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メンタルを救える術とは
メンタルの強靭値を測ることができるシステムがあったら、
おそらく私は異常値を叩き出す。
と思うくらい、自分のメンタルが強い自覚がある。
もちろん、サイボーグではないので、
傷つくし悩むし、涙だって流します(生身ですもん)。
だから、強いという表現は、少し違うかもしれません。
時たま折れ曲がるけれど、そこからしなやかに戻ってくる術を知っている。
その術は、誰かに教えてもらったわけではなく、経験から学び得たスキル。
これまでの人生において平坦ではない道を選択することが多かった中で、得られたもの。
それは、私のかすかな自信でもあり、アイデンティティにも関わることかとも思う。
けれど、自分で自分のメンタルを救う術を持っていても、
悲しいかな、助けたい相手のメンタルを救う術を私は知らない。
東日本大震災のあと、
暗く恐ろしいニュースがメディアを席捲したあの日々、
それをただただ受け取り続けた田舎の祖父は、心が落ち込み身体の病状が回復せずに亡くなった。
まだひらがなもままならなかった当時5歳の次男は、身近にあったティッシュの箱に「東」の文字を書き連ねていた。
そして、昨日から、
9歳の長女が、タブレットやテレビに少しでも銃撃事件の映像や話題が出ようものなら「怖い!!」と叫ぶ。
6歳の次女は、そんな長女の姿を見て「こわくないよ、だってよくわかんないもん。だからだいじょうぶだもん」と自己防衛を呟く。
そんな娘たちの様子に、
東日本大震災後の祖父と次男の姿がフラッシュバックする。
前代未聞の非常事態に対して、さまざまな論争が起こりうることもわかる。
それらがホットな話題として、多くの場所で取り上げられる意味もわかる。
だけどそれに、影響を受けて起こる、メンタルの二次災害が私は恐ろしい。
世の中、私みたいに強靭なメンタルの人ばかりではないはずで、
成長過程の子どもたちから独りになりやすい高齢者まで
落ち込み鬱々とする人も、良くない方向で刺激される人も、
少なからず、いや、かなりの割合で生まれているであろうことは、
想像に容易い。
メディアから距離を置き情報を制限すること、
あなたには安心できる場所があるということを伝えること、
曖昧にするのではなく、なぜ、どうして、こうなっているのかをきちんと話し合うこと、
強靭なメンタルの自分が、外的要因に負けそうになるメンタルに対して寄り添うことが果たして可能なのか、
答えはやってみないとわからない。
だからこそ、できることから、ひとつずつ。