フリーラブと親業免許制のススメ
自由主義者は包括型と逸脱型に分かれる。
包括型は、何か自由を達成したいとき、法的に認められて自由を達成しようという動きである。例えば中絶や同性婚の合法化運動などだ。
逸脱型は法が認めるかなど関係ない。小うるせぇ官憲や警察など無視して、好き勝手やりたいことをやっちまおうという考え方である。例えば、当時違法だった乱痴気小説を印刷しまくったマルキ=ド=サドが有名だろう。
同性愛が悪魔の所業とされ、精神病の一種だとされていた1950年あたりでは、LGBTsは逸脱型だった。しかし、今や包括型の自由主義者の一翼として成功を夢見る市民団となった。それ自体は喜ばしいことだ。
しかし、今でも逸脱型の結婚の方に惹かれてやまない人々がいる。フリーラブだ。
フリーラブ運動とは、文字通り自由な恋愛を愛してやまない人である。
同性同士でヤッてもいいじゃん。3人でヤッてもいいじゃん。付き合ってる人以外ともヤッてもいいじゃん。なんなら5人で結婚してもいいじゃん。一夫多妻制でもいいじゃん。一妻多夫制も楽しそうじゃん。多夫多妻制でいいじゃん!
勘違いしてほしくないのは、「我が家は一夫一妻という決まりを作る」という家族形態でもいいじゃん!となることだ。私も何人と結婚するかはわからないが、僕の妻や夫たちには男と性交渉するのはダメなの、というルールにするつもりだ。あくまで多夫多妻を選びたい人は選べばいいだけで、普通の家庭がいい人はそういう決まりを作ればいい。愛は当事者だけの契約で充分であって、国家に口出しされる筋合いなどないのだ!
こういう誤解があってかなくてか、頭の固いハゲ散らかしたネトウヨじいさんたちにはすこぶる反応が悪い。もうモテないだろうに、偉そうに反対意見を口だしてくる。「それはソビエトで失敗したはずだ!」、と。
その根拠となる記事は恐らくこれだろう。日本語ではこの記事しか見つからなかった。法輪功という中国のカルト新宗教が運営しているメディアで、トランプの不正選挙陰謀論を報じたり、ワクチンは危険だという陰謀論を流布したりとデマに定評のあるメディアだが、ネトウヨの真贋センサーには引っかからなかったようだ。確かにソビエト連邦ではフリーラブに関する混乱は多少あったのかもしれない。
私は官憲的なソビエト連邦がそのような実験を積極的に進めるとは思えない。ソビエト連邦は内戦に移行すると化粧品店すら「不要不急」と判断して閉店させたような権威だと聞いている。そのような閉塞感のあるソビエトのシステムは、エマ=ゴールドマンの『私の人生を生きて』に記されている。
しかしながら、ネトウヨの指摘も大外れという訳ではない。「フリーラブは家族が子育てに責任を持たない!」というのは確かに一理ある。
しかし考えてみて欲しい。一夫一妻制は必ず両親に育児を完遂するよう強制するだろうか?一夫一妻の夫婦でも虐待する夫婦はいるし、貧しくて大学すら行かせられないのにポンポン何人も産むような親もいる。宗教を強制する親もいるし、育てている途中で離婚や再婚をして養育を全うしない親もいる。一夫一妻制は安全な育児を遂行する唯一無二のシステムだとなぜ言えようか?
この誤解の根源は、恋愛と保護者の混同である。友人から夫婦にステップアップしただけで、子育てをするという責任感を持てない親は全国にごまんといるだろう。愛し合う関係と子育てする関係は違う。一度子どもを設けることに同意したカップルは、子育てを完遂することに責任を負うべきなのだ。
この解決策はシンプルだ。子育てに免許を交付するのだ。
親業免許制
車を運転するには免許がいる。車が暴走すれば、多くの人生を狂わしかねない。しかし子育てに失敗すると、その後の人生を確実に狂わせることになる。車よりも重いのに、なぜ重い方が免許を必要としないのだろうか。
親業免許制は、多くのことを解決しうる。これからそのメリットを一緒に見ていこう。
子どもは親の私有物ではないと牽制できる
虐待する親のマインドとして、子どもは親に完全に服従して当然だとか、神の子であるなどという認識を持っているケースが多い。
免許を当てるための講習や試験を課すことによって、「子どもは公共と協働して育て上げるものだ。決して親の好き勝手の対象物として扱われてはならない」という意識を植え付けられるだろう。
宗教虐待を防げる
同様に、宗教を子どもに押し付ける虐待「宗教二世問題」が取り沙汰された。
例えば免許を交付する際、「子どもは正しい神への信仰に恭順しなければいけない」「親は拒否する子どもに宗教を教える権利がある」といった○×問題を用意できる。これに〇をつけた参加者を落選させれば、否が応にも認識を改めざるを得ないだろう。
宗教虐待の蓋然性が高い親を育児から引き離すことで、宗教虐待を抜本的に減らせる。
貧困の子育て世帯を減らせる
子どもを大学に行かせられる収入がないまま、子どもを設ける家庭があるが、そういった家の多産を防げる可能性がある。
例えば世帯収入1000万円であれば4人以内、と指定することで、経済的な育児能力のある家に子どもが設けられるようになる。
事前に虐待予備軍から親権を奪える
暴力事件を起こした成人、金髪で暴走事故を起こした成人からペナルティとして免許を剥奪できる。こういった家庭は概して社会資本が低く、低年齢のまま親になる悪循環を生みだすものなので、親にしたところでロクなものではない。
本当に良い親になるには公的な機関に通う必要がある。そうなると、本当に改心しなければ免許を交付されない状況になるだろう。
DV親予備軍にレッテルを与えることで、虐待をしない親にインセンティブを与える社会になるだろう。
養育義務のある大人を指定できる
再婚で新しい親に困惑したり、受験中に離婚して進学を揺るがす親がいる。データによれば、かなり多くの再婚した家庭で虐待が起こっている。
親の恋愛に子どもが振り回されることを防ぐには、「この子の養育義務を持つのはA氏とB氏」というように明文化して指定することが出来るだろう。そうすれば親が再婚したとしても、養育義務のある保護者は変わらない。
なおこの提案は珍しくデメリットがあり、以前までは素行がよかったが突如DV親となった者から逃れることが難しくなる。前項の懲罰的免許剥奪と、児相の権限強化の両輪で対応できるだろう。
児相の権限強化で困るのは毒親だけだ。警察や検察や官憲は権限があるだけ面倒になるが、児相だけは例外である。強く恐ろしい児相を社会全体で育むべきだ。
フリーセックスで富国強兵
どうだろうか。あながち突飛な意見には見えなくなってきたのではないだろうか?
親業免許制で前後の憂いなく自由恋愛を楽しめ、虐待も減らせるというまさに一石二鳥の提案である。
フリーラブによって、人々は同意のあるセックスは楽しい営みだということを再確認する機会をより多く経験することだろう。そうすれば少子化も解消され、えちえちで楽しく強い日本に成長する。
禁欲は敵だ!
進め一億金の玉だ!
勃ち上がれ、ニッポン!