学校に通っていた方ならわかると思うが、そもそも進学校というのは中学ではトップレベルの学力を持っていて、難関試験を通り抜けて進学校に進むことが出来た生徒たちが在籍している場所だ。すなわち自分の知性にそれなりの自信を持って生きてきた15,16の子供たちが、初めて自分がいかに「大したことないか」を思いしらされる場所である。地元では「賢い奴」と友達から尊敬されてきた子供が、高校にいけばバカ扱いされる。僕もそんな少年だった。

 自慰行為自体は中学生の時からしていたが、高校に入学した後に僕の自慰行為への依存は著しく強まった。毎日先生に怒られ、呆れられ、学友には見下されながらひたすら勉強し、家に帰る頃にはクタクタになっていた。帰宅すれば真っ先にパソコンに向い、息子を握りしめ、文字通り「自分を慰めた」。自慰行為という言葉はうまくできていると思う。

 カナダの心理学者ジョーダン・ピーターソンはポルノAVのことを「責任の存在しない、まるでピノキオの喜びの島だ」といったが、僕にとってAVの世界はまさに喜びの島だった。責任や代償が存在しない素晴らしい場所だと思っていた。
 学校では誰も自分のことを尊敬しないが、AVの世界では王様のように扱われる。それがたまらなく、まるで虐められた子供が母親に泣きつくように僕はAVにみるみるハマって行った。

そんな感じで入学から半年ほどがたち、僕は不登校になっていった。
 

2.引き篭り期

 この時期については特に言及することもない。ただひたすらゲームをして、自慰をしていた。本当にそれしかしていなかった。たまに小説と教科書を読んだが、ほとんどの時間は上の2つに当てられた。テストの点数さえ取れれば進級を認める学校だったので、テストだけ行って留年は免れた。この時期が一番依存のひどかった時で、ストレスを感じればポルノに逃げるという習慣はこの時に作られた。とにかくこの時は起きている時間常にに倦怠感があり、自分の中で何かがおかしいということを感じ取ってはいた。ただそれがポルノであるということには気づくことはなかった。
(話が逸れるが、ゲーム(またはインターネット)とポルノは引き篭りには欠かせない。ゲームで退屈をしのぎ、ポルノで性欲を解消する。どちらでも欠けると引きこもりは一気にしんどくなるだろう。) 


3.初めてのオナ禁との出会い


 オナ禁に初めて出会ったのは、2ちゃんねるをプラついていた時だった。「オナ禁をすればモテる」や「スーパーサイヤ人になる」と書いてあったので、とりあえずやってみた。そこで初めて、喜びの島だと思っていた自慰行為にリスクがあることを自覚した。常にあった倦怠感が徐々に軽減されていくのを感じた。確かその当時は3ヶ月ほどの期間、リセットを繰り返しながらオナ禁に挑戦していたと思う。しかしいつまでたってもスーパーサイヤ人にはなれず、「初心」は次第に忘れさられ、毎日リセットするようになっていった。

 中途半端にオナ禁を実行すると、オナ禁を実行できない自分に罪悪感を抱くことになる。もうしないと自分に誓ったのに、いつのまにかしている。そして賢者タイムで冷静になった自分をひたすら責め続ける。そしてその自責がストレスになり、再びリセットにつながる。オナ禁をする上で「自分を責めない」のは大切だ。自分を責めるのは、本物の「決意」なしには意味をなさない。以降5年間ほど、僕は中途半端なオナ禁をすることになる。

4.中途半端なオナ禁期間


 この時期に学んだことは、「中途半端なオナ禁ならしない方が良い」ということだ。失敗を繰り返せば罪悪感で自分を苦しめることになる。それなら一層のこと、開き直って自慰したほうがマシだとすら思う。

 この期間について特筆すべきことは特に無いが、そのなかでおよそ一年間ぐらいある個人的なプロジェクトに取り組んでいた時があった。僕はそのその時期に後のオナ禁の成功に役に立つことを学んだ。

 そのプロジェクトに取り組んでいた時、僕は時間があれば常にそれに関連したことをしていたた。電車の移動時間や、仕事の間なども作業をし、ほぼ24時間それについて考えていた。そしてその生活を繰り返すうちに自然とオナ禁を実行していたのだ。その時ポルノが僕の生活に入り込む余地はなかった。
 当時はオナ禁のことなど考えてもいなかったが、今振り返ってみるとこれが僕の目指す理想的なオナ禁だったことがわかる大切な経験だった。


5.オナ禁への態度


 これは他のノートでも書いたことがあるが、約2年オナ禁を続けて僕はある結論に辿りついた。

それは、 

オナ禁をすることで何かを得ること」を期待するのではなく、「何かを得るための行動にエネルギーと時間を注いだ結果オナ禁していた」といいうのが本来の正しいオナ禁である。

という考え方だ。

 ネット上のオナ禁コミュニティの書き込みを見ていると、ほとんどの人が「オナ禁をすることで何かを得る」ということを期待しているように思える。具体的にいうと、「オナ禁でフェロモンを出してモテる」とか「オナ禁でイケメンになってモテる」などだ。

 ネットなので高校生が書いているのか中年のおじさんが書いているのか判断不可能だが、 こういう考え方に至る時点で、なにかその人の人生に変えなくてはいけない部分があるのだろうなとわかる。なぜなら僕自身がこういう動機ででオナ禁をしていたから。この時期の僕は「オナ禁10日したから電車で女性と目があった。」などと本気で信じていた。

 (しかしながら僕はこの「オナ禁フェロモン効果」を科学的に研究している論文を読んだことは無いので真偽の判断は出来ない。いずれにせよ「もしモテたくてオナ禁しているのならば、そもそもフェロモンに頼るのは効率の良い方法とは言えない」というのが、僕のオナ禁フェロモン効果に対する態度だ。)


6.決意



 オナ禁に出会ってから5,6年は上記のように中途半端なオナ禁をしていた。もう何年もオナ禁しているので「自慰行為=悪」という信念が自分の中で出来上がり、それなのに誘惑に負けて自分を責め続ける時期だった。そしてついに、2018年の終わり頃、僕は決意した。

 その頃の僕は健康上の問題を抱えていて、転職もうまくいかず、私生活もめちゃくちゃだった。「何かを変えなくてはいけない」とずっと考えていて、生活を改善するために頻繁に新しい習慣を取り入れたり、仕事でも色々な挑戦をしたが、何もかもうまく行かなかった。自分の人生の何かを変えなくてはならないと本気で思い始めて、生活を真摯に見直してみた。

 その時初めて、ポルノが自分の生活にどれだけの悪影響を与えているのかを理解した。家に帰ってはまずパソコンを開き一発。そしてまた寝る前に一発。そして朝疲れ果てて起きて仕事に行く。そして疲れているので仕事のパフォーマンスが下がり、人間関係もうまく行かないのでストレスがたまり、それをまたポルノで発散するという悪循環を初めて理解した。今となっては「なぜそれに気づけなかったんだ」と思うのだが、それが依存症の興味深い点であるとも言えるだろう。
 
 1日のうち、どれだけの時間とエネルギーをポルノに注いでいたのだと考えるとゾッとした。もし過去5年間の爺行為の時間を仕事や勉強に当てていたら、現在僕はどんなふうになっていたのだろうか。

 それに気づいた瞬間僕は「本気で生きて、仕事でも成功したいならこの習慣はやめなくてはならない」と悟った。
 その日からオナ禁を始めた、ネットで改めてオナ禁のやり方をしらべて、良いと言われていることは愚直にやった。その中でも、筋トレは大いに役に立った。とにかく自分にポルノを見るスキを与えないようにした。できるだけ人に会い、特に女性に会うようにした。そうすると、当然セックスする機会が増える(≒モテる)ようになった。

 面白いのが、僕もオナ禁1年を記録するぐらいまで、「オナ禁しているからモテている」と思っていた。実際は「ムラムラしているから行動している」というだけのカラクリなのに。

 オナ禁効果自体は経験から頭では理解していたが、実感するとやはり気持ちの良いものだった。エネルギーで溢れるし、時間も増える。気分も安定するし、人間関係も改善された。そして3ヶ月ほどたった頃、僕はあることに気づいた。
 

7.「はじめの一歩」としてのオナ禁


 愚直にオナ禁を成功させるために良いと言われていることを実行し続けた結果、僕は3ヶ月の大台を超えることができた。3ヶ月というのは、オナ禁だけでなく何にしても大きな指標になると思う。3ヶ月筋トレすれば、体は目に見えてわかるぐらい変化するし、3ヶ月スポーツを練習すれば、ある程度形になる。そして僕は3ヶ月オナ禁を実行して、自分の生活が徐々に変化しているのに気づいた。
 オナ禁を成功させるために行っていた筋トレも成果が目に見えてわかるようになっていた。それは見た目でもそうだし、若干の筋肉をを手に入れた自信と定期的に運動しているので気分も向上していて、それが睡眠の質や人間関係などに良い影響を与え始めていた。同時に、部屋を整理するということもやっていて、前まで埃だらけだった部屋も、徐々にきれいになっていった。

 以下の発言はオナ禁や自己実現に関する情報を発信しているアメリカのYoutuberのSeth Alexanderのものだ。

オナ禁とは、部屋の一角を掃除するみたいなものだ。その一角がきれいになると、今度は部屋のなかの他の汚い部分が気になる。そうするとそこも掃除しようとする。

 これはまさに当時の僕が感じ初めていたことだった。ポルノという依存を排除した結果、食生活や生活習慣の乱れなどが気になりだし、それらを改善し始めた。
 筋トレ、料理、座禅などの習慣はオナ禁を続けることで初めて得られた習慣だ。これらの習慣を得られただけでも、オナ禁に出会えて幸せだったと思う。

8.女性関係について


 オナ禁は性に関することなので、女性関係について語らないわけにはいけないだろう。不思議なことだが、僕の場合ポルノから離れるにつれて、実生活の中で現実の女性の存在が濃くなっていった。簡単にいうと彼女ができたり、セフレができたりなどだ。

 別の記事でも述べたが、僕はオナ禁におけるモテ効果というのは単純に「オナ禁するとムラムラするから行動するようになって女性と接する機会が増えること」による部分が多いと思う。テストステロンが増えて女性がそれに惹きつけられるという説も全く嘘であるとは思わないが、そもそも家でシコっている間には、女性に自慢のフェロモンを発揮することも出来ないだろう。いずれにせよ、オナ禁者にとって「オナ禁すればモテるのはなぜか」を知る必要は無い。欲しいものはただ行動して手に入れれば良いのだ。

 しかし「オナ禁でモテる」よりもっと崇高な、永続的なものをオナ禁はもたらす。それは「女性を生活の中心におかなくなること」だろう。

 オナ禁を始めたころはモテたいという気持ちが異常に大きかった。それはおそらくポルノ漬けの頃は毎日ポルノで多数の女性の裸を見る生活をしていたが、それを急にやめたので、代替として「多くの女性の裸を見る」という快感を現実の世界で再現したい欲求が自分のなかに現れたのだろう。

 もちろん今でもモテたいと思うし性欲もある。定期的に女性と寝るし、それを悪だとは全く思わない。変わったのは「仕事か女か」という状況になった時仕事を取るようになったことぐらいだ。これをオナ禁効果というのかどうかはわからないが、本気で取り組みたい仕事があるときに、誘惑に負けずに自分の全力を出せることになる。

僕はオナ禁を経て「短絡的な快楽より、長期的な成功を選ぶようになった」

これは僕にとって結構大事なことだ。

9.ポルノ禁≠オナ禁


 2018年に決意してから現在までの約2年間(2020/09現在)僕は一度もオナ禁でスリップしていない。僕にとってのオナ禁は「自慰行為をしていない」という意味で、ポルノ禁に関しては、この2年間で7回ほどスリップしている。現在ポルノ禁は半年ぐらいだが、そこに至るまで一年以上かかっている。
 僕は写生による快感より、ポルノから得られるドーパミンに依存していることがわかる。ポルノ禁についてはまた別の記事で詳しく書きたいと思う。

10.2年のオナ禁で何が変わったか



 上にも書いたが、オナ禁は生活を改善するはじめの一歩として適していると思う。オナ禁と並行して筋トレ、瞑想など良い習慣を付け足していく。そうすることで指数関数的に自分を向上させていく。モテるようになったとか、イケメンになったとかは、なかなかなオナ禁との直接的な関係性を確認するのは難しいし、僕の生活が改善されたということをここで客観的事実として証明することは難しい。

 収入は2年ではそんなに変わらないし、抱いた女性の数を競い合うナンパ師でもない。
 それよりも、僕はもっと長期的な視点で物事を見ている。キャリアの目標
個人的な目標、このオナ禁について発信することも僕の一つの目標だ。オナ禁を3年、5年と続けながら、それらを自分自身で証明していきたい。

 他の細かいオナ禁効果などは、過去の僕のノートにも書いているので是非読んで欲しい。


なぜ現代の男性はオナ禁をする必要があるのか


上で

「オナ禁をすることで何かを得ること」を期待するのではなく、「何かを得るための行動にエネルギーと時間を注いだ結果オナ禁していた」といいうのが本来の正しいオナ禁である。


と書いたが、なぜ僕はここでオナ禁について書き続けるなどして、オナ禁にエネルギーと使い続けるのだろうか。
 それは、現代社会には人間を誘惑する罠のようなもので溢れているので、自分で自分の注意を守らなくてはいけないからだ

 これは、「現代のエネルギー争奪戦」でも書いた通りである。現代という時代は「普通」に生きている人が、1つや2つの「深刻な」依存症を患うのが珍しくない時代だ。これからさらに、技術の発達と共に情報が質・量的に増大するにつれて、「自分の注意を守る」という行為がもっともっと大切になっていくだろう。

 だから僕は発信し続ける。多くの人にこの観点を持ち、この問題について論じてもらいたいから。

だから、ここまで個人的なことを晒し出しました。
長くなりましたが、最後までご覧いただいてありがとうございました。


2020/09/22

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