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"完璧主義"との向き合い方


ナリ心理学のナリさんのInstagramのリールが
おすすめに突然出てきてね、なるほど…と思った話。

ちなみにアメブロはこちら⬆️
インスタは「ナリ心理学」って検索いれると
すぐ出てくると思います✍️

そのリールの内容は「完璧主義について」だった。
⬇️(ナリさんのインスタのリールから抜粋)

完璧主義はセンスのある人。
脳内に「理想」を思い描けるからこそ
完璧主義になれる。
だけど、「経験が足りない」んだよな〜とか
脳内の理想と手元の現実の剥離で動けない。
他人のセンスを見抜く力があるほど、
余計に自分と比べて動けない。
センスがあるというのはある種、呪いである。
完璧主義は「センスの呪い」だ。
そういう人間がすべきなのは
「完成品」を見せようとしないこと。
「未完成」な状態で相手に見せればいい。
完成品の前段階を仮提出、小出しにする、
という癖をつけるとよい。

とのことだった。
なるほどなぁ………と思った。

完璧主義には何年も悩んでたし
パニック障害になった大きな原因のひとつでも
あるとおもっている。


理想があまりにも高く、
そこに満たない自分を否定し、
いつまでたっても満足できず、結果…
「なにもできない。」

って、本当によくある。
なんならオペラ歌手って名乗ることすら
昔はめちゃくちゃ抵抗があった。
今でも名乗っていいのか不安になる時がある。

みんなからどれだけ褒められても、
私自身が自分を認められずに
「自分が思う完璧な歌唱」が出来て初めて
私はオペラ歌手だと名乗っていい。と思ってた。

しかもその自分が思う、「理想の完璧な歌唱」って
世界を代表する偉大な名歌手たちのことで…
「自分の歌」と「偉大な歌手たちの歌」を比べては
「私の歌唱なんかなんの価値もない。」
と思っているわけだ。

大変に烏滸がましい!笑

でもこの、

「自分の歌」と「偉大な歌手たちの歌」を比べては
「私の歌唱なんかなんの価値もない。」と感じる。

っていうのの中身はさ、

わたしの脳内にいる「偉大な歌手たち」ってのはね
「いつどんな時も失敗しない素晴らしく完璧な歌唱をすることが出来る」って感じなの。

偉大な歌手と自分を比べているというより、
「素晴らしい歌手はいつも完璧な歌唱ができる」
と思っているので、
「いつも完璧な歌唱が出来ない自分には価値がない」

と、感じてしまうって感じ。


それだけ、
「完成されていること、つまり完璧」に拘り、
そこを理想としてしまっているから
「今現状の自分」が認められない、否定してしまう。

「完成されたものこそ芸術であり、素晴らしいこと」
と、思っているふしがある。

パートナーに、
「今の私の歌にアドバイスするとしたら何?」
って聞いたことがあった。

私は技術的なアドバイスを求めたつもりだった。
でもその相手の返答は、

「自分の歌や声には
価値がないと思っている感じがする」

だった。さすが歌い手だ。笑
ズバリ言い当てられた気がした。
私自身も何となく気がついていたから。

「完璧な歌唱」に拘ってそれが正しさだと思っていた。
その、「完璧な歌唱のみ正解モード」に入ると、
途端に人からどんなに褒められても
「いや、」とか「でもここが、」とか
自分で自分の欠点を見つけ出すようになる。
そうして、パートナーに言われた通りの


「自分の歌や声には価値がない」と思っている人の歌

が出来上がるのです。

それで本当に精神がおかしくなって、
何キロも痩せたことがあった。
人前で歌うのが怖くなって自尊心が低くなる。
床スレスレ。なんなら床にめり込んでる。


それをまたパートナーに相談した時に、
聞かせてくれた音源があった。

あの、世界三大テノールのパバロッティが
本番でものすごく有名なアリアを失敗している録音。
めちゃくちゃ難しい曲なんだけどね。

専門用語で申し訳ないが、テノールにはしばしば
hiC(ハイC)と呼ばれる高い音が曲の中で
要求されることがある。
これがものすごく大変なわけだ。
命綱を付けないで綱渡りするくらいの感覚。
(だと思う。)

その難しいhiCをパバロッティが失敗している録音。
難しいってわかってたけど、初めて聞いた時衝撃だった。

世界三大テノールでも失敗することあるんだ……
って心底思った。

今思えばすっごい当たり前なんだけどさ……
だって、

人間だもの。

みつおだよ。みつおさん出てきちゃう。

その時、「完壁な歌唱こそ素晴らしい」
パキンッて割れた気がした。

コメント欄は、
世界中のファンから届いたコメントが溢れていて
翻訳したら

「彼は人間だ。失敗することだってある。
しかし偉大なテノールに違いない。」
「hiCが失敗したところでなんだ。」

的なことがたくさん書いてあった。

いやホントだよ。
彼が素晴らしいことに変わりないんだもの。

「なんでテノールのhiCにみんなが期待したり熱狂するのかわかる?」
ってパートナーに聞かれてね

その時の私は分からなかった。
難しいからかな??ぐらいが思いついた答えだった。


「なぜならね、hiCって100発100中じゃないからだよ。毎回、勝負してるからだよ。完璧にできるか分からないからこそ、人はそこに期待して熱狂するんだ。
お客さんもそれが難しいことだと知っているから、
たとえ決まらなくてもそこに感動するんだよ。
不完全だからこそ美しいんだ。」


って言った。

人間は不完全だからこそ美しい的なの
よく聞くし私も頭ではわかってたはずなんだけど

何故かその言葉が胸に響いた。


そして実際、「不完全さってこんなに胸を打つんだ」
と感動した出来事があった。

私の大好きな歌手の人がいてね、
その人の歌を聞きに行った時。

難しい曲だった。その中でその人は
最後ものすごく高音域の音を出した。
まず最後の音にたどり着くまでがめっちゃきついし
そのあとも重唱が控えているのに
その人はその音を歌った。

いつも本当に良い声で、
どんな音でも高らかに出るイメージ。

でもその最後の音が完壁だったかと言われると、
完璧では無かったんだよね。
もちろん全体を通して素晴らしいクオリティだった。

でもその音ひとつ取れば、
その音は完璧じゃなかったはずなんだけど、
なんつーかその音に挑んだ男気っていうか潔さっていうか
決死さ?(日本語あってる?)に感動しちゃって。

その人の歌唱には、「無防備」とか「潔さ」とか「真実味」みたいなものを感じてとても好きで。
「守りの姿勢」みたいなのを感じない。

すごく自然体な感じがして、ちゃんとこっちに音楽が届く歌唱のできる人だ。



自分の完璧主義趣向が邪魔をする時もあるけど
ナリさんの言った通り、「センスのある人」と捉え
「100点」じゃなくてもいい。「80点」でもいい。
と考える。


出す前にあれこれ考えるのではなく、

出してから整える。



たぶん、完璧主義の人は
「整える・磨くセンス」が高いんだと思っている。
今なにが足りてなくてどこを磨けばいいのかが
わかるっていうのかな。
だからきっと高い理想が持てる。

私の歌の先生が前によく、
「上手くいったら儲けもんぐらいの気持ちでいなさい」
って言ってたんだよね。

その時はそれがあんまり受け入れられなかったけど
いまは受け入れられる。

不完全な美しさが少しづつ受け入れられてきて、
自分の歌唱が明らかに変わってきたとおもう。

完璧な歌唱を目指すのでなく、
「私の声や表現は、私にしかないものだ」
自分に言ってあげることが大切なのかなと思った。


完璧主義思考って、それ自体が悪いんじゃなくて
「理想」と「自分」とのギャップを強く感じすぎちゃって
苦しくなっちゃうってことなのかなっておもうから、

自分の声は自分にしかない。
って思えた時に初めて、

「理想の自分」を追求するということから、
「自分の持ち味」を活かしていくことへ
シフトチェンジする感じがある。


この文章も、書いてる時に
分かりずらいだろうな〜とか支離滅裂かな〜、
面白い文章じゃないだろうな〜とか
思いながら書いてるけど

文章のクオリティが
気になって世に表現できないよりは、
稚拙な文章でも表現した方がいいって思いながら
書いたよ✍️


失敗を恐れないこと。ってよく言うけど、
真理なんだと最近よく思う。


最後に最近読んでる本の中で
とても素敵な言葉を見つけたので紹介して終わります。

この本の話もまたしたいな📕


私たちが自分自身に求めるべきなのは
「進歩」であって、「完璧さ」ではない。

出典:ずっとやりたかったことを、やりなさい
ジュリア·キャメロン


あきこ🌸







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