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本日の読書 #008 「英語学習の難しさ」
参考書籍:『学びとは何か』今井むつみ
第三章 乗り越えなければならない壁 誤ったスキーマの克服
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スキーマ。
心理学では「経験によって獲得された思考の枠組み」のこと。
平たく言えば「思い込み」だ。
例えば、
「俺の名前は田中太郎だ、よろしくな!」
という文章から女性を思い浮かべるのは極めて難しい。
この場合は「俺」「田中太郎」「よろしくな」が、経験上、男性と結びついてスキーマを形成している、ということ。
このスキーマ、母国語の学習には頼もしい武器になる一方で、外国語の学習には手強い敵となる。
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「着る」という動詞を子どもが学習するケースを考える。
日本人の子どもは、日本語の「着る」を日常生活の中で学ぶ。
「パジャマ着ないとね」
「ズボン履いてきて」
「上着を着ないと寒いわよ」
「手袋つけたら?」
「服とズボンを着なさい」
こういった会話の中で「着る」の指し示す範囲が分かってくる。
パジャマや上着には使うけど、手袋には使わない。
ズボンは使うときと使わないときがあるのかなあ。
といった具合。
コレがまさにスキーマだ。
つぎに英語を学ぶ場合を考える。
問題点は、外国語の場合は日常生活の中でではなく、日本語と対応させて学ぶことにある。
日常生活の中に英語が無いのだから、学ぶときは、当然このようになる。
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すると子どもは「なるほどwearは、着ると一緒ね」と考える。
そりゃそうだ。大人でもそう思う。
でも実際はその指し示す範囲は、全くもって異なる。
wearは上着だけでなくサングラス、化粧にも使うからだ。
そんな「範囲の違い」がほぼ全ての単語に立ちはだかる。
だから外国語学習は、極めて難しい。
私が「幼児教育としての英語」に懐疑的なのはここが理由で、
週に数回英語を学んだとしても、日常生活の中に英語のシャワーがなければスキーマが醸成されないのではないかと思うからだ。
(あと自分自身が小学校で英語学習をしていたものの、英語が一番の苦手科目だったのも理由)
でも子どもに英語力を身に付けてほしいとは思う。
悩みは尽きない。
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