「学ぶことは楽しい!」を学ぶこと
大分で大学生をしている青春真っ只中な長男は、最近ようやく自炊を始めたようで(今まで何をどう食べてたんだと気になるけど怖いからあえて聞かない苦笑)、
膝の怪我で入院をしている思春期ど真ん中な次男は、きちんとリハビリを頑張っているようです(若くて可愛い看護師さんにドキドキしたりしてないかしらなんて笑)。
もうしっかり肌寒い京都なのに、パジャマのズボンを意地でも履かない(そして寒くて丸まっている)なんだそりゃな次女と一緒に、
ゲラゲラ笑ったりキーキー喧嘩したりしながら仲良く寄り添っている長女が通う小学校をどのように親子で選んだのか、その選んだ道のりを今回はお伝えしようと思います。
遠くても、IB教育を選択した我が家
前回の記事でお伝えしたように、我が家の長女は2019年度より、国際バカロレア(IB)カリキュラムのPYP認定校の私立小学校へと通っています。
現在二年生。低学年の女の子には少し遠すぎるかなと思う距離なのですが、片道ドアtoドアで約1時間20分(電車に乗っているのは約50分・一回乗り換え)を、弁当・水筒(給食ナシなもので)の入ったなかなかの重さのリュックを背負いながら、入学当初から通い続けています。
もちろん、学校選びの際に、この自宅から学校までの距離も、私たち親子の間で検討必須事項にはなりました。
この距離を毎日行き来する際の安全面での不安や、往復で1時間20分×2の時間を1日の中で消費することへの良し悪しなど、親として悩みました。
ただ最終的に、長女の性格柄(ポジティブなしっかり屋)通えるだろうとの親としての判断と、遠いからと断念するよりも、そこまでしてでも通いたい学校であるという事実が後押しとなり、やってみようじゃないか!と決断。
(どうしても通えない&本人が通うのが辛いということに陥ったら、家族で学校の最寄りに引っ越すという選択肢も心の中にありました)
結果、京都市内から通う生徒の中でも一番遠いと言える距離の通学経路ですが、電車の中での友達・先輩・後輩との出会いがとても良きものに恵まれ、どうやら、登校下校の時間がとても楽しい様子。(電車の中でのおしゃべりの盛り上がりには要注意ですが。。。マナー大事!)
疲れが溜まっていたり、落ち込むことがあったりした日には、長女の口から遠い距離に対して文句のような言葉も出てきますが、トータルして、遠すぎるからという理由で今の学校を諦めなくてよかった、と親子で思えています。
兄たちの公立学校の経験から
兄たちは地元の公立小学校・中学校へと進学したのに、長女がなぜ小学校受験を乗り越えてまで、私立小学校に進むことになったのか。
簡単に言うと、公立学校経験者として、息子たちの成長における”学び”において、いいなと思えるところが少なかったから(無かったとは言いません)。
誤解のないように伝えると、もちろん公立の学校でも親子共々、熱意のある先生方との出会いもあったし、ずっと仲良くしていきたいと思えるお友達との出会いもありました。行事も毎回楽しめて良い思い出になっているし、息子たちがひねくれて手が付けられない暴君になったわけでもなく、真っ直ぐ育ってくれました(今のところ笑)。
公立の小学校・中学校という現場に悪いところがあるというよりも、文科省が定めている教育のカリキュラムや教員や教育現場に対する教育システムに対して、我が子の成長を願う親として、不満が募ったのです。
というのも、よく言われていることですが、日本の小学校の授業、まあ変わっていない。
十数年前に私が在籍していた教育学部小学校教員養成課程で学んだ内容と、何ら変わっていない。
さらには、数十年前の私が子どもの頃と驚くほど変わっていない(私は富山の田舎の公立小・中・高校出身)。
時代はこんなにも変革し続けているというのに。
私自身が少し教育畑をかじってしまっている分、学校現場における納得のいかない学びの事例が多く、ことを広げて大げさに言うならば、この先の未来を生きていく子どもたちが、この学び方でどうなるかわからない未来を生き抜いていける人間として育つのだろうか、と不安になったのです。
なので、長女の学びの場として、公立小学校以外の選択肢へと目を向けることになりました。
IB教育との出会い
実は長女は、就学前にインターナショナルスクール(日本人家庭向け)へ通っていた経験があります(現在日本には、主に海外からの駐在家庭の子たちが通うインターナショナルスクールと、主に日本人家庭の子が通うインターナショナルスクールが存在します)。
2歳児のプレスクール時代の10ヶ月と、5歳児の年長時代に当たる1年間です。(なぜこんな通い方になったのかは、話の筋がずれるので控えます笑)
そのインターナショナルスクールを選んだ理由としては、そこのスクールの理念が「英語が話せるようになりましょう」なだけではなく、非常に簡潔にまとめると「英語が話せることが当たり前の時代になる中で、じゃあさらに何ができる人間になるのか」ということを問う理念だったから。
そしてそのスクールで採用されていたのが、IB教育のPYP(前回記事参照)でした。
そのスクールに入園するまで、正直IB教育についてもPYPについても、そりゃなんじゃらほい?だった私。
幼少時代は”遊びが学び”でしょ、PYPってなんだかものすごく”お勉強”させられる感じ??な感覚があったほど(教育分野かじっている者としてお恥ずかしい、、、)。
けれど、長女が、いわゆる”お勉強”的なことをして学んで吸収することが好きな性質を持っていたこともあり、入園。
スクールとしては、外から見ているだけじゃわからない中に入ってわかった良し悪しがたっくさんありましたが、総じて、そのスクールとの出会いは長女にとってとても良かった。
長女の人生にとって恩師と言える先生方に出会い(卒園時には先生に抱きついて大泣きして離れなかった)、彼女の持つ特性がぐんと伸び、親の想像をはるかに超える成長を見せた一年になりました(英語力だけでなく、教育的な視点から見る成長として)。
長女がこのように成長できた要因を親として分析をすると、IB教育のカリキュラムに沿った学び方、またその学びに対する考え方が浸透している先生方の力が大きかった。
という結果を身を以て親子で体験して、まだまだ触りではあるにしろ、IB教育の良さを実感したわけです。
Learner Profileの魅力
長女の通う小学校におけるIB教育は、英語と日本語を両立させながら探求学習をメインとするカリキュラム(長女の学校では授業総時間数の約55%を英語で学ぶ)で、 教科の枠を越えたテーマが存在し(例えば「Who we are 私たちは誰なのか」)、各学年においてそのテーマにおける核となるCentral Idea(例えば6年生では「人々の情熱や才能は、しばしば社会に貢献するための原動力となる」) に対して多角的な視点で学びを進める(例えば学習内容として「学習とは何か、そして我々はどのようにして意味を構築するのか」や「脳はどのように機能するのか」)ことが、とても魅力的なカリキュラムなのですが、私が感じるIB教育の最大の魅力は、Learner Profile(IBの学習者像)です。
前回の記事に記載した10個のLearner Profileは、国際バカロレアが「個人や集団が地域社会や国、そしてグローバルなコミュニティーの責任ある一員となること」として掲げた目標です。
長女が通っていたインターナショナルスクールでも、現在の小学校でも、このLearner Profileは子どもたちの見えるところに張り出されています。
1つ1つの学習者像がどのようなものか、娘含め子どもたちがきちんと理解している様子が伺えるので、先生がLearner Profileを徹底して伝えているのではないかと思います。
子どもが目指すべき像を思い描けていることは何より、子どもと共に過ごす先生方の意識の中に、この学習者像が根付いていることが何より大切なことだと感じています。
極端な言い方をするならば、
○「算数の内容をきちんと理解して100点取れる子」を目指しその点において子どもを指導・評価するのか
○「Inquirers(好奇心を持って探求し学びを楽しむ人)な成長を遂げているか」を目指しその点において子どもを指導・評価するのか
これらの違いは、日々を学校で過ごす子どもの成長にとって、とても大きな違いとなって現れると思います。
「学ぶことは楽しい!」を学んで欲しい親の思い
というわけで、長女の公立小学校以外の学びの場を模索した時に、他の私立小学校ではなく今の学校を選んだ理由は、IB教育のカリキュラムを取り入れていたから。
そして、現実的に通える範囲内(全国におけるPYP認定校は43校、京都府内に2校:令和2年6月30日時点)にあり、かつ一条校であること(京都府内にあるPYP認定校2校のうち一条校に該当するのは1校、もう1校は主に海外家庭の子が通うインターナショナルスクール)。
一条校であることは、私たち親子の中でのプライオリティーは高くはなかったのですが、純日本人な家庭である我が家において、もう1校のPYP認定校であるインターナショナルスクールへの入学は、娘の成長における日本人としてのアイデンティティや日本人としての文化的生活を考えたときに、候補に上がりませんでした。
私の価値観の中に、何事においても学ぶことは楽しいものだと感じられれば、人間は生涯をかけて自ら成長し続けることができる、との思いがあります。
自ら伸びゆく子どもになるためには「知識」を学ぶのではなく「学ぶことの楽しさ」を学ぶ必要性があると、日々の4人の子育ての中で感じてきました。
親として、学校教育の中で子どもに何を学んでほしいかと問われたとき、私は迷わず、「“学ぶことは楽しい!”を学んでほしい」と答えます。
その楽しさを学んで欲しいがために、IBの探求型カリキュラムやLearner Profileという方法を、親として望みました(ある意味、親のエゴですね)。
そしてそれは、親のエゴに留まらず、日々の学びを楽しんでいる様子として長女自身に、今現在の進行形の結果が表れています。
他の小学校へ通ったことのない長女にとって、比較検討は到底無理な話なのですが、彼女なりに兄たちの通っていた学校の記憶と比較をして(兄たちの授業参観や行事には連れて行っていた)、今自分の通う学校の楽しいイベント(English speech contest、Talent showなど)や、ICTを当たり前のように使用している学習方法や、問いに対して様々なアプローチで自分なりの答えを模索する授業内容に、「この学校を選んでよかった」と感じているようです(実際に彼女の口から台詞としても出てきます)。
我が子に“合う”学校を
長女にとっては、今現在の環境(居住地、家庭の状況等)における選択可能な選択肢の中で、親子で共に選んだ今の学校が単純に“合っている”のだと思います。
国内、海外含め、学校教育というものにおいて、もちろんIB教育が全てではないし、完璧だとも思いません。
問題は、我が子に”合っている”かどうか。
合っているというのは、私の価値観で言えば、「その子自身が”学ぶことは楽しい!”と思えている」かどうか。
子ども自身が学校生活において、楽しい!と思える瞬間がどれだけあるか。
それは、学習だけに限らず、学校生活全般において。
子どもたちにとったら、生活すべてが学びの場であることは間違いないと思うから。
日本の子どもたちがみんな、さらには世界中の子どもたちがみんな、「楽しい!」と思える学びの場を選択できる世の中になればいいなあと壮大なことを思いながら、早起きして作ったお弁当を渡しつつ「今日も元気にいってらっしゃい!気をつけてね!」と、我が子を送り出す毎日です。
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