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#027 農業×防災 第6話:「農業×防災」を考える


皆さん、こんにちは。

いつもブログをお読みいただき本当にありがとうございます。

第1回~5回までシリーズで書いてきたこのブログですが、今回はメインテーマである「農業×防災」を真正面から考えてみたいと思います。

農業と防災

まず結論ですが、私は、健全な農業の営みそのものが防災に繋がると考えています。

どういうことか、順にお話ししていきたいと思います。

農業の価値

私が農業を行う上で常に意識していることは「農業は食料生産の手段だけではない」ということです。

農業者は食べ物を作るだけではなく、環境保全、景観の維持管理の役割りを担っています。

その結果として、風景や匂いなどが我々日本人の深層心理に作用し、精神的な安定をもたらすと共に、共通観念として一体性を生み出しています。

また、田植えや稲刈りなどの農作業は言うまでもなく、納涼祭、収穫祭、正月行事など、農業は様々な形で地域共同体との繋がりを生み、その結果「お互い様」「相互扶助」など我々日本人の気質、精神的な文化の基礎になっていると言えます。

このように農業は外面、内面問わず様々な形で我々に作用し農業を通じて包括的な土台を築いてきました。この「包括的な土台」そのものが”農業”の本来の価値であると私は考えています。

それを踏まえて「農業×防災」を考えてみたいと思います。

農業×防災の具体的

まず、農業が直接的に防災になり得る事例を具体的に挙げてみたいと思います。

・田んぼ
稲作を行う為には「田んぼ」が必要です。その為には、まず田んぼを平らに耕し、保水性の良い土壌にし、水路から適切に水を供給し田んぼに張り溜める必要があります。

逆にこの営み、すなわち「田んぼ」がない状態、あるいは放棄されてしまった状態を想像してみましょう。

「原野は吸水性、保水性が様々であり、隆起している土地、窪んだ土地、様々な地形も存在する。水路を流れる水は増水時にそのまま野山を流れ落ち原野に流れ込む。」

少し極端な例ですが田んぼがある、ないではこのような違いがあります。

そう考えた時、田んぼはダムのような効果があり、水害を軽減する可能性を秘めているという事が言えます。

中山間地域の棚田をイメージしていただくと良いと思いますが、このような急こう配な場所が典型的な例です。

山梨県南アルプス市中野地区の棚田

日本にはこのような中山間地域での棚田が生き続けている地域がたくさんありますが、田んぼがある事によって斜面や平野を流れる雨水の一時的な受け皿となる訳ですね。

・都市農園
都市部に目を向けたとき、最近では「都市農園」と呼ばれるように、住宅地やオフィスビルが立ち並ぶ地域に開けた農園があるようです。

このような場所は、災害時に一時避難所、救護エリアとしての役割を果たすとともに、火災の延焼の歯止めにもなり得ます。

また、物資の緊急集積地点、ヘリの離着陸地点としても畑(樹木などがない状態に限り)の存在意義はあります。

・ビニールハウス
今回の石川能登地震でも話題に上がっていましたが、ビニールハウスを簡易避難施設として活用する事例です。

ビニールハウスの中にゴザと布団を敷き、石油ストーブを焚きながら一時的な避難生活を送る事例です。

あくまで緊急時の一時的な避難に限ることは前提ではあるものの、しかし、何もないよりかは雨風を凌げる点では少なくとも役立っているといえます。まして、北陸地方の寒い時期には尚更です。

・山林管理(林業)
これは農業ではありませんが、同じ一次産業である「林業」もまた、防災に貢献している面があります。

適切に山林を管理することで土砂崩れを防いだり、倒木による道路寸断を未然に防ぐことが期待できます。

適切な植林、伐採、間伐材の利用、耕耘、作付けのサイクルを繰り返し、里山の循環システムを再現する事によって土砂災害、水害の軽減にも繋がります。

・エネルギー
それから、木炭や薪などの一次エネルギーの活用、井戸水の活用など「農村的な暮らし」そのものが緊急時の知恵としても参考になると思います。

農業×防災の精神的側面

加えてこれまで述べてきたように、農業を中心とした日本古来の家族の繋がり、共同体意識、信頼、相互扶助、互恵関係など、精神的な側面としての絆の強さが「助け合い精神」を生み、それが防災、減災につながるのではと私は考えています。

まったく見ず知らずの人が近所に住んでいる状況においての災害と、日頃から顔見知りが多い状態の方が、災害時に精神的な安心感が生まれるのは当然だと思いますし、殺伐とした状況においての人間同士のいざこざ、犯罪の可能性もぐっと低くなることは共感してもらえるはずです。

こういった精神面の強化に繋がり得るという点が「農業は食料生産だけの役割に留まらない」という事を私が訴えている所以です。

「自助」「共助」

最近では災害時に大切なことは「自助」「共助」と言われます。

そもそもの大前提として、真っ先に国家の責任の元「公助」を迅速に正しく適切に行ってもらわないと困る訳ですが、それでもやはり「自助」「共助」は大切です。

そのためにも適切な農業の営みの中で日本古来のよき面を参考にし、持続的に自然な形での防災、減災の形があると認識したいと思います。

結果防災という考えかた

防災の世界では「結果防災」という考え方があるようです。

このブログで何度も引用させていただいている書籍、「生き抜くための地震学」より説明を引用させていただきます。

 防災の世界では有名な話があります。「土手の花見」というエピソードです。土手の上に桜の木を植えておいて、春になったら大勢で桜見物に行くのです。実は、毎年土手で花見を行うことにより、人の体重で堤防を踏み固める効果があります。花見に出かけるだけで、増水による堤防の決壊を防ぐことができるのです。
 その仕組みを説明しておきましょう。冬になって気温が低下すると、霜が立ったり土の中が凍結します。ひと冬が終わる頃には地盤は緩んでしまい、さらに早春の雨によって軟弱な土地となります。弱った土手が梅雨時の降雨と川の増水で決壊する恐れが生じます。
 しかし、土手に桜を植えておくと、花見に繰り出した人々が緩みかけた地面を踏み固めてくれます。こうして毎年土手のメンテナンスが自動的にできるというわけです。
 こうした「結果はあとからついて来る」システムのことを、「結果防災」と呼びます。人の自然な行動を防災につなげる仕組みをどれだけ構築できるかが、まれにしか起こらない自然災害に対する防災を生活に根付かせることにつながるのです。

「生き抜くための地震学」鎌田浩毅 ちくま新書


このように「結果防災」という考え方があるように、農業もまたその営みを健全に行うことで「結果防災」になるのではないでしょうか?

現在の日本の状況をみたとき、農業の衰退が叫ばれています。その結果として「何か、ニッポン的な良いトコロ」を巻き込みながらぶっ壊されているように感じます。

・イマだけ、自分だけ儲かればいい
・カネを稼げるやつが1番エラい
・家族、共同体なんてコスパが悪い
・伝統、文化なんて時代遅れ

このような考え方が一部で蔓延しているように感じますが、ここで一旦立ち止まって我々が本来大切にしてきた価値観をもう一度見直して、農業を単なるイチ手段として考えず、「結果防災」という長尺の観点で物事を考えてみる一助になれば幸いです。

今回は「農業×防災」のメインテーマである、農業と防災の繋がりについてお話をしました。

続く・・・

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