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『好きなことを仕事にする』って何なのか 僕のキャリアの話①

なんかいろいろ書くことの前段の経緯

いろいろ書いてたら意外と長くなちゃったので、2回に分けることにする。
今回は前半編

今年の頭に学生時代の友人の繋がりで、新卒キャリア向けのYoutubeに出ることになった。

反響は、友人や新卒/前職の上司からも冷やかし含め、いろいろコメントをもらったりしたのだが、ダイナミックプラス、という小さい会社に興味を持ってくれる方もいて、実際に動画経由で採用につながったこともあるから、Youtubeの採用媒体としての効果もそうだし、出演の機会をくれた友人には感謝しかない。動画は記事一番下を参照

好きなことを仕事にするの悩みの中身

その中で、このタイミングでキャリアってものに関して再度考え直す機会になったり、実際に学生と話す機会が増えたのだが、よく議論になることとして、今回のテーマである『好きなことを仕事にする』がよく出てくる。

僕個人としては、『好きなことを仕事にする』が現状できてるのだが、
下記の2つのパターンで悩むことが多いらしい。

パターン1:好きなことを仕事にすることがどういうことがわかってない
パターン2:自分の好きなこと、やりたいことがない

パターン2に関しては、学生だけではなく、友人や元同期からも
『なんで、打ち込める仕事があるの?どうやってやりたいこと見つけたの?』とかいろいろ聞かれるので別の機会に書くことにするが、
そもそも好きなことを仕事にすることってどういうこと?
っていうのを僕の思考の経緯を含めて書いてみる。

〜中学生:野球選手になりたい

僕の場合、小さい頃から野球選手になりたかった。
なぜなら野球が好きだったから。三振をとるのが気持ちよかったし、ホームランを打つのが気持ちよかった。
つまり、野球をプレーするのが好きだったのだ。
そして、少し野球が上手かったから、小学生の頃は選抜チームとかに選ばれたりしてた。(選抜チームには、後々プロにいくメンバーもいたりした)
ここで大事なのは、僕が好きだったのは、
自分が活躍できる野球をプレーをして、得る快感が好きだったのだ。

まあ、しかし中学生にもなると、自分のレベルもわかってくる。
自分はそんなに上手くない。
中学の大会は全て一回戦負けだし、そもそも自分の高校には硬式野球がない。(中高一貫なのでわかってた話)
プロ野球選手になれるとも中学くらいには全く思ってなかった。

〜大学卒業まで:野球に関わる仕事がしたい

高校からは、どうやったら野球に関われるかをいろいろ考えていた。
理系のほとんどが医学部にすすむ高校だったから、漠然とスポーツ医学っていいなあ、って思ってた時期もあるし、
その頃から同級生とかと、プロ野球新球団を妄想で作って、本拠地をどこにして、どうやってファンを獲得するか、とかに耽って真剣に議論してた時期もある。
まあ、基本的にはやきゅつくという球団経営シミュレーションゲームで得た知識であったがw
その中で、当時は洋書しかなかったけど、マネーボールを読んで、
スポーツビジネスやるならやっぱり、アメリカかあ、と思ってアメリカの大学に進学する。
アメリカの大学に在学中は、大学のキャンパスがあった、オークランドアスレチックスのルーキーリーグであるミズーラオスプレイ(まさかの今名前が変わってたが、、)というチームでインターンしたり、MLBのインターン応募したりして、どうにか野球に関わる機会を探していた。
で、結局VISAの問題もあり、なかなか海外でのスポーツビジネスでの就職は難しいな、、、、となったのだが、その時に印象に残ったのは、下記だったのを覚えている

①給与が高いし、スポーツビジネスの職種の倍率がめちゃくちゃ高いなあ
②募集要綱見ると、ほとんどMBA乃至は、Ph.Dホルダーの募集になってる
③球団職員、ではなく、『職種』での募集が多いなあ

そんな中で、日本に戻ってスポーツビジネスをやろう、と思うんだけど、
そもそもそんな募集がない。(当時2013年)
いろいろな人とつながって話を聞くと、
『新聞社に入って、運が良かったら出向できるよ!』
『親会社からしか募集してないなあ』
みたいな、話ばかりで、どうしようかなあ。なかなか近道はないかあ、と思い始めていた、
そんな中で、楽天の球団社長の立花さんの記事を見つける。
簡単にいうと、証券畑出身でスポーツ界に無縁だった立花さんが、当時41歳で球団社長にヘッドハントされて就任したのだ。
これはかなり衝撃的で、そもそもそんなに若くして、、、、球団社長に、、!
と衝撃だったのを覚えてる。
よし、僕もその道をいこう、と思って、立花さんの出身であった外銀に入ることになる。

〜JPM:証券会社の世界で

立花さんに憧れて、JPモルガンという証券会社に入ったわけだが、どうにもスポーツビジネスと関わりがない。
ひたすら毎日、マーケットサマリーをかき、トレーディングを繰り返す。
お客さんとは市況の話をし、複雑な計算をひたすら何度も正確に出すことを求められる。
ふと、気付いた時には、あれ、、、僕はなんでこの会社で働いてるんだっけ、、、、となってしまっていた。
そんな中で、JPMのAPACのHeadの上司と話をする機会があって、
『いやー、将来スポーツビジネスやりたいんですよね、立花さんみたいになるにはどうするのがいいんですかね』
って相談をしたところ、この方は慶応のラグビー部で立花さんの先輩に当たる方だった。

そして衝撃の一言

『いや、この会社いちゃダメでしょ。あれは証券関係ない、個人で形成した繋がりとご縁の話だよ。結果を残し続けて、ネットワーク形成の賜物でしょ。このまま君がデリバティブをこねくり回してても、その道には繋がらないと思うな』(Kazさん)

なるほど、転職するか。と思い、ちょうど良いタイミングを探し、転職することにした。

〜DeNA:憧れのスポーツビジネスにたどり着くまで

転職活動は、いろいろ考えた結果、
スポーツ領域のコンサルとして著名だった、並木さんが立ち上げた会社である、フィールドマネジメントにいこう、と考えていた。
そして、役員の面接で出会ったのが清水さん、という方だった。
この方は、当時最年少の34歳でヴィッセル神戸の社長を努めた方で、このタイミングではフィールドマネジメント社で働いていた。
面接の次の日だったか、突然メールで喫茶店に誘われて、清水さんと1−1で話すことになった。

『僕が君の年だったら、コンサルには行かない。
事業をわかったほうが良い。正確には事業会社をわかったほうがいい。
最終的にスポーツの世界で会うことになると思うから、この機会を設定してもらった。
何かしらのスペシャリティを持って、事業を知って、
スポーツ界にいくほうが、最終的なゴールに近いと思うよ。
だから選考を進めても良いけど、僕は君がコンサルにくるのはおすすめできない』

ちゃんと覚えてないけど、こんな話だったと思う。
個人的には、いろいろ質問もしたし、今考えると清水さんにご馳走になって、いろいろ1時間話せるなんて、なんて豪華な時間なんだろうと思う。
結果的に、事業会社にいこう、と思った、とても有意義な時間だった。
(余談ではあるが、現在名古屋グランパスで役員になられている清水さんとは、現職で取引があり、とても縁を感じている。本当に感謝したい)

そんなこんなで、他の縁も重なり、株式会社DeNAという会社に転職をすることに決めた。

DeNAで最初に関わることになったのは、
僕が個人的に一番苦手であり、経験がなかったゲーム事業だった。

後編に続く

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