フィットネスから観る〜個人主義と食
私は子どもの時に親から沢山食べて、沢山運動しなさいと言われて育った。
この言葉の意味を今考えてみると、沢山食べて沢山運動するのは
私の嫌いな大量生産・大量消費なのではないかと考えるようになった。
しかしこの言葉を否定してしまうと、あまりにも活動的でなく鬱々とした
生活しかおくれないのではないかという考えがあり、簡単に否定はできない。
そこで少し思考を回し、子どもは成長期だから沢山食べて沢山運動するのは良いことであると理解した、しかし大人はそれほど沢山食べなくても良いのではないかと思った。
これは食べることを否定しているのではない。
過剰に食べている現代の食事に疑問をもっているのである。
大人になれば、それほどエネルギーを必要としないのだから、その人にあった食事量に抑えて、活動量もその分働けば良い。
近代はこの働くという活動が社会のためになっておらず、個人や会社の利益の為になっているので、おかしくなっている。
大人は子どもたちが沢山食べて、沢山運動できるように働くのであって、それは自然への奉仕活動によって、次世代への資源確保が担保されたのだ。
しかし大人が子どものままの現代は、大人になってもまだ沢山食べて、自分の為に働き、大量に余ったカロリーは、自身の健康のためにジムに行って消費する。
筋骨隆々な大人は自身の肉体の為にまた、大量に食べ始める。
全て自分の為に行っているのであり、社会や他者の為は一切ない。
これが現代の個人主義である。
だから最近のフォットネスブームが起きているのかもしれない。
体を大きくするために無理して食べる必要はない。
体だけ大きくなった大人が多くなり、精神を鍛えていない。
精神を鍛えるジム、宗教への回帰が必要とされているのかもしれない。
現代は肉体と精神がアンバランスな社会である。
肉体ばかり鍛えて、精神が伴わない人が多い。
ジムを完全に否定している訳では無い。
肉体に伴う、精神性を身につける必要があるのではないか。
そうすることでより良い社会ができると私は思う。
全ては感謝である。
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