「天から見守ってくれる人たちの中に祖父が加わった感覚」当時17歳、女の子の死別体験。
こんにちは。死別の悲しみに寄り添うことはできるのか?という問いを掲げて活動しているGrieFuuです。
の2点を言語化し共有することで、残された方にとって、曖昧模糊とした内なる感情と向き合う機会を提供したいと思っています。私たちの記事は「死」という繊細なテーマを扱っておりますので、苦手な方はご遠慮ください。
本日は現在18歳で、1年半前に祖父を亡くした女の子のお話を伺っていきます。
亡くされた方との関係を教えてください。
-父方のおじいちゃんです。身近な存在ではなく、年に2回ぐらい会う人でした。はっきりとは覚えていませんが、突然亡くなりました。だんだん老衰していったのだと思います。
最期の時間を一緒に過ごすことはできましたか?
-最期を見届けることはできませんでした。もっと話したかったと思う気持ちが強いです。
どんなことを話したかったですか?
-そう言われると、、難しいですね。
日常会話がしたかったです。大学に合格したことや、どんなことを頑張っているのかを直接伝えたかったです。なんというか、、もっと私の存在を見て欲しかったです。
死の知らせを聞いたときどんな感情を抱きましたか?
-祖父がもう旅立つかもしれないと心のどこかで感じていましたが、死んだという感覚があまりにも分からず、実感が湧きませんでした。福岡(祖父が住んでいる場所)に帰ったらいつも通りいるんでしょ!というぐらいの気持ちでした。
亡くしてから、どんな悲しみと向き合ってきましたか?
-毎日祭壇に報告しているので、悲しいと感じる瞬間は少ないです。お坊さんの家系だったので、悪いことをしたらすぐバレるぞと言われてきました。天から見守ってくれる人たちの中に祖父が加わった感覚ですね。でも、1つ悲しいことは、福岡に帰省する時に「おかえり」と迎えてくれるのが祖母だけになってしまったのは寂しいです。
死の実感が沸いたのはいつですか?
-福岡の葬儀場に行った時です。棺の中にいる祖父に挨拶できなかったです。棺にお花を入れる時も、棺の中を見ることがすごく嫌だったのでできませんでした。
最後に一目会いなさいという家族の言葉に押され、最後を見ることができました。
今までの祖父の姿とは違い、ギュっとなり痩せ細った状態を見て、驚愕しました。悲しくなりました。涙が出ました。泣いている姿を見られたくなく葬儀場のトイレを必死に探した思い出があります。
泣いているところを見られたくなかったのですね。
-言葉に表すのが難しいですが、泣くというより叫びたくなったんです。一番辛いのは祖母なので、泣かないようにしていました。それよりも祖母は祖父のおもしろい思い出話をしていました。雰囲気が良かったです。
残された人のことを考えながら過ごしてきたのですね。
-祖母への心配が強いですね。祖父と祖母はお風呂も一緒に入るぐらい仲が良かったんです。父と祖母は、祖父の故郷や思い出の場所を遺影を持って回っていました。おじいちゃんに会いたいなーってよく言っています。
こういう葬儀だったらよかったなというのはありますか?
-祖父の葬儀はとても良い葬儀だったと思います。祖父はお坊さんで、町内のトップみたいな人だったので、大きな葬儀場で行いました。たくさんの人たちが来てくれていて、祖父は愛されているんだなと感じることができました。
一つの死別体験を経て、自分が変化したこと、成長したこと、思ったことはありますか?
-祖父に直接見せれなかった私の成長や感謝を、今私を支えてくれている人たちに見せていきたいと思います。
執筆・編集
中澤 希公(Kiku Nakazawa)/ 猪股 佳奈(Kana Inomata)
死別体験から生じる感覚は1人1人異なり、特別なものです。文章に登場してきた女の子と同じ感情を抱くことが正解ではありません。今後も、様々な方の死別体験を発信していき、読者の方に曖昧模糊とした感情と向き合う機会を提供していきたいと思います。
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