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写真をとりたくなるとき。

いただき物のカボチャに悩み、シンプルにレンジでチンして潰して、マヨネーズであえた。ただのカボチャサラダなのか、マヨネーズの和え物なのか、わからない食べ物を作った。思った以上に美味しくて、これは全てカボチャのスペックが高いだけなんだけど、嬉しくなった私は、器にもこだわりたくなった。映えない食器棚には、映えない食器がたくさんつまっている。いくらさがしても、今の私の喜びに見合器はなかった。仕方なく、カボチャの絵がついているお皿をチョイスする。だいぶ前に、土岐のほうで買った美濃焼だと思う。その時、お皿にもこだわる私になりたくて買ったんだったな、、と、過去を懐かしむも、センスは今でも感じられない。
さて、カボチャのお皿にカボチャの食べ物を載せてみたが、どの角度からみても映えない。カボチャにカボチャは映えない。たくさん写真をとってみたが、どれも私の喜びを表現してくれるものはなかった。
まあ、しょうがないよね。写真がとりたくなったのは、そもそもカボチャがおいしかったからだもの。映えなくとも、カボチャの美味しさは舌に残っているもんね。

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