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波は紅く

 その浜に若い漁師が住み着いた。
 
 初め、村人たちは訝しんだ。彼の身なりはボロボロだが明らかに高価なもので、丁寧な口調も相まって猟師らしからぬ風情だったからだ。

「罪人だ……」
 背中に刻まれた印を盗み見た者が呟いた。高貴な身分でありながら罪を働き、罪人の刻印をされ放逐された、そんなところだろう。
 誰が言うでもなく、村人は距離をおいた。無口な若者はそれを恨むでも無く、ただただ共に沖に出て漁に励んだ。

 若者が住み着いて一年になろうかと言う頃だ。
「久方ぶりだな」
 輝く鎧を纏った騎士が訪ねて来た。
「隣国との交渉が決裂した。戦火が我が国を襲うだろう。再び剣を取り、功績を上げよ。冤罪でこのような地に貴君を追いやった連中を見返す機会にもなろう」
 話を聞き終わると、彼は深いため息をついた。
「いや、わたしは戻るつもりはない」
 その答えに騎士は憤った。
「なにゆえだ!我は貴君の無罪を信じ訴え続けてきた。今回の召還も正式では無いが、王から直々に賜ったのだ!貴君を信じ、望んでいる者は大勢いる。その思いに応えてはくれまいか」
「もはやわたしは何者でもない。この浜で慣れぬ漁をし、魚と戦っている。そう、わたしが戦う相手は人では無い」

 長い、長い話し合いが終わり、騎士は振り返る事なく浜を去った。
 しばらくは口さが無い村人の間で、若者の処遇が取り沙汰されていたが、やがてそれも無くなった。
 王都から見捨てられたこの寂れた漁村には、戦の知らせもなく、淡々と日々は過ぎていった。

 まだ暗い内から沖に出ていた漁師たちは、その朝、空を焼き尽くすかの如く昇る太陽に目を逸らした。
 それはどこか禍々しく、波を紅く紅く染めていった。

「ようやく、これで自由になれる」

 晴れ晴れとした声が響いた。
 若者は太陽に向かって手を差し伸べ、歌うように繰り返す。自由だ、自由だ、と。

 国が敗れた朝のことであった。


2024/08/07脱稿
  

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