有害な男らしさがあるように、有害な女らしさも存在する


 「有害な男らしさ」という単語を頻繁に耳にするようになって久しい。
 ただこの単語、非常に翻訳がよろしくないことはまず先に指摘しておくべきだろう。有害な男らしさは英語で”toxic masculinity”である。masculinityとは筋肉とか男らしさということなのだが、toxicとは「毒のある」「有毒な」を意味する単語である。Onions are toxic to cats.のように使われる。
 すなわち正確に訳するなら「男らしさの中に含まれる有毒成分」とすると誤解を減らせるかもしれない。要は「お前なんでピンクの服着てんの?ゲイみたいだなwww」とか、「お前勉強ばっかしてヒョロガリだな!腹パンくれてやるよ!」みたいなところである。
 要はこういう有毒成分を自覚して、不幸せにならないような会話をしようという考え方であって、何もステレオティピカルな男を全否定しているわけではない。
 実際、この有害な男らしさの啓発が進んで、社会はよくなっていると思う。前までは学校で大便でもひり出そうものなら盛大にバカにされていた。令和の今では、昔なら真っ先に標的になっていたであろうアインシュタインの稲田やヒョロガリの私もいじめられずに学生生活を終えることが出来るようになったのである。

 さて、有害な男らしさの啓発が進みにつれ、それに引き換え慈愛と相互尊重の精神あふれる女らしいコミュニティとブランディングされていったところにモヤモヤを抱えていた。結構私の小中学校の女性コミュニティはギスギスしていた印象があるからだ。
 勿論私の蒐集したサンプル数が少なすぎるせいかもしれない。そんなことないよ、男のコミュニティと同じで女のコミュニティもよくなってるよ!と感じられた方はぜひコメント欄にその旨を教えてほしい。実際高校からは女性にはおどおどしてまともに話せなくなっていった。
 しかし大学に入って女性と話していると、「高校時代は友達で苦労したんだ」みたいな話を偶然では済まない頻度で聞いた。特に印象深かったのは、中学時代の女友達と話していた時だ。以前もnoteで述懐したが、私の中学校はいじめや1軍2軍といった階級もなく、非常に楽しく平和なコミュニティだった。しかし彼女に話を聞くと、「私Oちゃんと好きな男の子が同じでさ。結構嫌がらせとかされたんだ」というような話をしていた。同じ中学校に通っていても、彼女は同窓会に行くつもりはないと明言するほど印象が違っていたのである。

 こういうことを述べるとアンチフェミの諸子は小躍りして喜びそうだが、これに対する処方箋は他でもないポリコレであると考えている。
 社会学では、女性と男性のコミュニティの違いは本質的に異なっているからではなく、消費した文化や好むメディアなどがコミュニティによって分かれるため、男女に文化的な差異が産まれるのだと考える。

 有毒な女性らしさへの解決策。
 まず一つは民間企業や行政で、女性の登用・昇進を積極的に進めることである。これはポリコレというよりもアファーマティブアクションだが、21世紀になるまでしばらく、「女性は家庭に入りキャリアなど築かないものだ」とする価値観が長く続いた。これの影響か、少女マンガや雑誌など女子向けのメディアには白馬の王子様で代表されるような男とのロマンスに割かれることが多かった。
 しかし女性もキャリアを築いて、社会的な立場を作れるとすると、男との色恋以外にも自分の仕事や職場での活躍でも楽しい話題を見出すことになるだろう。現にそのような文脈の創作も徐々に表れている。2017年の大河ドラマ「おんな城主直虎」では主人公が井伊家を畳むまで未婚を貫き、井伊家の繁栄のために働く主人公の姿が主軸に据えられている。

 続いて、従来型の少女マンガの枠をはみ出す女子向け創作をもっと世に出やすくすることだ。
 恋愛ものの少女マンガを読んだことがあればわかると思うが、少女マンガでは女性主人公がイケメンに見合うために途轍もない努力をする、というのが定石だ。元々内向的な女性(MBTIで言えばI)が、何かをきっかけにイケメンを手に入れるために垢抜ける努力をし、かわいくコミュ強に性格を操作し(MBTIで言えばE、S、J)男とゴールインするというものだ。
 これは女性に限らないが、本気の恋愛に自分の人生のリソースを注ぎすぎると、自律性と独立性が失われ、かなり異性に依存した人生設計になってしまう。こういったマンガも当時は意中の相手と結婚し家庭に入れば幸せかもしれなかったが、今の時代は女性も異性に依存しないことが幸せの条件となってくる。
 実はプリキュアは非常にポリコレな創作であることをご存知だろうか。プリキュアの背景には「なんで男の子たちだけが悪者を成敗していくの?」という問題意識がある。プリキュアのテーマはズバリ「女の子だって暴れたい!」だ。
 また女性が男を圧倒する創作も徐々に出つつある。「暁のヨナ」が分かりやすいだろうか。本来、王位継承権を持つ王子が何らかの政変で追放され、旅先で成長を重ねて王位復権に戻るというのが少年漫画の王道展開である。暁のヨナは、その主人公が王女であるという点で特筆に値するだろう。最初は少し辟易するくらい護衛に守られながら泣き続ける日々を送っていたが、自分でも弓術を鍛えるなど成長していき、次第に奴隷商人を射貫いたり凄腕の剣士をスカウトしたりしていく。また随所で男性を性的に眼差すような描写もある。スカウトした剣士が自分を庇護する立場を奪い合う様を見て悦に入ったり、美少年を愛でたりといった具合だ。女の子だってかわいい男の子を楽しみたい、という心遣いは、むしろ粋ではないだろうか。

 かなり放逸した文章になってしまったが、私の言いたいことはこれだ。
 長らく社会は女性に対して、男と結婚したり誰かの秘書になったりするなど、他者の庇護下に入ることを前提とした栄達を斡旋してきた節がある。
 そうではなく、自主独立を前提とした幸せを強調する文化が盛んになれば、自然と女性が依存的で共感的なコミュニティを形成することも少なくなるだろう、ということだ。
 駄文で内容が薄くなってしまい申し訳ないが、女性たちが男性に引け目を取らないレベルで活躍し、社会的に名を残せる社会に到達できることを期待しつつ本項を締めたいと思う。


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