ポワソン・ダブリル
"魚"は不満だった。
なぜって、同じ海の仲間から、
とある"聞き捨てならない噂"を耳にしていたから。
海の仲間とは"情報通"のタコだった。
タコは魚に、……こう、
その"噂ばなし"を伝えた。
「なぁ、こんな話を知っているか?」
「どんな?」
「人間たちは、毎年4月1日になるとその日を"エイプリルフール"と呼んで、互いに騙し合ったり、揶揄(からか)い合ったりして愉しむんだそうだ」
「へぇぇー、知らなかった。
だけど、人間たちが互いに騙し合うなんて、その日に限ったことじゃなさそうだけどね」
「……まぁ、それはそうなんだけど、
その日に限っては、騙し合うことを
"公に"許されているんだとか。
で、それを良いことに人間たちは、その日はここぞとばかりに騙し合って、誰が最もユニークな"ウソ"や"フェイク"で人を惹きつけられるかを競っては、目立とうと考えて、中にはその日の為に随分と前から頭を悩ます人間まで存在しているらしい」
「人間とは理解出来ない生き物だな」
「で、その日に関して、他にも気になる話があるんだ」
「まだ何か?」
「ここからが本題なんだが、
その日のことをフランスでは
"Poisson d'avril (ポワソン・ダブリル)"と呼ぶらしいんだが、その意味は
『 四月の魚 』ということらしい」
「"魚"……?ボクのことか?
それは、またどうして?」
「そこが問題なんだ……。
まぁ、そう呼ばれているのには"諸説"
あるにはあるそうなんだが、
まずはその説のひとつが、
どうやらその4月という時期にとれる
"旬の魚"に、由来していると言うんだ。
その魚っていうのが、フランスでは
"maquereau (マクロー)"
と呼ばれている種類の魚らしいんだ。
他の国では、鯖(サバ)だとか、
mackerel (マッカロー)だなんて呼ぶ場合もあるらしいけれど……。
そのマクロー(サバ)は、4月になるとあまりにも簡単に釣り上げられてしまうからか、"あまり利口ではない魚"と言われているらしい。
或いはその日、その"利口でない"と思われているマクロー(サバ)を食べさせられた"人間"の方を揶揄(からか)って
"ポワソン・ダブリル"
と呼んだという説もあるそうだ」
「はは……マクローだか、サバだか、
マッカローだか知らないけれど、
そんなに簡単に釣り上げられるだなんて、確かに……利口な魚だとは言えないな。
理由は、それだけ?」
「……いいや。そのマクロー(サバ)という魚は"誘拐者"という意味も持ち合わせていて、さっき話したように、4月には
エイプリルフールという日がある関係から"人を騙す者が多い"という事実と、
誘拐者が人を騙して連れ去る、という事を"掛けている"という説もあるようなんだ」
「つまりは……
"4月1日=エイプリルフール=人を騙す存在=誘拐者=マクロー(サバ)"
……で、『 四月の魚 』と呼ぶわけか。
しかし、そのマクロー(サバ)とやらも、
簡単に釣り上げられてしまうからとはいえ、あたかも"利口じゃない者の代表格"のように取り沙汰されて大迷惑だな。
そのマクロー(サバ)とやらに会うことがあったら、その噂ばなしを教えてあげて、
特に4月のその頃は、簡単には釣り上げられないよう注意するように忠告してあげよう」
「……気を悪くしないで聞いてくれ。
どうやら、そのマクロー(サバ)っていうのが"君"のことらしいんだ。
……さらにフランスでは、
『 engueuler qn comme du poisson pourri 』(腐った魚のように罵る)
だなんていう人を罵倒する表現があって、それは魚が格が下だと"小馬鹿"にした表現から由来している、という説まであるそうなんだ……。
あゝ……でもあまり気にするな!
そんな噂は魚に限ったことじゃないから。
タコなんてもっと酷いもんさ。
タコを"悪魔"だとか"悪魔の化身"と呼ぶ国もあるそうだから……」
……
タコから、
そんな噂ばなしを聞いた魚=マクロー(サバ)は、唖然として、落ち込み、
しばらくの間言葉を失っていたが、
今ではその時期のフランスでは、魚を型取ったチョコレートやパイなどの"菓子"がとても人気で、皆がその時期を愉しみにしていることも、タコによって知らされると、少しは気を取り直したが、やはりどこか不満気だった。
そして魚は、
4月1日には絶対に人間には釣り上げられないこと、そして"まかり間違って"釣り上げられてしまったのなら、人間たちに向かって、彼らよりもずっと気の利いた
"冗談"のひとつでも言って、笑わせて、マクロー(サバ)の実力を見せつけることで、
"4月1日
=エイプリルフール
=人を騙す存在
=誘拐者
≠ マクロー(サバ)或いは、全ての魚たち
=小馬鹿にする存在ではない"
なのだ、という事を教えてやろう。
……そう、心に決めた。
……
魚たちがそんなふうに、
まるで小馬鹿にされる存在の"象徴"のように考えられていた"説"そのものが
"エイプリルフール"を除く日常にでも、密かに、皆をまんまと騙し続けていた
"ウソ"のひとつだったのかもしれない。