「おじいちゃんはどこにもいない」当時17歳の男の子の死別体験。
こんにちは。死別の悲しみに寄り添うことはできるのか?という問いを掲げて活動しているGrieFuuです。
の2点を言語化し共有することで、残された方にとって、曖昧模糊とした内なる感情と向き合う機会を提供したいと思っています。私たちの記事は「死」という繊細なテーマを扱っておりますので、苦手な方はご遠慮ください。
本日は、現在17歳で、1年前に父方の祖父を亡くした男の子の死別体験を伺っていきたいと思います。
祖父を亡くしてから現在までどう過ごしましたか?
-亡くなる2週間前におじいちゃんの弱った姿を見た時に覚悟ができていたため、そこまで動揺することなく生活していました。
その時のおじいちゃんの姿を見てどう思いましたか?
-人ってこうなっちゃうんだって思いました。
具体的にどのような感情になったか聞いてもいいですか?
-弱り切ったおじいちゃんの姿を見て、生命力のなさを感じ、なんとも言えない恐怖感を感じました。
悲しみからどのように乗り越えましたか?
-生前の会っていない期間と同じような感覚なので、特に何事もなかったかのように過ごしています。おじいちゃんのことは大好きで尊敬していたため、悲しいとは感じますが立ち直れないほどの大きな悲しさはなかったですね。
なぜそう感じると思いますか?
-現実味がなさすぎるからだと思います。まだおじいちゃんの死を受けいれられていないのかもしれませんね。ふとした時に会いたくなり「もういないんだよなぁ」と悲しくなります。
答えられる範囲でいいのでおじいちゃんのお葬式を参列して感じたことを教えてください。
-自分の想像よりもすごい人だったんだと感じました。生前、多くの人からの信頼が厚かったのだなと感じました。
亡くなってから改めて気づいたんですね。
-そうですね。葬式に参列したことで、自分がよく知っていると思っていた人でも自分が気づいていない、意外な一面があるのだと学びました。
おじいちゃんはどこにいると思いますか?
-どこにもいないと思います。悲しんでも変わらないと思うので、そこは割り切ってひたすら前を向いて生きていますね。
おじいちゃんの死後、後悔したことはありますか?
-2週間前の瀕死の状態になる前にあっておけばよかったと思います。
死を通して考え方は変わりましたか?
-いつ誰が死ぬか分からないので、思ったことはなるべく伝えていこうと思いました。また、亡くなってから感じたことは伝えられないので、日頃から相手のことを知ろうとする姿勢が大切だと感じました。
おじいちゃんに伝えたいことはありますか?
-遺品のサングラスは大切に持ってます!! あと、留年しかけました... 同じ墓に入る予定なのでその時はよろしくお願いします。
今日はありがとうございました!
-こちらこそありがとうございました。
改めて人に話すことで自分の考えが整理されたと思うので、このような機会がもっと増えればいいなと思いました。
執筆・編集
関口音花(Otoha Sekiguchi)
死別体験から生じる感覚は1人1人異なり、特別なものです。文章に登場してきた男の子と同じ感情を抱くことが正解ではありません。今後も、様々な方の死別体験を発信していき、読者の方に曖昧模糊とした感情と向き合う機会を提供していきたいと思います。
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