マッマ、アスペなのでは
皆さんは皆さんのお母さんが好きだろうか。私はなんというか、ずっと一緒にいると辟易する、といった感じだ。しかし「愛されていないから?」と訊かれると、寧ろ愛されはしていると思うし、他の人よりも経済的な援助は多く貰っている節すらある。しかしながら一緒に住んでいると、よく血の気の通った人間ではない何かがそこにいるような感覚を覚える。要するに、どこかズレているのだ。
私はこの20年強を通じて、好きか嫌いかという二軸のうちから、母への評価を定めようとしてきた。しかし、嫌いになるにしては悪意が足りず、好きになるにしては共感力が足りないのだ。このモヤモヤを考えるうちに、ふと悪意もないが共感力もない人は他にもいることに気付いた。アスペルガーである。
EPISODE 1 | セミ
中学2年生の頃の担任は、東京理科大学で生物学を専攻していた先生だった。この関係もあり、夏休みの宿題として「セミの抜け殻の写真を撮って、その写真を撮った場所を地図に記す」というものが出た。
その課題をこなすため、カメラと地図を首からぶら下げて靴を履いていた私に母から声がかかった。
「あれ、虫カゴは?」
虫カゴ?写真を撮ってその場所を示すだけなのになぜ虫カゴがいるのか。生体を採ってきて写真を撮れという指示だと誤解しているのかな。そう思い、「写真を撮って地図に印をつけるだけだから、虫カゴはいらないよ」と言うと、母は頑として言い放ったのだ。
「抜け殻も集めてきなさい。」
そのような要求は宿題のプリントに記載されていない上、先生がそのような指示をするとは到底思えなかった。セミの抜け殻なんてどんな虫や汚れがついているかわからないし、仮に生徒が9月1日に軒並みセミの抜け殻の入ったビニール袋をカシャカシャと学校に持っていったとすれば先生もいい迷惑だろう。そんな非常識な行動を先生がさせるはずがない。私はキッパリと断るべきだと思った。
「そんな指示はこの宿題のプリントには書いてないよ。仮に先生がそれを望んでいたとして、書いてないのだからやる意味はないよ。」
「先生が提出を求めなかったら出さなければいいだけでしょ!抜け殻も集めなさい!」
エラい剣幕でキレ散らかしてくる。仮に「抜け殻出してね」と言われたら「抜け殻を集めろなんて書いてなかったので集めてません」と一言言えば済むのである。その一言を言わないがために、数十回も無意味なタスクが追加されるなんて全くバカバカしい。私は夏休みの宿題に無駄な追徴課税が課されることを防ぐため、宿題のリストを見せて戦った。しかし何度説明しても母は私を怒鳴り散らして抜け殻を集めてくるよう命じた。母がキレたら大体数時間は時間が飛ぶものだ。2時間経っても頑なに書いていない指示を遂行するよう威圧する母親が怖くなり、遂に私は泣いてしまった。私は自室に避難し、泣きはらした真っ赤な顔でそこを出たのは更に1時間後となった。母は私をなだめる。
「ごめんね。やってもやらなくても変わらない話だったね。じゃあ一緒に、写真と、セミの抜け殻を集めましょうよ。もし先生が抜け殻を提出してと言われなかったら、集めた抜け殻を出さなければいいだけじゃない!」
3時間自分の産んだ息子を泣くまで追い詰め、そこまでして宿題を完璧にして出させたいのか。そもそもプリントには一言もそのような指示は記載されていないので、正確に言えば抜け殻を集めたとして宿題が完璧になるという話ではないのだ。
結局二人で集めたセミの抜け殻は夏休みいっぱい私の部屋の本棚の上に置かれ、提出することなくその年は終わったのだった。
EPISODE 2 | 予約
何もこのズレは中学時代に限った話ではない。
一年前のことだ。私は予約した美容室に入ると、美容室のミスで予約が取れていないことが判明したのだった。
一旦その日は帰宅し、後日同じ美容室に予約を入れることにした。予約を入れたことを伝えると母はこう返した。
「じゃあ電話しなきゃね。」
電話?先ほど美容室の予約をHPでしたばかりだ。なぜもう一度連絡する必要があるのか。「予約はもうさっきしたよ」というと、母はこう放った。
「また予約が取れてなかったらどうするの?予約が取れていることを確認するために、もう一度電話しなさい!」
いやいや、HPにはしっかり「予約した」と表示されている。もう一度取れていなかったら別の店に行けばいいだけの話だ。前回その店に行ったときは、美容師さんが気さくに話してくれた。彼に「あなたのことは信頼できない」と伝えるような真似は失礼にも程がある。私は険悪な雰囲気の中で髪を切られることになることを恐れ、「絶対に嫌だ」と拒んだ。
「電話しなさい!!」
母は大学生になった私に大声で怒鳴りつけてくる。私を怒鳴りつけても、このミスは美容室のものなのだからどうにもならない。ここまで偏執的な失敗への忌避感が強いと怖いというよりも苛立ってくる。こういう人間がいるから、電車が二分遅れた程度で鉄道会社が謝罪しなければならないような社会になるのではないか。こういうミスは誰にだってある。笑って許せば、自分がそれをしても笑って許されるようになる。お前のような人がいなければ。
結局、数時間怒鳴り散らす母を黙らせるため、根負けした私は「大変申し訳ありません」と切り出して電話をしてしまった。話が進む度に暗くなっていく美容師さんの声に心が痛くてたまらなかった。
当日、謝罪しながら店に入ると、美容師さんは前回とは打って変わって無口に私の髪を切ってくれた。謝罪しながら店を出ても居心地の悪さはよくならなかった。最も近い美容室に通うことがどうしてもできなくなってしまったのだ。
完璧主義は能力というよりアスペ性だ
母は仕事が誰よりもできることを誇りにしている。それ故か、完璧主義が極端に強い。
他にも、任意であると書かれていた選挙ポスターの応募をやって当然と強制したり、塾の宿題一覧表の日付が違うだけで電話をかけさせられたりした。
こんな宿題一覧表を作るのなんてバイトの大学生だ。誰だってExcelで変え忘れる枠の一コマくらいある。日にちが間違えていても月~日が合っていれば支障はないし、ページ数が間違っているなら「そのページはやってしまったのでやりませんでした」と言えばいい。しかし、「もし間違っていてもこう言えばいい」という常人なら必ず至る思考がポンと抜け落ちているのだ。
ASDを揶揄しているわけではない
別にASDであることが悪いと言っているわけではない。私も発達障害(ADHD)があり、スケジューリングが苦手で理髪の予約が出来ず、母にお酒を頭からかけられて怒鳴り散らかされたこともある。
しかしだからこそ、ADHDであることがわかっているからには、スケジューリングや計画の管理などは苦手であることを自覚し、他者に任せたりするなどの行動をする必要がある。
ASDも同様に、自分がコンテキストや感情を読み取る能力に欠けていることを理解し、人の心情に関わる議論には参加を遠慮したり、他人を傷つけてしまった際には「ごめん、俺小っちゃい頃に頭やっちゃってさ、感情とか冗談とか読むのが難しい時があるんだよ。だから傷ついたときは言ってね」と伝えたりしなければならない。
それを怠るばかりか、
「俺、文脈とかそういう屁理屈はわかんねんだわw」みたいなイキリ方をするような人間は、障碍の有無に関わらず、アスペだ。
呪われた一族
実は先ほども言った通り、私はASD傾向が強くない。なので母は実際には定型発達である可能性も低くはない。しかし、定型発達なら定型発達で、この融通の利かなさは常軌を逸しているだろう。
まぁそして、ここまで読んで頂いた諸子の方々には察しているだろう通り、数時間怒鳴りつけて行動を強いるという昭和じみた躾け方の問題もある。
しかしながらこれに関しては母を責める気になれない。勿論これがクソなのは言うまでもないが、母もこういうクソみてぇな育て方を主に父親(この記事で言及した)にされたと聞いている。育て方に悪い例しかなければ、悪いやり方を踏襲してしまうのも無理からぬことだ。私が関学生なのにチー牛なのも、母が威圧的なのも、根源的には私の祖父が原因として横たわっているのだ。
陰キャなのでサボったりうまく振る舞う術を友人と共有できない。社会的に共有されたコンテキストを汲むことが出来ない。目前にいる人の感情よりも、課されたタスクの完成度を重視する。私が引いたのはそういう親だった。
私にできるのは、私自身が親ガチャの外れにならないよう努力することだけだ。