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「英語の授業」ではなく「英語で授業」

朝起きると、一面雪景色!
子どもも大人も少しテンションが上がっちゃうそんな朝が、12月半ばになってやってきました。
雪景色といっても、京都なのですぐに溶け始めてしまうほどの積もり具合ですが、北陸出身の雪国育ちである私としては、懐かしい匂いのする朝。

まだ薄暗い中、少し雪かきをして車を出して長女を駅まで送り、雪遊びをするであろうと想定して早めに起こした次女は、案の定雪だるま作りをしてから登園。
こんなご時世だし中3の受験生もいる我が家、どこへ出かけるともできない今年の冬は、いっそのこと雪がいっぱい降ってくれたらいいなあ、そしたら家の周りが十分遊び場になるのになあ、と淡い期待を抱いています。(雪が降ったら大変になるご家庭も多いので声を大にしては言えませんが!)

来週から、娘の学校は冬休みに突入です。
近所の公立の小学校より、娘の小学校が少しばかり休みのスタートが早いのは、教員の半数ほどのネイティブの先生方が出身国に帰るためのホリデーだからなのかな、と勝手に解釈しています。(今年はこのご時世で帰国もままならないのでしょうけれど涙)

学校側の英語に対するスタンス

娘の小学校は、授業総数の約55%を英語で行なっています。(と入学説明会で聞きました)
授業数の半分以上、「英語の授業」があるのではなく、「英語で授業」があるということです。

しかし、英語ができないと入学できない学校ではありません。
むしろ、英語力ゼロでも学校側が求める子ども像に当てはまるのならばウエルカム、というスタンスです。
入学時、英語ちんぷんかんぷんの子どもが、6年後の卒業時に、自分が興味を抱いたテーマの探求学習の総まとめを英語でプレゼンできる状態にもっていきます、とのこと。

私立の小学校なので、小学校入学試験(いわゆるお受験)もあるのですが、日本語で受けるか英語で受けるか選択できます。どちらで受けても有利不利の差はない、平等に結果を見ると明言されています。(試験内容や方法は年によって更新されていくものなので、私が知りうるここ数年はそうだという話です)

とはいっても、実際のところ、この学校への入学を希望する子どもで、生まれてから入学する6歳まで英語に触れたこともない、という子どもはいないように思います。英語に関心がなかったり不必要と考えていたりする親が、この学校を選ぶことはないからです。
通っていた幼稚園がインターナショナルスクールではなくとも、家庭内や英会話スクールなどで、多少なりとも英語に触れたことがある子どもばかりであることは、確かです。

学校内での英語授業

授業の内訳として、日本語と英語はどうなっているのかというと、
そもそも教科の分け方が日本の公教育の区分とは違うところが多いので、少しわかりにくいのですが、
簡単に言うと、国語に当たる「ことば」「LC」の授業は日本語で、
実技教科に当たる「PE(体育)」「MUSIC(音楽)」「ART(図工)」の授業は英語で、
算数に当たる「Math」の授業と、探求学習に当たる「UOI」の授業は、「MathE」と「MathJ」や、「UOIE」と「UOIJ」があり、英語と日本語の両方それぞれで行います。

英語で行われる授業は、もちろんネイティブの先生が担当です。
娘の話だと、たまに担当教員がお休みの際、日本人の先生が代わりに英語で行うこともあるようですが。
日本語で行われる授業は、基本的に担任の先生が担当です。

日本の公立小学校ように、担任の先生が主要教科も実技教科も全教科の授業を受け持つ、ということはありません。
全部って、、、、普通の社会人感覚では、、、、無理っしょ!?と思うことを、私たちが子ども時代から小学校の先生方は行なってきたわけですが、さすがにそのやり方だと、教員側にも子ども達側にもメリットよりデメリットの方が大きいと日本の教育を考える方々がようやく気づいたようで(遅くないかい?)、公立小学校でも教科担任制が2022年度から導入されることが決まったようです。(小学校高学年から、ということで低学年ではまだ先のようですが)

IBカリキュラムにおける言語

IBの教育は多言語主義を通じて国際的な視野の発達を促します。児童生徒はす べてのIBプログラムにおいて、複数の言語で学習を行うことが求められます。これは、 複数の言語でコミュニケーションを行うことは異文化への理解と敬意を育むためのすばら しい機会を与えてくれる、というIBの信念に基づくものです。
                  非営利教育財団 国際バカロレア機構より

ということで、PYP認定校である娘の学校は、日本語と英語の二言語で学ぶことが必須事項です。

言語における早期教育の必要性においては、それぞれの家庭の価値観で意見が異なると思うのですが、私は、必要であると考えています。
「英語を学ぶ」ことが大切なのではなく「英語で学ぶ」が大切だと思っています。
むしろ、今の娘たちが大人になった時には、英語が身についていることが武器にはなり得ない時代です。
できて当たり前の時代。すでにもう、そのような時代になっていることに、日本人は目を背けがちな気がします。

言語を身にまとう

多言語を理解することは、異文化を理解すること。
自分と違うもの、自分と違う価値観を、排除するのではなく理解しようとする姿勢をとること。
理解しようとした上で、どうしても好ましくない、受け入れられないというのなら、全てを受け入れる必要はない。
相手への理解を示した上で、自分の感情を大切にすればいい。

そう考えているので、子どもたちには、英語だけに限らず様々な言語を知り得ていってほしいと思っています。学びを強要することはしませんが、できるだけ興味を持てるような環境に触れさせてやりたい。

親のエゴと言われればそれまでですが、「言語をインプットする」のではなく「言語をまとう」感覚で身につけてほしい。
我が子には、日本人家庭に生まれ、日本で生まれ育った者として、母語としての日本語をきちんと軸として自分の中に構築し、その上で、体にマントを纏うように、多言語を何層にでも纏ってほしいと思うのです。

これから生きていく中で、様々な場所で色々な人たちとコミュニケーションをとる時、その時々で着たり脱いだりできる言語のマントを纏っていると、見える世界も回る思考も、必ず広がりをみせるはずだから。


OVER THE BORDERのロバナー長方形

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