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戦後を生きる

36歳男性の私は昼過ぎに散歩に出かけた。
そこには一面に田んぼが広がり青々とした空が広がっていた。

なんと清々しく、長閑なのだろう。

しかしそこで突如私に襲いかかるものがあった。
それは散歩に出かける前に聞いていた音楽
ペンデレツキ作曲『広島の犠牲者に捧げる哀歌』であった。

広大な青空に実際にはない戦闘機が黒く浮かび上がった。

普段の生活で如何に自分が想像力が欠如していたのかと理解した。

戦後に生まれた人間であるのに、なぜか現代がとても生きにくい。
それは戦後失った理想や理念という名の天皇であり父親である。
そして経済的に豊かになってはいるが、それと反して母なる自然がいなくなっているのを感じる。

私が幼い頃はまだ景気が良く、その経済によって失った父親と母親も気にすることはなかった。まだ幼すぎてそれに気がついていなかっただけかもしれない。

大学から社会人になる頃から、経済も下がっていき、支えるものがなくなってきた。

この国が経済によって戦後79年間、なんとか繋がってきたが、
それも限界を感じ始めた。

三島由紀夫の『真夏の死』のように
79年経過した今でも、まだ本当の意味での復興はしていない。
79年間浸っていた物質的豊かさという麻薬から抜け出せないでいる。

経済で物質的に豊かになったが、精神がそれに追いついていない。
まだ私は戦後を生きている。

福島もそうだった。

経済的成長としての原発。
そしてその課題が浮き彫りになった3.11。
その被災した福島は現在は経済の力でまた街が建築されてきた。
しかしそこに住む福島の人たちの精神は復興されていない。

表面上の町並みは戻ったように見えても
住んでいる人たちの精神は3.11に置き去りのままである。

今の日本は表面上だけで、なにも戦後から立ち直れていない。

それを目の前に広がる田園と青空によって気が付かされた。


田んぼも近くで見ると、幼少期に見ていた生物はほぼ皆無だ。
メダカやザリガニ、蛙はどこに行ったのか。
横を流れる水路を見ても小魚1匹いない。

田んぼと水路の間に茶色く枯れた雑草を見て、その原因を知る。

農薬だ。

農薬に強く品種改良された稲は青々としているが
周りの雑草はきれいに枯れている。

その水が水路に流れる。
それは魚もいないわけだ。
その魚を食べる鳥のいない。

美しいと思えていたその田園風景は
物凄く寂しい景色に一瞬にして切り替わった。

先程まであれほど美しく清々しい気持ちにさせてくれた景色は、
虫の音も鳥の声も聞こえない、寂しい景色になった。

経済的に多忙な我々はそれに気がつくことができない。
社会人になり田んぼをよく見る時間なんてないのだから。

知らない間に多くの生命がいなくなっていることに改めて気がつく。
昔家の庭にたくさんいたアゲハ蝶もモンシロチョウも、めっきり見なくなった。

これで良いのだろうか?

次の世代の子どもたちはどうなるのだろうか?

人間がこういった虫や鳥などの生命の循環で生かされているというのに、
その生命がいなくなっているというのに、、、

戦後に生きる私達は大きなものをそこに置いてきてしまったように感じる。

それを失った大人が子供に何を教育できるというのだろうか?

道徳や教養を教えず、
経済合理性だけを教えて育った子供たちは何を感じて、思うのか?

『真夏の死』に出てくる朝子と同様に、
平和の日常の中で、戦争の記憶を忘れていく国民。
それに耐えられない朝子。
今回の散歩の中で朝子の気持ちがよく分かる。

三島もペンデレツキも改めて良い作品を残してくれた。
本当に感謝である。

まだ彼らの想いは私の中で引き継いで行きたい。
そう思えた一日だ。



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