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教員問題にツッコミたい

先日、「ちょっとまて、おい。」
と思う出来事が起きたので、記しておきます。

ちなみに、子育てしていると、
「ちょっとまて、おい。」とつっこみたくなることは日常茶飯事で、
以下ほんの一例を挙げると、

↑これは1年ほど前のクリスマスが近づいているとある冬の日、登園直前にバッタバタ準備している朝、私がふと振り返ったら、こうなっていたの画。
寒い朝に、スイミングスクールの水着&水泳帽の人……
超急いでいるのに、のんびりカルタ遊び&それにニコニコ付き合う夫…
「ちょっとまて、おい。」の度合いが凄すぎて、一瞬、刻が止まったよね。(そしてカメラのシャッター押したよね。)

まあこんなことは日常なのですが、
しかし今回の「ちょっとまて、おい。」は、娘の学校での出来事です。

娘の訴えから知った校内での出来事

先日、国際バカロレアのPYP校に通う小学4年生の娘が、私に泣きながら訴えてきました。
(大前提として、何事においても、我が子に泣きながら訴えられたとしても我が子が語ることのみに肩入れするスタンスではなく、親として我が子の気持ちに寄り添いつつも、起こったことの事実を冷静に見極めるスタンスで子育てをしています)

数日前から同じクラスのお友達Aちゃんが、お誕生日の近い仲良しのB先生にプレゼントするメッセージ動画を、子どもたちや他の先生から写真とメッセージを集めて、一生懸命自分のiPadで作成してくれていたようで、休み時間に、そのメッセージ動画を制作に協力してくれたお友達に、「こんなのが出来上がったよ」と共有してくれていたそうです。
そのiPadでのやり取りをしていたところに、隣のクラスのC先生が突然やってきて、頭ごなしに「休み時間に何やってるんだ!iPadは学習以外に使うんじゃない!」と大声を張り上げたそうで、その場でAちゃんのiPadを没収、ちゃんと謝りにこないと返さないと伝え、結局Aちゃんは大勢の生徒の前でC先生に「もう二度としません、すみませんでした」と謝ることをさせられたそうです。

娘は、その一連の流れを見て、C先生に対して憤慨をし私に訴えてきました。
B先生を喜ばせるためにAちゃんは頑張ってくれたのに、あんなにみんなの前で怒鳴られて怒られて、可哀想すぎると。

論点1<ルールの必要性>

この出来事においては、様々な論点があると思います。

まずは、休み時間にiPadを使ってはいけないという決まりがあるのかないのか。
もし学校内でそのような決まりがあるのだとしたら、そもそも休み時間にiPadを操作していたことが注意されることにあたるのかもしれません。

しかし、もしiPadを休み時間に触ってはいけないという決まりがあるとしたら、その決まりはなぜ必要で、なぜ決められているのかをもう一度、教員と生徒と共に検討する必要があると思います。

「子どもたちに適切な使用方法を求めること」と「iPadの使用に対して大人が制限をかけること」は、似ているようで全くもって異なることだと思います。
物理的な制限をかけることが、本当に子どもたちの適切な理解と成長につながることなのか否か?
国際バカロレアの理念に則って検討するならば、iPadの利用に関しての子どもたちへの指導は、現在と異なるものとなるはずなのです。

論点2<物事の伝え方>

そして次に、C先生がとった行動ですが、たとえ何か子どもたちに注意すべきことがあった場合でも、命に関わる緊急事態以外は、声を荒げて注意することが果たして本当に正しい伝え方なのか?

子どもたちに対する叱り方については教育界でもいろいろな意見があるかもしれませんが、今回の様子を考えても、教員が感情をぶつけることは、子どもたちにとって、叱る内容ではなく怒っている感情しか伝わりません。子どもたちには、ただの恐怖としてしか残らない。
それは怒っただけで叱ったことにはならないし、子どもたちに向かい合うプロの教員であるとしたら、一番間違うべきではない部分かと思います。

教員が感情任せで物事を判断し、マイナスの感情を爆発させている様子は、そういう態度や行動をとっていいものなんだと、子どもたちが教員の様子から学んでしまうし、声の大きさで場を制することは、指導方法として合っているとは思えない。
さらには、大勢の前で謝らせるという指導は、周りの目に晒された子どもの自尊心を傷つけ、教員が自身の自尊心を高めたいだけの行動にしか思えない。

基本的な、相手に自分の伝えたいことを伝えるというコミュニケーションについて、子どもたちの前に教員が学ぶべきではないでしょうか。

論点3<どのような子を育てたいのか>

さらには、そもそも叱る必要はどこにあったのか。

Aちゃんは、iPadでyoutubeやゲームを行なっていたわけではなく、(それに関しても、休み時間なのだから子どもが自由に選択していい時間だと捉えて、頭ごなしにyoutubeやゲームをしてはいけないと大人が決めてしまうのはどうかという論点は、今は横に置いておきますが)、相手を喜ばせるためにiPadというICT機器をツールとして使っていたわけです。

先生がお誕生日だから、折り紙でお花を作ってあげるんだ!と折り紙を折っている行動や、みんなで寄せ書きしてあげるんだ!と色紙を書いている行動と、同じなわけです。
ツールが、折り紙や色紙ではなく、iPadであったというだけです。

今回の件でいえば、おそらくC先生は、AちゃんがiPadではなく色紙を触っていたら、怒らずスルー、もしくはいいことしてるねと誉めていたのではないでしょうか。これは、どう考えても、子どもの行動の表面上しか見ていないできごとです。

たとえ、休み時間にiPadを触ってはいけないというルールがあったとしても、目の前の子どもが今なぜiPadを触ってしまっているのか、目の前にいる子どもに向き合う、子どものことを理解する、という教員として当たり前のことを行えば、怒るという行動にはつながらないはず。

iPadを使って、誰かを傷つけるような行動をとっているなら話は別です。
しかし、喜ばせようとする行為を子どもが自ら主体的に行なっていたことを、頭ごなしに怒鳴られてみんなの前で辱めを受けたならば、その子やそれを見ていた周りの子たちはもう、相手を喜ばせる行為にトラウマを抱えて、主体性を持って行わなくなります。
そんな子どもたちを育てたいと思っているのでしょうか。
この教員の行動は、国際バカロレアの理念とは反しているのは明らかなこと。

いち教育オタクとして思うこと

教育情報にアンテナを貼っている教育オタクであり、そしてそのオタク具合を生業とし始めている身としては、一条校とPYP校の両立の難しさや、IB(国際バカロレア)教員の育成の難しさなど、学校運営側の立場や困難さも人より理解しているつもり。
IBで育っていない教員の、IB理念の徹底の難しさがあることは、確かだと思います。

しかし、その点こそが、PYP校ではPYP校として在り続けるために、最重要課題としてクリアしていかなければならない部分であるし、何より、目の前の子どもたちのために、子どもたちに日々向かい合う教員の意識向上は徹底して行なわれなければならない部分。

今回の出来事は、日常の中のほんの一例でしかないのだろうな、と予測できます。
いくら学校自体が良き方針を打ち出していても、子どもたちに向き合う現場に立つ教員一人一人のマインドが徹底されていなければ、このようなことは日常茶飯事で起こっているのだろうと。ああ、悲しきかな。

そしてこれは何も、国際バカロレアのPYP校だからとかいう問題じゃない。
どの教育方針のどの教育現場でも、教員の育成と意識向上の課題は、間違いなくあるのだと思います。

日常にある笑える「ちょっとまて、おい。」ではなく、
教育現場にある笑えない「ちょっとまて、おい。」が、
子どもたちのために、少しでもなくなることを願います。

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